メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

Gene editingの問題とは? [1] 標的遺伝子法の革命

人類の未来を話し合うCOP21がパリで開かれている。しかしもう一つたいへん重要な会議が開催された。それは12月 1日から3日間ワシントンDCで行われた"International Summit on Human Gene Editing"である。

ここで話し合われた内容は、gene editing法(またはgenome editing法)のヒトへの応用のもたらす主に倫理的側面と、それへの対処、あるいは規制のあり方などの諸問題である。この会議は現在のgene editingの技術を確立した研究者、組み換えDNA技術の確立にその初期関わっていた科学者、さらには科学倫理の専門家らによって呼びかけられた自発的なものだ。

今回の会議は科学者らの自発的な意志で企画されたものだが、ちょうど40年前にカリフォルニアのアシロマでポール・バークの提唱で開催されたいわゆる”アシロマ会議”を彷彿とさせる。このときのテーマは組み換えDNA技術の潜在的に持っている危険性とそれに関わる諸問題であった。 

そもそも"gene editing"とは何を意味するのか? これがこれまで基礎・応用研究で用いられてきたトランスジェニック法やノックアウト法を始めとする標的遺伝子法とどう違うのだろうか?

1.標的遺伝子法の嚆矢としてのノックアウト法

Gene editing法とは、主に3種類の技術(ZFN、TALEN、CRISPR/Cas9)のいずれかを用いて、ゲノム上の特定の場所(座位、locus)の配列を改変するものである。ゲノム上の特定の場所の改変は原理的にはいわゆる標的遺伝子法に包含される。

これまでの標的遺伝子法は相同組み換えを基本とするいわゆるノックアウト法であった。これはCepecchiらによって1,980年代の後半にマウスで確立されたものである。ノックアウト法の威力は”逆遺伝学”reverse geneticsを可能にした。それまで遺伝的解析は、表現型があって初めて可能であったのが、遺伝子を破壊することでその遺伝子の機能をダイレクトに追求できることとなった。これが”逆遺伝学”であり、高等動物での逆遺伝学が初めて可能となったのだ。この方法はやがて特定の遺伝子を失活させるのみならず、その遺伝子座に別の配列や変異型の遺伝子を導入する方法も確立された。これをノックイン法という。

こうして20世紀の終わりまでに、少なくともマウスでは標的遺伝子法でゲノム上の大部分の場所で狙った配列を除去、あるいは改変することが可能となったのだ。

しかしこのノックアウト、ノックインには欠点が多数あった。それは胚性幹細胞(ES細胞)必要とすること、相同組み換えの頻度が低いため多数のES細胞クローンを培養によりスクリーニングする必要があること、さらに得られたESクローンを胚盤胞にに注入した上で子宮に移す等々、手間と時間がかかる大掛かりな実験であった。加えて得られるマウスのF1個体はヘテロ接合なので劣勢形質の発現を直接見られないこと、など数え上げたらきりがない。もう一つの欠点は相同組み換えを起こさせるために導入する標的ベクターゲノムと相同な二つの断片を含む必要がある。それぞれが数kbの長さを必要としてるので、このプラスミド作製に長時間を要する。そのためノックアウト実験は着手から約1年後にようやく表現型が明らかとなるのが普通であった。また費用もかかるため誰にでもできるわけではなかった。

このためノックアウト法を試みる研究者は最初の2年程度は論文を出せない状況を覚悟したのだ。さらに同じ遺伝子のノックアウトが他のグループとの競争に負けたり、表現型が出なかったりで、ノックアウトされるのはマウスではなく、ポスドクであると言われたものだった。かくいう私もSlug遺伝子のノックアウト実験を開始してから5年にしてようやく論文が出せたような状況であった。(まあ優秀な人はもっと早く論文を出していたのだろうが。)

一方ES細胞が確立されている動物種は限られていたので、この方法には自ずと限界があったのだ。例えばゼブラフィッシュは特定の表現型に関わる遺伝子を同定するのに効率が良い動物モデルである。しかしこの種では突然変異を変異原物質でランダムに起こさせる。これを連鎖解析して遺伝子座を特定することが行われている。これは”逆遺伝学”ではなく、まさに”古典的遺伝学”である。何故か? それはゼブラフィッシュにはES細胞が存在しないからである。

こうしたノックアウト法を基本とする標的遺伝子法に風穴を開けたのが、gene editingである。

 2.地味な研究から立ち現れたGene editing法

3種類の技術(ZFN、TALEN、CRISPR/Cas9)のいずれもが短いゲノム上の塩基配列を認識し、その部位を決断するのだ。この”狙った場所”を改変するのがgene editingである。

しかしgene editingでできることは何だろうか? これについて文献中で明確に述べられることはあまり多くないのだが、上の三つを私はZFNの総説で見つけた [3]。

(1) 遺伝子破壊gene disruption

(2) 遺伝子校正gene correction

(3) 標的遺伝子付加gene addition

このうち(1) は現行のノックアウト法と同じ効果をもたらす。(2) はノックインと同様である。(3) はトランスジェニックと似てはいるが、付加遺伝子のゲノム上の挿入部位が特定できるることが異なっている。またいわゆる遺伝子治療においてはレトロウイルスベクターの挿入がかなりランダムな部位で起こり、このことが後のがんの発生を促すとされるこの点gene editingでは挿入部位が制御されているのでより優れている。

何故このような”標的性”が獲得されたのだろうか。これらが発見されたプロセスは、特にバイオメディカル研究への応用を考えて行われたものではない。ZFNとTALENはそれぞれDNA認識タンパクのドメインの組み合わせと配列で、結合するDNAの配列特異性が決定される。これにエンドヌクレアーゼドメインと融合することによって、特定の塩基配列のDNAを切断できるようにしたものだ。TALENはもともと植物病原体キサントモナスXanthomonasのタンパクである。一方CRISPR/Cas9はヒト病原体であるレンサ球菌Streptococcusで見出された最近の外来DNAに対する最近の免疫機構を担うタンパクRNA複合体である。この場合は結合配列の特異性はRNAの配列によって決められる。

いずれにしてもこれらのタンパク(またはタンパクRNA複合体)をコードするプラスミドは細胞に導入(トランスフェクト)するのが容易なサイズである。そのため既にトランスフェクション法が確立されていれば、いかなる生物種でも導入可能である。また特にES細胞を用いずとも1細胞期の受精卵に導入することが可能で、かなり効率の良いゲノム改変が達成されている。

特異配列への結合→切断→修復、このプロセスが幅広い種で簡単にできるようになったことが、gene editingをかくも急速に普及させた理由である。

(続く)