メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

シドニー・ブレンナーのこと

シドニー・ブレンナー(Sydney Brenner, 1,927-2,019)が亡くなった。

 

シドニー・ブレンナーと会ったのは1,996年のこと。当時私は東京の大学に勤務していたが、ブレンナーがカリフォルニア(サン・ディエゴ)に新しい研究所を作ったと聞いて、手紙を書いたのだった。当時はジョブの応募は手紙でやるのが普通で、さらに高齢のブレンナーだとますますメールは使ってないようだった。

しかし手紙の返事は来ず、あれほど高名な学者ならば無視されても仕方がないと諦めていた。ある日ラボのFAXが音を立てて動き始めた。今どきFAXなど一体誰が送ってくるのだろうと思っていると、なんとそれはブレンナーからであった。”来月東京に滞在するので、xx日の朝8時にパレスホテルのロビーに来い"という。

結局カリフォルニアの研究所はできたばかりで、人を増やすだけの予算がないのだという。その代わりというのもなんだが、シンガポールのラボなら今すぐにでも採用できるという。結局のところ家族や子供のことを考えて、米国の他の場所に来ることを考えて現在に至っている。

 

その頃ブレンナーは何をしていたか? それはフグプロジェクトだ。フグとはあの有毒な魚類のフグ(河豚)である。その頃すでにヒトの全ゲノム配列を解読することを目標とするヒトゲノムプロジェクトが始まっていた。しかし、それがいつ完了するかは不明であった。ヒトのゲノム(ハプロイド)の総塩基対数は3,3 Gbもある。しかもそのかなりの部分がいわゆる非コード領域だ。解読された塩基配列のうちのほんの一部が”意味のある”遺伝子であるわけだ。そこでブレンナーはゲノムサイズのより小さいフグに着目したのだ。トラフグの全ゲノムサイズは約400 Mb(0.4 Gb)だ。フグはレッキとした脊椎動物なので、脊椎動物の持っているべき発生・生理に関わる遺伝子を一セット持っている。したがってランダムにゲノム配列を解読してゆけば、ヒトゲノム計画と比べると約8倍の確率で遺伝子に当たると考えたのだ。あとはヒトの類縁配列をクローニングしてやれば良い。

私はこのシステムを用いて、第一染色体短腕上にあることが想定されている神経芽腫のがん抑制遺伝子の探索をしたいと考えていたのだ。神経芽腫では約4分の1のケースで癌遺伝子MYCNが増幅していることがわかっていて、このMYCNの増幅が予後と強い相関を示す。こMYCN増幅は常に第一染色体数短腕(1p36)の欠失を伴うことから、1p36にMYCNの増幅を抑制している、いわば”がん抑制遺伝子”があることが想定されていた。ランダムなヒトゲノム配列の解読により1p36にある遺伝子がを全て洗い出すことは可能である。しかしそれには相当な時間がかかる。そこでフグを使えばこうした遺伝子の探索がずっと容易に出来るのではないかと考えたのだ。

フグプロジェクトそのものは、ヒトゲノムプロジェクトが予想外のスピード完了したため、その存在意義を失ってしまった。世界の叡智のもとに開始されたフグプロジェクトは米国流物量作戦に完敗したのだ。

 

ブレンナーの研究人生はこうしたモデルシステムの開発に捧げられたと言っても過言ではない。線虫のC. elegansの細胞系譜を調べ上げたのもブレンナーの功績である。エレガンス線虫の個体発生はあらかじめ設計図に描かれているように進行する。発生過程で特定の細胞を除去してやると、その細胞が最終的に成体で占めるべき部位が欠損した成体ができてしまう。

この細胞系譜を利用してプログラム細胞死(Programmed Cell Death)の機構を解明したのがロバート・ホロビッツ(Robert Horwitz、MIT)だ。この予定された細胞死の機構解明に対してホロビッツノーベル賞が贈られた(2,002年)。同時にブレンナーにも贈られた。ブレンナーは具体的にプログラム細胞死の機構解明そのものにおいて大きな功績をしたわけではない。しかし私の想像だが、アカパンカビから始まる生物科学への巨大な貢献をなした、この20世紀の叡智に対してノーベル財団が顕彰したのがこの年のノーベル賞だったと思っている。

この決定に誰も異議を唱えることはできなかったと思う。