メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

Darwin's Dogs Project

“ダーウィンの犬達”プロジェクトとはマサチューセッツ大学(University of Massachusetts)のElinor Karlssonによるユニークな試みである。

イヌにもヒトと同様に強迫性障害(obsessive–compulsive disorder (OCD) )があるらしい。(イヌの病名はcanine compulsive disorder。 )その例として自分の尻尾を追いかけてグルグル廻るtail chasingが挙げられる。多くのヒトの高次神経機能の疾患についてはそれらに関わる遺伝子座の特定はそれほどうまくいっているわけではない。その理由はヒト集団の遺伝的バックグラウンドがかなりヘテロであるからだという。一方イヌは家畜化の過程でかなり遺伝的に均質な状態になっている。このためイヌにおける神経疾患の遺伝子座の追求はヒトと比較すると比較的容易であるという。そこで研究者たちは高頻度でおこるヒトの様々な疾患、例えば認知症などの発症に関わる遺伝子座をイヌで決定しようというのだ。

このプロジェクトはその進め方がユニークだ。100項目にわたる質問に回答すると、研究者側から唾液DNAの検査キットが送付されてくる。この検体を送り返して大学で検査が行われる。(検査の仕方はホームページをみてもよくわからないが。)この飼い主の記載がすなわち表現型であり、これとDNA分析の結果とから神経疾患に関わる遺伝子座の連鎖を分析する。

計5,000頭の犬のデータを集めることを目標としているので多数の飼い主の参加を想定している。プロジェクトの特徴は、科学とはあまり縁のない一般の人々を動員しようとしていることであろう。こうした 大規模な研究への一般市民の参加は最近出てきた傾向だが、私は大変好ましい傾向だと思う。犬 はふつう家族同然に扱われていることが多いので、こうした質問に対する回答の質は概ね信頼できる。したがって、このプロジェクトでは表現型の記載の労力が大幅に軽減できる。確かに犬以外のどの動物を使っても、同様の研究は不可能であるに違いない。このための研究費の出処は今ひとつ不明だが、このプロジェクトに参加することは無料である。

もちろんこうした大規模プロジェクトからは多大の成果が期待できるが、一方飼い主の側について も利点がある。それは普段科学研究に縁のない人々が科学研究への親近感をもち、ひいては人々の科学への理解度(リテラシー)を確実に向上させる。同様の取り組みにスマホを使った地震観測や、天体観測がある。こうした物理現象の観測には観測点が正確に特定できるスマートホンは威力を発揮する。このような大規模研究の末端のデータ収集への参加はやはり人々の科学への距離を縮める効果をもつと思われる。

問題はこうした一般の人々が参加する大規模研究をどのようにして立ち上げるかということだ。このようなプロジェクトを企画し、実行するための組織構築、実行、成果の公表まで、どちらかというと実務的ないしはビジネス的な能力が要求される。なかでも研究費の獲得は最も重要なことである。Darwin’s Dogsのサイトを覗いてみると、Karlssonの他にはポスドク一人の顔写真が載っている。実働部隊はおそらくこのポスドクと、数名の学部学生で十分であろう。また同サイトではこのプロジェクトのTシャツなどを販売している。これも多少の資金的助けにはなるだろうが、たいしたことではない。むしろプロジェクトの社会的認知度を向上させるのに役立つであろう。

研究者の構想力、実行力が試される時代になったようだ。