メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

Oxitecの蚊に関するFDAの発表

8月6日にFDA(米国食品医薬品局)は、オキシテック社の開発した遺伝子改変ネッタイシマカ(OX513A)の米国内での野外試験にゴーサインを出した。これは一般のメディアでも報道されていて注目度の高いニュースだ。最近フロリダのごく一部だが、現地の蚊が媒介していると思われるジカウイルスの流行が起こっていることが注目度を上げている。

4月9日に”組み換え型蚊のその後:ネッタイシマカの撲滅へ”で書いたが、英オキシテック(Oxitec)社が開発した組み換え型の蚊(ネッタイシマカ、Aedes aegypti)のその後の経過だ。ネッタイシマカは数多くのウイルスを媒介する。そのため地域からこのカを駆逐すれば、多種類のウイルス疾患の流行が防げるというわけだ。そのために、幼虫の体内で高濃度でタンパクが発現するような遺伝子を仕組んだオス虫を放出する。このオスと交尾したメスから生まれた幼虫が死滅する。このシステムを開発したのはオクスフォード大学の生物学者、Luke Alpheyだ。自らの昆虫学の成果を媒介昆虫の駆除に使えないかと考えた末に確立したものだ。

この組み換え型の蚊のメカニズムについては前回書いたので、今回は繰り返さない。以前こうした人為的操作を加えた昆虫の防疫への応用について簡単に書いたことがある。私の認識では、この種の”虫を放して虫を滅ぼす”類の手法は、離島などの隔離された場所では大きな効果を示す。しかしより大きい地域では効果が薄いのではなかろうか? しかし一方で殺虫剤に対して耐性を持った蚊が蔓延している状況を考えると、このような新しい手法が必要である。

オキシテック社の目論見では、より大きな地域、あるいは国レベルでの媒介昆虫のコントロールを実現しようとしている。既に同社は野外試験を数カ国で行っている。その結果ネッタイシマカの個体数を減らす効果が見られたという。前回書いたとおり、オキシテックはフロリダ州の最南端、観光地として有名なキー・ウエストの隣、キー・ヘイブンという小さな島で、小規模な試験を実施するための申請を行っていた。この申請に対して、30日間の公示期間に寄せられた多数の意見を考慮した結果が、今回のFDAの決定だ。

そのFDAの発表だが、米国におけるこの種の申請とそれへの公的機関の対応の様子がある程度わかるので、以下に全訳を載せる。

 

”Oxytec Mosquito"

Oxytec, Ltd.はInvestigational New Aminal Drugの申請書を、FDAの獣医薬センター(Center for Veteninary Medicine)と共に公開した。これは遺伝子工学で作出された蚊に関わるものである。FDAはCDCとEPAの専門家の助言を受けながら、Oxytec蚊の情報を審査しているところだ。

審査の一部として、FDAはOxytecから提出された環境アセスメント(Environmental Assessment, EA)の草案を公表した。これはキー・ヘイブンで実施される野外試験の環境への潜在的な影響を評価したものだ。同時に提出された予備的なFinding No Significant Impact(FONSI、直訳すると、”環境への大きな影響なし”)も公表された。8月5日、多数の一般のコメントを考慮した結果、FDAは最終的なEAとFONSIを公表した。このEAは提出されている野外試験が環境に対して大きな影響を与えないという内容である。
このFDAの発表によって直ちにOxytecの組み換え蚊の商業利用が可能になるわけではない。Oxytecは野外試験の前に、地域、州、連邦の要求を満たす必要がある。同時にその地域のパートナーであるFlorida Keys Mosquito Control Districtとともに、いつどこでこの計画された野外試験を実施するかを決定しなければならない(注1)。

Oxytecは遺伝子工学の手法で蚊の系統、Aedes aegypti(OX513A)を作出した。これはこの蚊を放出した場所での蚊の数を減少させることを目的としたものだ。Ae. aegyptiはジカ熱、デング熱、黄熱、チクングニヤ熱ウイルスを媒介する。これらはいくつかの州、特に南部で発生が見られる。遺伝子工学により作出されたカ、OX513Aお野外試験はブラジル、ケイマン諸島パナマ、それにマレーシアで既に実施されている。

 

前に述べたように、この方法の利点の一つは多数のウイルス(主にフラビウイルス属)の媒介昆虫のコントロールを可能とすることだ。予想されることだが、こうしたLMO(Living Modified Organism)の環境中への放出に関しては当然反対論がある。(ちなみに並行してブログの題材にしているゴールデンライスもLMOに包含される。)主要な論点は、こうした遺伝子改変生物を環境中に放出することの妥当性だ。こうした人工的な蚊(および人工的遺伝子)が環境中に蔓延するのではないかということ、それと生態系への影響の可能性だ。

環境中でのある遺伝子の挙動は、それが中立的で環境中でポジティブに選択されなければいずれ消失するか、きわめて低い頻度で保たれるかのどちらかだ。OX513Aはむしろ生存にネガティブに働くので、導入した遺伝子の環境中での頻度が目に見えて上昇することは考えづらい。定性的な記載で申し訳ないが、おそらくこの解釈で間違いはないと思う。

今回のFDAの決定が覆らなければ、2,017年の春にはキー・ウエストでの野外試験が開始されることになる。さらにオキシテック社のスポークスマンは、現在ジカウイルスの流行が起こっているマイアミ市内のきわめて狭い範囲に限定して、OX513Aを放飼することを臨時的措置として検討しても良いと述べている。もし実現すれば、これは願ってもない形での社会実験になるが、当然猛烈な反対論が沸き起こるであろう。尤も現在既に顕在化しているジカ熱の流行が拡大して、米国内での小頭症の発生数が増加したら、これは実現するかもしれないが。

こうした動きを見るにつけ、英米ではラボからフィールドへの距離が短いと感じる。自らの基礎研究がどのような応用に生かされるのかということを考えている研究者が多い。(むろん全く考えていない人も多いが。)これは私の所属しているような医学研究分野でも同様である。

思考の射程が長いということになる(注2)。

 

(注1)Florida Keys Mosquito Control DistrictというのはNPOで、フロリダ州、特に南部フロリダ州の蚊の防除を目的として活動している。最新の技術を駆使して、Ae. aegyptiを含む特に3種の蚊を駆除しようとしている。これはヒトとイヌの病気を媒介する。

(注2)この思考の射程の長さは実際にゴールが見えるから可能なのだと思う。行く手が行き止まりになっている道だと当然ゴールは想像できない。日本ではこうした新技術の社会への応用については厳しい規制もさることながら、研究者を含む人々の間にある種の抵抗感がある。加えて日本では科学リテラシーを持たないメディアが常に新しい試みを妨害しようとする。

 

(追記 8/24/16)

中村祐輔の最新のブログ記事”先を読めない指導者たち”で、ゲノム多型のデータベースの重要性が日本では認識されていないことを嘆いている。これもある種、思考の射程距離の問題か? しかしよく観察してみると、米国の研究者たちの思考が深いわけでは全くなく、コミュニケーションの質と量、それにリーダーの決定方法に大きな違いがあるように思う。後日論じてみたい。