メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

サルにおける自閉症のモデル

自閉症は様々な遺伝子の遺伝子重複で引き起こされることが知られているが、最近サルにおける自閉症モデルが作成された。ここで用いられた遺伝子はMECP2である。MECP2はメチル化DNAに結合しその部位での転写抑制に関わっていることが知られている。

MECP2の変異は別の遺伝病として認識され、Rett症候群(RTT)と呼ばれる。MECP2はX染色体上にあるので、女児ではモザイク状に欠損細胞が存在してRTTとなる。(これはライオニゼーションによるX染色体のランダムな不活化による。)男児は100%の細胞でMECP2機能が欠損するため胎性致死である。RTTの症状は知能や言語・運動能力の発達遅滞である。

一方、MECP2の遺伝子重複は自閉症(autism)類似の症状を示す(MECP2-duplication syndrome)。RTTに比較すると症状は軽い。MECP2は特定の遺伝子に対して作用するわけではなく、ゲノム上で広汎に作用する。したがって実際にMECP2遺伝子の重複がどのような遺伝子の発現に影響を与えるかは重要な課題である。(この種のエピジェネティック的に機能する分子の異常が引き起こす出来事の解析は常に難しいのだが、)こうした遺伝子発現状態の解析は患者由来検体だけではきわめて困難である。しかも自閉症の原因となる異常が、自閉症を発症している時点ではなく、脳の発生過程の異常に起因するならば、ヒトに近縁な種でのモデル動物の作出は必要不可欠である。

当然のことながらこうした遺伝子重複によってもたらされる異常は軽微な表現型の変化をもたらすことが多い。がん領域で有名なものに、Serranoらによって作られてたスーパーp53というのがある。これは正常マウスにp53遺伝子ゲノム領域をもう1コピー加えたマウスである。ゲノム領域なのでp53のコード領域はもとより発現に関わる領域はそのまま保存されている。その名のとおり、このマウスはDNA障害に反応してより強いp53経路の活性化がみられる。重要なことは、発がん物質で誘導されるがんの発生がこのスーパーマウスでは低頻度に抑えられることである。したがって、この場合は僅か1コピー余分にある遺伝子による表現型の変化が観察できる。しかしこれはやはり軽微な表現型の変化といわざるをえない。MECP2遺伝子の重複でも同様の軽微な表現型の変化を追求することが課されていると思う。

MECP2遺伝子を操作して作られたモデルとしては、TALEN法を用いてMECP2遺伝子に変異を入れたRTTのアカゲサルとカニクイザルのモデルの作出が試みられている。2,014年の初めにCell Stem Cellに出された研究である。ここでは予想通り雄は全て胎性致死であった。唯一生まれてきた雌のカニクイザル1頭の体細胞には多数の変異が入っていることが示された。ゲノムエディティング法を適用すると断裂した当該遺伝子のDNA修復が起こり、その結果ランダムな変異が導入される。こうした方法をサルのような”高価な”動物で行うことにはかなりの抵抗を覚えるが、ともあれモデルらしきものはできるようになった。但し、このシステムで作出されたサルによる本格的なRTTの解析はまだ報告が出されていない。

今回のNature論文の著者らは既に2,010年にはMECP2遺伝子の重複したカニクイザル(Macaca fascicularis)の作成を開始していた。ここで用いられている方法は、ウイルスベクターにヒトMECP2 cDNAを組み込み、サルの卵子に感染させてMECP2の発現量を増加させようとするものであった。得られたサルはヒトの自閉症に似た症状を呈していた。ところが2,013年に論文を投稿したところ、それは掲載拒否となった。その理由は、MECP2遺伝子のコピー数の増加が症状を引き起こしたという確たる証拠が示されていないということであった。最終的に重複したMECP2遺伝子をCRISPRで再び破壊して症状がなくなることを確認するといった、きわめて厳しい基準をクリアして今回ようやく論文が受理されたのだ。

ところでこの研究を実施したのは中国上海のグループである。Natureの紹介記事では、このようなサル類を用いた研究は米国ではかなり制約されている。こうした実験に比較的制限の緩い中国あるいは日本にアドヴァンテージがあると述べている。

確かに米国ではサル類、特にチンパンンジーを用いた研究をNIHが基本的には認可しないことを既に決定している。欧州では動物愛護団体の圧力がさらに強いので、霊長類を用いた研究はそうとう制約されている。

しかし高神経機能とその疾患については、ヒトに近縁な動物種を用いる必要があるので、サル類の使用はやはり不可欠である。特定の疾患に限定して認可されるべきであろう。例によって、ここでも科学研究とその成果を用いた新技術と原理主義的(ないしは感情論的)反対論との対立がみられる。

人々の理解と冷静な対応が望まれる。