メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

デニソヴァ人:アミノ酸配列を手掛かりにする

Paleoproteomics(古タンパク学?)の話。

 

進化という現象に多少の興味があるのでこのブログでも進化関する記事は比較的多く書いてきた。

これまで私が書いた題材の中で最も印象的だったのは、Svante Pääboらによる”ネアンデルタール人のゲノム配列の決定”という輝かしい業績だ。この一連の業績のうち、最も衝撃的だったのは現生人類とネアンデルタール人との交雑がゲノム配列から明らかになったこと、さらにそのことが人類の進化的形成に対する我々の見方を一変させてしまったことだ。

 

もう一つ、Pääboらの業績の中でも突出したものにデニソヴァ人(Denisova hominin)の発見がある。この”発見”というのが凄い。シベリアの洞窟で発掘された人骨というのは、実は歯だけだったのだが、ここから抽出されたDNAからゲノム配列を決定したところ、現生人類とも、またネアンデルタール人とも異なる人類であることが確定したのだ。これは身体の一部でも残っていれば、そこから取り出したDNAから例えそれが人類の仲間であっても新種を発見することができることを示している(注)。そういう時代のさきがけとなった発見だったのだ。

さらに重要なことは、ネアンデルタール人のときと同様にデニソヴァ人のDNAの一部が現生人類(この場合はアジア人)の間に残ってることが明らかにされたことだ。アフリカを脱出した人類(の祖先)は、行く先々で遭遇した人類の仲間と交雑を繰り返しながら現生人類を形作ってきたらしい。当然地域ごとに異るグループと交雑したことが予想されるが、実際現生アジア人とオセアニア人のゲノム中にはデニソヴァ人のDNA配列が数%の頻度で見出される。これはヨーロッパやアフリカの現生人類には存在しない。一方ネアンデルタール人のDNAはヨーロッパ人、アジア人とも2%程度の割合で存在している。これはアフリカ人には存在しない。これらの事実から、人類はアフリカを脱出してまもなく、既にユーラシア大陸に分布していたネアンデルタール人と交雑した。さらに東(つまりアジア方面)に向かったグループは、既にそこに生息していたデニソヴァ人と交雑した後、アジア、オセアニアに広がっていったと考えられる。

さて、上に述べたようにデニソヴァ人は残存していた歯から抽出したDNAによって新たに旧人として同定されたものだ。DNA配列以外には形態などの手がかりはない。ところが今年になって、チベットで発見された約16万年前の顎骨がデニソヴァ人のものであると同定された。この発見の面白いのは骨からは使えるDNAが全く回収できず、代わりに回収されたたんぱく質アミノ酸配列が利用できたことだ。

我々実験者は”DNAは安定、RNAは不安定、タンパクも不安定”という常識を持っている。しかしいくつかのタンパクは例外で、長い時間を経ても安定である。その一例がコラーゲンで、今回の発見もコラーゲンのアミノ酸配列によっている。特定のアミノ酸残基が現生人類とも、ネアンデルタールとも異ること、およびそのアミノ酸配列がデニソヴァ人のゲノム配列から示されるアミノ酸配列と一致したことが決め手となった。

 

また新しい時代に突入したようだ。

こうしたきわめて古い検体からタンパクを抽出し、そのアミノ酸配列から進化や生態を探ろうとする分野をpaleoproteomicsと呼ぶらしいが、当然この言葉は大変新しい。しかしこうした分野にもパイオニアがいて、 1,980年代から試行錯誤しながら手法を確立したらしい(注2)。既に最古のものとして約380万年前の動物検体からのアミノ酸配列決定に成功している。この目覚ましい進歩は主に質量分析法(mass spectrometry)の高性能化によっている。

21世紀になり、ネアンデルタール人、デニソヴァ人のゲノム配列が明らかにされた。だから、さらにそれ以前に地球上に生存していた原人のゲノム配列が明らかにされることが強く望まれてきたのだ。しかし、こうした原人の骨が高頻度で発掘される大陸はアフリカだ。アフリカはいうまでも暑い場所である。当然DNAの保存には不向きだ(注2)。もう一つ、原人が発掘される場所がある。それはインドネシアをはじめとするアジアだ。ここも高温多湿である。こうした事情から、旧人よりも遥か昔に生きていた原人のDNAを入手はほぼ不可能と思われている。

H. erectusは14万年前まで、またH. floresiensisは6万年前まで生存していたことがわかっている。これはpaleoproteomicsの対象として十分射程に入る古さ(新しさ?)だ。こうした努力の先に、現生人類がいかにしてできてきた(進化してきた)か、そのヒントが得られることだろう。

しかし当然のことながら、ゲノム配列に比べるとタンパクの情報量は圧倒的に小さい。実際チベットのデニソヴァ人の場合は、トータルで約2,000アミノ酸残基しか読めなかったのだ。この場合は現生人類、ネアンデルタール人、デニソヴァ人のゲノム配列がレファレンス(参照)として利用できたのが幸いしたのだ。しかしゲノム配列が未知の動物(人類)ではこうは行かない。

もう一つの大問題は、検体に現代人(特に研究者)や動物のタンパクが混入している可能性だ。これはDNA配列の際にも遭遇した問題である。ゲノム解析においてこれを解決することなくしてPääboの業績はなかったことは明らかだ(注4)。 先覚者達はこれらの諸問題を早くから認識していて、現在は慎重にことを進めているということだ。

ますます面白くなってきた。

 

(注)デニソヴァ人(ネアンデルタール人)と現生人類とが別の種であるかというのは定義の問題。この件に関しては、Pääbo自身も問題があることを著書の中で認めている。

(注2)例えばコペンハーゲンMatthew Collins

(注3)DNAは低温かつアルカリ性環境で安定である。ネアンデルタール人のゲノム配列が決定された検体は、クロアチアの洞窟で採集されたもので、洞内はアルカリ性であった。デニソヴァ人の場合は気温の低いシベリアの洞窟だった。

(注4)興味のある方はPääboの著書を読まれると良い。