メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

がん細胞でのスーパーエンハンサーの“生成”

前回MYCとdiapauseの話で、MYCは代表的がん遺伝子(oncogene)といったが、正確にはがん原遺伝子(proto-oncogene)だ。すべての内在性のがん遺伝子(がん原遺伝子)は細胞内で正常な機能を持っているが、質的、量的に活性化されることによってがんを引き起こす能力を獲得するわけだ。

がん遺伝子活性化のメカニズムは古典的には四通りである。それらは(1)タンパク翻訳領域の変異(Rasに代表される)、(2)融合遺伝子(融合タンパク)の出現(BCR-ABLに代表される)、それに(3)強力なエンハンサーに近傍に転座することによる発現増強(Eu-MYCに代表される)、それに(4)遺伝子増幅(MYCMYCN)(最近はfocal amplificationというらしいが)だ。(三番目のはイーミューミックです。)

この最後の強力なエンハンサーの影響下に入る機構に新たなメカニズムが加わった。といっても論文が出たのは一年以上も前のことだが。Dana Farber Cancer InstituteのThomas Lookグループから出された仕事である。

 “An oncogenic super-enhancer formed through somatic mutation of a noncoding intergenic element”, Mansour, M., et al., Science 346, 1373, 2014.

スーパーエンハンサーとは何か? これは文字通り強力な活性を示すエンハンサーであり、幹細胞を始め各細胞系統を特徴付けるような遺伝子発現に関与していることがわかってる。スーパーエンハンサーの定義については多少の混乱が見られるが、ヒストンH3K27のアセチル化が広範囲に亘って起こっているゲノム上の領域であるということになっている。加えてRNA polymerase IIやMED1の結合が見られることも特徴である。

正常細胞と同様に、がん細胞においてもがんとしての性質を発揮するのに重要な遺伝子の近傍にスーパーエンハンサーが存在している。

前置きはこれくらいにして、この論文を要約する。

  • T細胞白血病の細胞株であるJurkatでは、がん遺伝子TAL1の過剰発現が見られる(既知)。
  • ChIP-seq法によりTAL1遺伝子の近傍にヒストンH3K27のアセチル化が連続した20kbを越える領域が見出され、スーパーエンハンサーが出現していることが窺えた。
  • ゲノムシークエンスによりこの領域には12塩基対からなる余分な配列が挿入されていた。
  • 臨床的に得られたT細胞白血病細胞にも同じ場所に様々なサイズの挿入が見られた。最小は2塩基対であった。
  • 配列から転写因子MYBが結合することが予想され、実際にChIP法によってこの結合は確認された。
  • この領域の転写に及ぼす影響をluciferase法で確認したところ、Jurakat細胞のみならず、患者由来の配列も転写を活性化することが判明した。
  • さらにこの転写活性化はMYBのsiRNAにより除去された。MYBのsiRNAは細胞内でのTAL1の発現も抑制した。
  • この領域に結合する因子はMYBのみならず、TAL1自身、さらにはGATA3、HEB、RUNX1、CBPも同定され、この部位での転写因子の複合体が形成されていることが示唆された。
  • 実際にIP法でMYBとTAL1との結合が示された。
  • MYBのsiRNAの結果、MYBのみならずこの領域におけるその他の因子(TAL1、GATA3、RUNX1)の局在も無くなった。このことからTAL1近傍のスーパーエンハンサーの形成にはMYBの局在が必須、および初発のイヴェントであることが明らかである。
  • Jurkatでこの挿入配列をCRISPR/Cas9法で破壊したところ、TAL1の発現は著しく低下した。
  • 同時にこの領域のH3K27のアセチル化は消失した。

要約すると、染色体転座を伴わずゲノム変異によって新たなエンハンサーが出現する。これによってがん遺伝子の活性化が引き起こされる場合があることが明らかとなった。

 

本論文では優れた論文の特徴として内容が簡潔に要約することが可能である。さらにこの論文は優れた研究に共通のもう一つの性格をもっている。それは発見したことと同等の、あるいはそれ以上の疑問を提示しているとだ。以下にそれを簡単に列挙しておく。

スーパーエンハンサーの出現ががん細胞に特有の性質を与えるとするならば、この配列をゲノム上から除去することにより細胞の増殖能等、顕著な性質の変化が観察されてしかるべきである。しかしこの点についての言及はない。おそらく通り一遍の解析では顕著な変化は見られなかったのであろう。

Luciferaseを用いたレポーターアッセイでゲノム領域の転写に及ぼす影響が見られたのは興味深い。普通こうしたアッセイはトランスフェクションから24時間とか48時間後に行われる。このアッセイでは実際にスーパーエンハンサー的なクロマチンの修飾が起こっていたのであろうか? 具体的にはヒストンH3K27のアセチル化が起こっていたのであろうか? もしそうならば、スーパーエンハンサーの形成の機構が比較的簡単な実験系(プラスミドによる)で解析できることになるが。

こうしたゲノム上の変化が高頻度でT−ALLで起きるのは、リンパ系に特有の現象なのだろうか? リンパ系細胞は免疫グロブリン、またはT細胞受容体の多様性を生み出すためにある種のゲノム不安定性を持っていることがある。したがって今回見出されたような塩基配列の挿入はこうしたリンパ系細胞の性質に根ざしているのであろうか? この仮定の裏は、“リンパ系以外のがんでは同様のメカニズムでスーパーエンハンサーが生じるのだろうか?”ということになる。この疑問は論文の末尾に記載されている。

とりあえずこれぐらいにしておく。 

最後になるが、当然ゲノム編集の手法を用いてこうした標的配列を除去してやれば、がん治療が可能になるのではないかとも考えられる。しかし、こうしたやり方では仮に99%の細胞で当該配列が除去されたとしても残った細胞がじきに増殖してくるので(1%の細胞がもとの数になるのに必要な分裂回数はわずか7回である)、こうした除去的方法にはもともと限界がある。このことはsiRNAでも同様であろう。

一方他のがんではスーパーエンハンサーを構成しているBRD4やCDK7などを標的とした低分子阻害剤を取得して、がんの種類に特異的な治療法として実現化しようとする動きがあることを付記しておく。