メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

CRISPRと学術会議

lようやくCRISPRの研究者ノーベル賞を授与される。

これと日本学術会議とはまるで無関係にようだが私の中ではつながっている。

 

CRISPR/Cas9を用いるとゲノム編集が効率良くできることがわかって以来、人々はその応用範囲と有用性にすぐに気がついた。

だからこの技術は医学、生物学、農学、畜産学などおよそあらゆる分野で応用が期待され、かつゲノム編集された生物が作出されてきた。しかしこの技術の持つ危険性もすぐに認識された。その応用範囲の中で最も危惧されたのは、ヒトのゲノムの編集、殊に生殖細胞系列のゲノム編集であった。その問題点は二つの点に集約される。一つは技術が未成熟であることによるゲノム編集の不正確性で、いわゆるオフターゲット効果だ。これは標的とする遺伝子ではない遺伝子に予期しない変異が導入される可能性だ。もう一つは、ヒトゲノムを編集して何らかの能力を賦与しようとする試みだ。典型的にはデザイナー・ベビーといわれるような子供を持とうとすることだ。いずれも社会的、倫理的に大きな問題を孕んでいる。

かつて組み換えDNA技術が開発された時には研究者たちはその潜在的危険性を想像して戦慄を覚えたのだった。そのためその技術の実施を凍結して、実施のための条件を討論したのだ。これをアシロマ会議といい(1975年)、”物理的封じ込め”の合意を得る。これが各国の実験指針の基礎となった。

さてCRISPR/Cas9の問題点についても、1995年12月ワシントンDCでサミットThe International Summit on Human Gene Editing)が開催された。このサミットに参加したのは約500人の研究者、科学倫理の専門家、臨床家、法律家などで20ヵ国以上の国から参加をみた。これを主宰したのは米英中の科学アカデミー4団体だ(The National Academy of Sciences, National Academy of Medicine, Chinese Academy of Sciences, and the Royal Society of the UK)。残念ながら、この会議では特別な指針のようなものは採択されるには至っていない。もう少し詳しく知りたい方は、私自身のブログ記事を参照されたい。そこからオリジナル記事に行けるので。

私はこのニュースを目にした時、”日本の科学団体は一体何をしているのだろうか”という憤りを含んだ疑問を感じたことを覚えている。米英はともかくとして、最近ノーベル賞を高頻度で受賞している日本は? 

日本の科学団体とは”日本学術会議”か”日本学士院”をおいて他にない。最近の学術会議のニュースを見るにつけ、未来を見ようとしない学者たちの巣窟は早急に解散するべきだと強く思う。すべての学問は未来を見るための営為なのだ。

 

蛇足ながら、今回の受賞者の一人、Emmanuelle CharpantierはSt. Jude小児病院でポスドクをしていたということで(1997−99)、喜ばしい限りである。

 

追記1

医学生理学賞もたいへん良い授賞だと思う。私の父、さらには大学の恩師の命を奪ったのはC型肝炎だった。C肝は昭和から平成にかけての大問題だった。今回のノーベル賞の意義は、C型肝炎ウイルスが細胞培養によるウイルス培養を経ずしてゲノム配列が決定されたこと、さらにその塩基配列をもとに診断法はもとより治療薬の開発まで行われたことだ。C型肝炎研究は分子生物学の申し子であると言える。これについてもかつて簡単な記事を書いたので参照されたい。

 

追記2

学術会議の問題について、知れば知るほど腹が立つ。一人あたり約4,500万円の予算が使われているというではないか。これはたぶん、一期6年分の予算と”年金!”を含んだ金額だと思うが、詳しいことを知りたい方はそれなりの資料に当たって頂きたい。学術会議のメンバーは大方大学教授なので、こうした余分な収入は不要だろう。私の言いたいことは二つ。一つはこうした予算を実際の(特に若手のための)研究費に回すこと。もう一つは、このような政府本体ではなく、関連団体に使われている膨大な額の予算を見直す事である。

増税の前にやることがあるだろう。