メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

近縁人類の交雑:より複雑な実態

わずか二ヶ月前にヒトからネアンデルタールへの遺伝子流入の論文が出たばかりだ。Science onlineに掲載されたネアンデルタール、デニソヴァ人からのヒトへの遺伝子流入が数次に亘っていたという論文は、この分野の驚くほどのスピードを物語っている。どうやら研究者たちは古い人骨に群がっているらしい。

この6万年以上にわたる遺伝子流入は欧州人、南アジア人では2回、東アジア人では3回、メラネシア人では1回あったという。注目するべきは、こうした原人由来の遺伝子で現代人に受けつがれている遺伝子(正しくは多型というべきか)の種類は、世界の地域によって異なっている。アジア人にはネアンデルタール人に由来するGCGPLPP1などの遺伝子が多い。これはアジア地域で生息するのにこれらの遺伝子が生存に有利であったことを示唆している。もうひとつ解りやすい遺伝子群に主要組織適合遺伝子複合体(HLA)の特定のハプロタイプがある。これは特定の感染症に対する抵抗性を賦与するので地域ごとに異なるタイプが選抜されても不思議ではない。逆にヒトゲノム上にネアンデルタール人のDNAが見出されない領域も存在する。これをdesert(砂漠)とよんでいるが、こうした領域の遺伝子はヒトの生存には不利であったと考えられている。

昨年ルーマニアで、great-great-great grandparentがネアンデルタール人であったという4万年前の人骨が発見された。(但しこの遺伝子そのものは現在に伝わっていない。袋小路というわけか。)こうした例が増えるにつれてどのような遺伝子が実際に順次選抜(または淘汰)されたかが具体的に明らかになるであろう。

いずれにしても、アフリカを出た人類の祖先が行く先々で既にそこにいた近縁の人類(原人)と交雑し、新たな遺伝子(多型)の獲得と淘汰を繰り返しながら現在の人類のゲノムが形成されたということなのだ。地球上のヒトの個体数は驚くほど多いが、その遺伝的多様性はいチンパンジーに比べても相当低いという。チンパンジーの個体数は相当少ない。すなわち遺伝的にはヒトは比較的均一であることがわかっている。にもかかわらず、こうした新たなソースからの遺伝子流入があったことは注目に価する。今のところ本家のアフリカではこうした交雑は記録されていない。アフリカでは遺伝的多様性が最も高いにもかかわらずである。その理由は明快で、アフリカという暑熱の地には近縁な人類の骨が残されていないため、それらに由来するDNAが我々のゲノム中に特定できないからだ。

Svante Pääboは“人類が行く先々でそこにいた別の人類と性交渉しないとはとても考えられない”と指摘した。これが事実であったことがゲノムデータで証明されつつある。しかし異なる人類(ネアンデルタールとヒトはたぶん別種ではないので用語には注意が必要だが。)との遭遇について、その関わり方に関する具体的な情報は骨のDNAからは当然得ることはできない。その意味からすると、尾本恵市の”人類学というのは想像力を働かせる学問だ。”というのはどうやらゲノム時代でも不変のようである。

かつてPääboは朝日新聞インタビューに答えて、“人類進化の分野ではノーベル賞は出ないよ。”と述べていたが、これほどの裾野の広がり、それにその人類の過去の行動、進化についての知見、これらの数多くの発見がPääboの業績に端を発していることを考えれば、ノーベル賞が与えられる可能性は十分にあると思う。Pääboは進化論を進化学に引き上げたのだ。ヒトの核DNA中にある旧人のゲノム配列は、性交渉の結果として残されたとしか解釈できない。そのことを最初に示したのはPääboである。

これは僅か7年前のことだ。