メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

テロメア維持の機構(7):ALT細胞のテロメアではBIRが起こっている

前回から続く)

前回はヒト細胞でBIR(break-induced replication)と呼ばれるHRの一形態が実際に働いていることを述べた。そこでBIRの様子を図示したので再び参照されたい。

超絶FISHによるBIRの検出

このBIRがテロメラーゼ非依存性テロメア維持(ALT)でも働いているかどうかが今回の話だ。まず昨年10月にGagosとHalazonetisグループがEMBO Reportsに出した短い論文から紹介する。

ここで彼らが課題として取り上げたのは、ALT細胞がBIRを使っているかどうかを明かにすることであった。この点を追求するために、彼らは特殊な、本当に特殊なFISHを編み出した。これは同じ染色体標本に三回連続でFISHを行い、各回のFISHの後に顕微鏡観察、撮影する。多数の同じ染色体について3枚の写真を撮って、後でそのFISHのシグナルのパターン変遷を把握する(注1)。

これを完全に理解することはかなり困難だが、シグナルの出方のパターンで、いわゆる"conservative replication"が起こったかどうかが判定できる。conservative replicationは通常のDNA複製(こちらは"semi-conservative replication")では見られず、BIRの証拠として捉えられる。conservative replicationでは、結果的に片方の染色分体では二本鎖DNAの両方ともが新しく複製され、逆の染色分体では両方とも複製されずに鋳型として用いられる(注2)。ここで用いたFISHでは200 bpを上回るサイズでのハイブリダイゼーションが起こらないとシグナルが識別できない。BIRの特徴の一つは長いサイズの複製なので、この方法で検出されるものはBIRの一つの要件を満たしている。解析の結果、U2OS(ALT細胞)ではBIRの特徴である"conservative replication"が高頻度で起こっていることがわかった(注3)。

前回紹介したHalazonetisグループによる哺乳動物細胞でのBIRを示した論文ではPOLD3がBIRに必要であることがわかっている。そこで今回のGagos、Halazonetis論文では、テロメア複製にもPOLD3が必要かどうかをsiRNA法により検討した。その結果、POLD3タンパクレベルを低下させるとconservative replicationの頻度が低下することがわかった。さらにもう一つのサブユニットであるPOLD4の低下も頻度を低下させることも判明した。POLD3は彼らが先行論文(2,014年サイエンス)で明らかにしたとおり、哺乳動物細胞におけるBIRに必要な因子であり、テロメアでもまたBIRが行われていることを強く支持している。

以上から、(1) ALT細胞のテロメア維持のためにBIRが働いていること、および (2) BIRがテロメアでBIRが起こるためには、数あるDNAポリメラーゼのうちPOLD3POLD4が必要とされると結論付けた。

テロメア内でのDNA断裂で誘導されるDNA複製

上の論文では超絶FISHを駆使することで、ALT細胞がそのテロメア複製にBIRを用いていることが示された。しかし何分にも”超絶”的な技法なので、この手法自体を用いた追試験が簡単に行われるとは思えない。

その点昨年11月にネイチャーに出たGreenbergグループの論文では、より一般的な実験手技が使われていて、かつ多角的なデータが揃えられている。こちらの研究では、主に制限酵素テロメア上で発現させた。これによりテロメアに特異的にDNA二本鎖断裂(DSBs)を生じさせている。このDSBsに続くテロメアでのDNA複製の亢進や、関連タンパクのテロメアへの動員などをトレースしている。

最初に得た結果は、DSBsの誘導によりテロメアでのDNA複製が亢進したとするデータだ(注4)。こうしたDNA複製はALT細胞にのみ見られ、テロメラーゼ陽性細胞ではきわめて低いレベルでしか検出されなかった。このことは、ALT細胞におけるテロメアのDNA損傷の修復には”長いサイズ”のDNA複製が起こっていることを示している。

このDSBsに誘導されたDNA複製に必要な因子をsiRNA法で同定したところ、やはりPOLD3が同定された(注5)。これらの結果から、この現象はBIRであることが強く示唆された。さらにSMARD法(DNAファイバー上での免疫染色とFISH)により実際に長いサイズの複製がテロメアで起こっていることもトレースできた。これらのデータから、DSBsに誘導されたDNA複製はBIRであると結論づけられた。

POLD3は通常のDNA複製で必要なDNAポリメラーゼを構成するサブユニットである。分裂酵母S. pombe)ではこのサブユニットは必須遺伝子ではない。このことは、ヒトの細胞でもPOLD3が欠損している状態で、長期間生存することが可能かもしれない。この考えのもとに、U2OS細胞(ALT細胞)でPOLD3を欠損した細胞株をCRISPR/Cas9法で取得することを試みた。得られた細胞クローンのうち、幾つかはPOLD3タンパクのレベルが低いことがわかった。しかしPOLD3タンパクを完全に欠損したクローンは取得できなかった。このことはヒト細胞ではPOLD3が細胞の生残に必須であることを強く示唆している。実際POLD3を低レベルで発現しているクローンは、すべて遺伝子内にin-frameでの塩基欠損ができていた。すなわちこれはタンパク活性的には部分欠損である。

さて表現系として最も重要なことはテロメア維持に対するPOLD3の意義である。上記クローンを25回分裂増殖させてDNAを抽出した。そのテロメア長をサザンブロット法にて調べたところ、その短縮が認められた。したがってPOLD3なくしてテロメアが維持できないことは明らかである。こうしたデータからPOLD3がALTに関与しており、それは実際にテロメラーゼ非依存性のテロメア維持に関与していると結論づけられたた。

以上のまとめ

以上の二つの論文の内容をまとめて理解すると、(1) ALTの細胞のテロメアでは長いサイズ(>200 bp)でのDNA複製が起こっている。(2) この複製では"conservative replication"である。これらはBIRの特徴である。(3) このBIRにはPOLD3が必要である。(4) 同じくPOLD4が必要である。(4) POLD3のタンパクレベルの低いクローンではテロメアの短縮が起こる。

とりあえず両論文の内容を要約するとこうなる。だから”ALTはBIRによる”のだ。これでよいのだろうか?

(続く)

 

(注1)この3回連続FISHはかなり特殊で、手技の持つ一般性が低く、適用範囲がかなり狭い範囲に限られるので、この詳細をここで述べるのは気がひける。しかし本質的にはこの手技の理解なくして結論を評価できないので一応下に原理を図示しておく。これは当該論文の図を参考にして作り直した。

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三段階のFISHを行って、同一染色体を各ステップごとに記録する。染色体標本作成に先立ってBrdUを培地に加えて新生鎖をラベルしておく。これは破線で示されている。図中赤、または緑で示したのはテロメア配列、黒はテロメアよりも近位の染色体配列。

最初のFISHは変性条件(二本鎖が乖離した状態)で行う。テロメア配列のG-rich鎖とC-rich鎖を別々の蛍光色素(赤と緑で示している)で標識したプローブを用いて検出する。全てのテロメア配列は赤と緑のシグナルの混合したもの、すなわち黄色となる。

2回目のFISHでは、以前書いたようにHoechst33258色素で染色した後、長波長UVで照射する。これによって新生鎖は傷んでハイブリダイゼーションできなくなる。FISH自体は染色分体をアニールさせた状態で行う。これによって鋳型鎖どうしは完全にハイブリするのでプローブで検出されなくなる(下段)。

3回目のFISHは再び変性条件で行う。これにより2段階で検出されなくなっていたシグナルが復活する。但し検出されるのは鋳型鎖のみだ。

このような込み入った手順で出てくるパターンの変遷を把握することにより、"semi-conservative"(上段)か"conservative"(下段、BIR)かの判定が可能となる。実際にはテロメアの一部が"conservative"になっているケースもあるがここでは省略した。手法の詳細については論文に当たられたい。

(注2)通常両方の鎖が複製されることは無論起こり得ない。これを理解するためには前回掲げた図を見て頂きたい。

(注3)この論文ではなぜかテロメラーゼ陽性細胞のデータとの比較が出されていない。ALT細胞とテロメラーゼ陽性細胞を比較することで明確な結論が得られるはずなので、これはこの論文の欠陥だ。

(注4)DSBsを誘導した後にU2OS細胞をBrdUでラベルして、回収された断片化DNAからBrdUを取り込んだ(すなわち新たに複製された)部分を回収する。これは抗BrdU抗体による免疫沈降で可能だ。これをドットブロット法で32Pでラベルされたテロメア配列をプローブとしたハイブリダイゼーションを行う。ブロット上の32Pを定量することでテロメアでのDNA複製を検出する。

(注5)この他にBIRのために必要であると特定された分子は、POLD1、RFC1、PCNAであった。一方、通常のDNA複製に必要なDNAポリメラーゼとしてはPOLEがあるが、これは不要であることがわかった。さらにHRに必要なRAD51、HOP2も不要であった。興味深いことだがテロメアBIRに必要な因子は、ふつうHRに要求される分子ではなく、一般のDNA複製に必要な因子であることが明らかとなった。

トランプ科学予算の概要

トランプ大統領の予算案の概要が明らかとなった。この2,018年度予算は来年の10月から開始されるもので、議会は今年末までこの予算案の可決はしない方針というが、とりあえずそこでの科学関連予算についてまとめておく。

一つ大きな原則があるが、それは地球温暖化に関わる調査・研究予算が徹底的に削られていることだ。これにはEPA環境保護庁)、DOE(エネルギー省)、NOAA(海洋大気庁)、NASA(航空宇宙局)、ARPA-E(Advanced Research Projects Agency-Energy)、USGS(地質調査所)の該当する部分が含まれる。温暖化への化石燃料の寄与を否定しているので、代替エネルギー開発の研究予算も当然抑制されている。

NIH(National Institutes of Health)予算には全米の医学生物系研究プロジェクトへ交付されるグラントが含まれるので、NIHへの予算カットは国の医学生物系研究全般に大きな影響を与える。予算案では58億ドル(18%、約6,500億円)の削減となっている。実はこの金額は2,016年度にNIHが交付しているグラントのうちいわゆる”間接経費(indirect costs、overhead payments)”と呼ばれる費目の総額とほぼ一致している。”間接経費”とは各研究者に交付される予算(直接経費)の他に、大学等の研究機関に支払われる経費のことだ。これは研究機関の運営費の補助、あるいは共用の施設(動物施設など)の費用として使われる。大学関係者はこのNIH予算の削減が、間接経費削減による大学の運営費の不足につながるのではないかと危惧している

しかしNIH予算に関しては、NIH内部ではより強い危機感を募らせている。それはトランプ政権がNIHに包含される全27部局の再編を進める方向性を打ち出しているからだ。再編とは統廃合であり、これはNIHの総予算削減を目論んだものであろう。

米国の科学研究を財政的にサポートしているもう一つの機関がNSF(Nationa Science Foundation)だ。今回の予算案ではこのNSFの予算がどのように位置付けられているかは不明だ。その理由はNSFが閣僚レベルで扱われる組織ではない(日本的にいうと省庁以下)ので、実際の金額が表に出ていないからだ。しかしNSFの今年度予算は294億ドル(約3兆3千億円)となっており、これは十分規模の大きい予算規模だ。これについてはやがて詳細が明らかにされるだろう。

いずれにしても、トランプ政権(トランプ氏)の科学に対する無理解がこうした予算案に反映されていると考えられる。どうやら今の政権(というより大統領本人)にとって、最重要課題は3年半後に再選されることで、10年後の競争力ではないということらしい。確かに伝統的に共和党政権は研究政策は消極的だったが、今回は極端だ。

 

以下、私が思っていたこと。

確かに研究予算は直接的にGDPを増やすようなものではない。しかし米国から出される研究論文は世界中の研究への影響力が大きい。例えば、シグマの試薬やイルミナのシークエンサーなどは、米国発の論文に記載されることによって世界中の研究機関で同じようなものが購入される。いわばグラント予算を国内で消費することによって、それを補うような製品輸出が促されている。そこでは米国のトップの研究者が論文に記載することが、最大の宣伝効果となるのだ。公的な研究予算が間接的に国内経済を潤しているわけだ。いわば公共事業の”乗数効果”のような現象が見られるように思う(注1)。しかし米国の研究が世界のトップの地位を失えば、この乗数効果は消失してただのバラマキ予算になる。

 

(注1)こうした科学研究グラントの波及効果に関する定量的な分析が実際にあるのかどうか、それを確定的にいうだけの情報は今のところ持っていない。

 

テロメア維持の機構:(6)ALT細胞のテロメアの組み換えメカニズム、BIR?

(だいぶ間が開いたが前回より続く) 

テロメアの話を進める。このシリーズの最初に述べたことを思い出したい。

”がんで認められるテロメア維持の機構(telomere maintenance mechanisms, TMM)が確定したようなのでまとめたい。”と私は書いている。これは昨年後半にSarantis Gagos(Biomedical Research Foundation of the Academy of Athens)、Thomas Halazonetis(University of Geneva)とRoger Greenberg(University of Pennsylvania)の両グループから、ALT細胞のテロメア維持の機構に関する独立した論文が出されたからこのように書いた【1, 2】。

テロメラーゼに依存しないテロメアの維持の仕組み(alternative lengthening of telomere、ALT)が、相同組み換え(homologous recombination、HR)を用いていることは既に述べた(注1)。上記二つの論文ではBreak-induced replication(BIR)と呼ばれる機構が働いているとするデータを提出している。これはHRの一つのタイプだ。

BIR:HRの一形態

HRの機構は動物細胞に先駆けて出芽酵母(budding yeast、Saccharomyces cerevisiae)で盛んに解析された。酵母のHRの機構の多くの部分はJames Haber(Brandeis University)らによって明らかにされたが、その中にはBIRの機構解明も含まれている。これを簡単に要約すると、染色体上のある地点でDNA切断が生じたときに、そこから塩基配列を共有する染色体(または染色分体)を鋳型としてDNA複製が行われる。この複製は数百kbの長さに及ぶこともある。下の図は複製前のDNA上に一本鎖切断があり、そこに複製フォークが到達した時に起こることを示している。これはBIRが起こる一つの典型的な場合だ。この図はHastingsらの総説から借りてきた。

f:id:akirainoue52:20170324114931j:plain一体どのような状況でBIRが発動するのか? 通常の二本鎖DNA断裂では断裂点の上流、下流の両側に相同配列を持った鋳型鎖が存在する。しかし場合によって片側にしか相同配列が見いだせないことがある。DNA複製フォークで生じる片側(one-ended)二本鎖断裂はこうしたケースである(上図)。複製フォークの下流には未だ複製されてない二本鎖DNAが一本だけ存在するので両側の相同配列を鋳型にできないのだ。

BIRは断裂したDNAの3'末端が傷ついていない二本鎖DNAに入り込んでDループ(D−loop)を形成することで開始する(D)(注2)。このDループの中で逆向きの複製も開始される(破線矢印)。これは複製フォークそのもので、リーディング鎖、ラギング鎖の双方の新生鎖の伸長が起こる。この構造はやがて解消される(F)。しかし再び3’末端の侵入が起こって以上の過程が繰り返される(G、H)。最終的にこの複製の中間体が分かれて完全な二本鎖となる(I)。こうした複製は長いサイズで起こり、多くは染色体の末端(すなわちテロメア末端)まで至る。このモデルでは修復終了後では、一方の染色分体(これは二本鎖)の両方の鎖が新たに合成されたものとなり(図では上の鎖(破線))、他方は合成されていない(実線)。このような複製の様子は"conservative replication"と呼ばれている。

哺乳動物細胞でのBIR

哺乳動物細胞においては最近までBIRの確たる証拠は最近まで得られてなかった。しかしがん細胞での非相互転座の存在などの状況証拠から、BIRが起こっていることが推定されていた。こうした中で、Halazonetisグループは2,014年にサイエンス誌に出た論文で、BIRが実際にヒト細胞で起こっているとする証拠を提出した。

これを簡単に紹介すると、彼らはsiRNAのスクリーニングにより、U2OS細胞でDNA複製ストレスに際してDNAの複製が起こるのに必要な遺伝子を同定した。その中で、POLD3とに着目した。これらはDNAポリメラーゼδ複合体の構成メンバーだ。DNAポリメラーゼは通常はDNA複製におけるラギング鎖の複製に関与している。酵母のBIRではPOL32遺伝子(POLD3に相当)が必須であることが知られている。

U2OS細胞(ALT細胞)に二本鎖断裂が生じた際にBIRが起こったことを検出できるようなプラスミドを組み込んで、候補遺伝子のsiRNAによってBIRの頻度低下がおこるかどうかを検討した。組み換えられた配列から起こった出来事を読み取るのである。その結果、POLD3がBIRに必要であることがわかった。

このプラスミドは染色体上の(テロメア以外の)普通の場所のどこかに組み込まれていると思われるので、テロメア外のどこかで起こるBIR一般についてはPOLD3が必要であると結論された。

以上から、酵母に加えて哺乳動物(ヒト)細胞でもBIRが起こっていることが判明した。テロメアではどうか?

(なかなか進まないが、次回に続く)

 

(注1)最近では"nomology-directed DNA repir(HDR)という呼び方も定着してきている。

(注2)D−loopの由来はその形がアルファベットの”D”に似ているから(図中D、Gにある構造)。

 

21世紀の麻疹

先週ジョンズ・ホプキンス大学Diane Griffinの講演があった。タイトルは”Understanding Measles in the 21th Century”だ。

話は1,846年のフェロー諸島での観察記録から始まった。Peter Panumという医師がこの諸島での麻疹(measles)の発生を注意深く観察した結果、その潜伏期と終生免疫を発見したという。ここでは離島という閉鎖空間での観察が奏功したのだ。

そのとおり、麻疹ウイルス感染では終生免疫が続く。それに先進国ではワクチンが普及したことによって、麻疹の流行は大きな問題ではなくなっていた。そのために麻疹自体の研究は滞ってしまった。昨日の講演は、こうした少し置き去りにされた麻疹の研究についての比較的新しい知見を含んだ話だった。

最初に麻疹の免疫の話。麻疹感染では免疫抑制がかかる。麻疹感染による致死率とは、この免疫抑制に起因する二次感染の寄与が大きい。麻疹ウイルス(MeV)の感染後約2週間でIgMが、約3週間でIgGが誘導される。麻疹の主兆である皮膚の発疹はこうした特異免疫が出現してくる頃に見られる。この発疹の病変にはCD4、CD8陽性のT細胞がともに存在し、免疫細胞の関与が明らかである。この時期を過ぎると、ウイルスは”概ね”排除される。

しかしMeVに対する免疫についてはよくわかっていない。上のように獲得免疫は感染後2−3週間で上昇してくるが、体内(主にリンパ節)のウイルスは完全に駆逐されることはなく、半年程度リンパ節に残っている。こうした知見はアカゲザルの感染モデルによって明らかにされた(注1)。こうした長期間にわたるウイルスの持続がなぜおこるかについては不明だが、麻疹ウイルスに対する中和抗体価は長期間にわたって上昇を続け、かつ抗体自体の親和性も徐々に上昇してくる。このことから、MeVに対する免疫はストレートに成立するのではないことがわかる。

後半はワクチンの概略についての話だった。麻疹ワクチンは孵化鶏卵で長期間継代して作出した古典的生ワクチンである。感染防御抗原はウイルス表面のヘマグルチニン(H)タンパクだ。この分子自体は抗原的にきわめて安定で、1,906年に作出されたワクチンが現在も有効だ。ただし麻疹ワクチンが接種後何年程度有効かについては不明である。

最近の問題としては、先進国におけるワクチン接種率の低さがある(注2)。スイスの事例が示された。スイスでも麻疹の発生がほぼなくなったので、ワクチン接種を”任意”にしたところ、今世紀になって多数の小児感染がおこったことが紹介された。

集団免疫に必要な接種率と有効性はどの程度かという見積もりがあった。ともに95%程度が必要であり、接種率については特に途上国では大きな問題であることが述べられた。アンゴラでの調査では、ワクチン接種に消極的な理由が調査で明らかになっている。それらは (1) ワクチン接種のための時間が取れないこと、(2) ワクチンが危険であると考えられていること、(3) 接種のための列に並ぶことが億劫であること、であった。演者はワクチン開発はほんの一部であって、deliveryこそが大事な部分なのだと述べた。このdeliveryについては、途上国では貧弱な社会インフラと予算の不足が、先進国では宗教的、信条的理由によるワクチン不接種が指摘された(注3)。

最後にSSPEの問題について言及したい。SSPEとは亜急性硬化性全脳炎(Subacute sclerosing panencephalitis)の略である。これは麻疹の自然感染の後、6−10年の後に起こり、致死的である。自然感染小児10,000人のうちの1人がSSPEを発症する。感染したMeVの一部が神経細胞に親和性を獲得し、cell-to-cell型の感染を起こすようになったものだ。この神経細胞での持続感染は液性免疫から免れている(注4)。SSPEの存在は、小児への麻疹ワクチンの接種が必要であることを示している。

麻疹の例からわかる通り一つの感染症を無くするには科学研究も重要だが、その先のこと、つまり公衆衛生の政策としての実現可能性が問われる。これは統治の安定性、インフラ整備、さらに最も重要なことは教育・啓蒙である。

 

(注1)小動物では麻疹の感染モデルは存在しない。

(注2)カリフォルニア州では88%が麻疹ワクチンを接種していない。先進国でワクチン接種を受ける必要がないと考える人々は比較的高学歴でリベラルな考えの人が多い。私見だが、概ね反原発、反ワクチンがセットになると思う。こうした人々は国や社会の安定にある程度のコストが必要であるということを理解していない。私は、主権国家の保持、経済活動の維持、公衆衛生の向上、この3点セットを意識することが人々の幸福にとって重要であると考える。この点については再び議論してみたい。

先進国におけるワクチ忌避の感情を広めたきっかけは、麻疹を含む3種混合生ワクチン(MMR)が自閉症を起こしたとする英国の医師による論文である。これは後に捏造論文であることが発覚し、著者Andrew Wakefieldは英国での医師免許を剥奪された。この12年間に反ワクチン感情が広まってしまった。

(注3)途上国の多くが統治機構に問題があったり、内戦状態になっていることがある。こうした国々ではワクチン接種が計画どおりに実行されることは困難だ。エボラウイルスのワクチン試験でもこうした困難があったことを私も紹介している。

(注4)MeVに近縁なウイルスに、牛疫ウイルス(rinderpet virus)、イヌジステンパーウイルス(canine distemper virus、CDV)がある。これらはともに重要な家畜の感染症の原因だ。ジステンパーの主要な症状は神経症状であり、このウイルス群の神経向性は明らかである。こうした動物種を越えた比較感染症学は疾患の発症機序を理解する上で重要だ。

言語と生物種

先週ケニヤ人が加わった。これで研究部の中にスワヒリ語話者が3人になった。国名でいうとケニヤとルワンダだ。この人たちは皆自分のことをスワヒリ語を話すというが、お互いのスワヒリ語は相当違うという。

同じ階にはたくさんのインド人も働いている。しかしこの人たちの母語はそれぞれ違う。テルグ、タミル、カンナダ、ヒンディ、ベンガルパンジャブなどだ。インドは広い国だが中国などに比べると面積はずっと小さい。にもかかわらず多くの言語が共存する。なぜこうなのかはインド人に訊いても確たる答えは返ってこない。(答えを聞き取ることも難しい(笑)。)

言語というのは面白い分野だ。世界にはいくつの言語が使われているのか? これに対する答えをネット上で探すと、とても優れた要約に行き着く。それは米国言語学会のホームページだ。タイトルは文字通り"How many languages are there in the world?"。

これを読むと、一つの言語の単位というのは生物の種という単位とやや似ていることがわかる。個々の言語は語族(family)に属すると述べられる。そしてこれらの語族は遺伝的(系統的)に(genetically)関係があるという。これは生物を分類する時の考え方にそっくりだ。確かに言語も生物も、放っておくと徐々に違ったものになる性質がある。さらにこれらが独立したものとして固定されるためには地理的隔離が必要だ。ただし言語の場合は自然地理的に隔離されなくとも社会的に隔離されれば独立したものが成立しうる。

使用されている言語が年々減少していること、および年々学者が新しい言語を発見していることも、生物種とよく似ている。さらに失われた言語は二度と復活しない。なぜならこうした言語は文字として記録されていないからだ。言語と生物種は復活しないことにおいても似ている。但し、進化も絶滅もそのスピードは言語の方がずっと速い。

 

比較的狭い地域に多数の言語が存在している例としてパプア・ニューギニアが挙げられている。計390万人の人々が832の言語を話している。単純計算すると一つの言語が平均4,500人に使われていることになる。これは僅か40−50家族だ。このことを認識するならば、世界にはさらに未知の言語が多数存在していると考えてもおかしくはない。

この言語学会のページによると、世界の言語の数は6,909であるという。しかしこのうちの半分はその話者の数が1,000人に満たず、3,000以上の言語は今後100年以内に消滅すると予想されている。

しかし世界中にいくつの言語が存在しているかは実のところは誰にもわからない。

その主な理由は未だに言語学者の知らない言語がどこかで話されているからだが、さらに重要なことは一つの言語の単位が不明確だからだ。これにはおそらく二つの意味がある。一つは地理的に近い場所で話されている複数の言葉を、どのようにして異なる言語として認識できるかということ。これについては上記言語学会のページでも認めている。独立した言語であるとの認定は科学的にではなく、政治的に決められると述べている(注1)。もう一つは言葉自体が常に変化するので捉えどころがないということだ。

この後者の意味するところは、言葉というのは書き言葉として記載されなければ、それが一つの言語として固定されることがないということを意味している(注2)。文字記録されなければ厳密な言語単位として認定されないとしたら、これは相当高い基準である。というのは歴史上文字に記録されたことのある言語の数はごく僅かだからだ。古くから文字が使用されてきたユーラシア大陸ではことばを記録することは盛んに行われてきた。しかしアフリカ、南北米州(の大部分)、オセアニアではこれは最近までほとんどなされてこなかった。

北米だけでも相当な数の言語が存在してきた。コロンブスが到着した時点では300を超える言語があったが、その全てが文字による記録がなされていなかった。(少し南下するとマヤのような文字を持った文明が例外的に存在したが。)こうした記録されない状況は彼らがヨーロッパ人と接触しても基本的に変わることはなかった。唯一の例外はチェロキー族だ。シクウォイア(ᏍᏏᏉᏯ(チェロキー文字による表記))という若者が、白人たちの書く文章を見て、これは便利だと思った。それで英語を模して、独自のアルファベットを作り上げ、文書として書き表す方法を作り上げたのだ。これは独力で人口的な文字体系を作り上げて、それが使用されるようになった世界史上唯一の例とされている。結局300以上のうち、現在残っているのは165言語のみだ。私とって興味深いのはチェロキー語以外の全ての北米言語は文字を導入しなかったことだ。彼らはなぜ文字を使わなかったのだろうか?

こうして絶滅した言語は二度と復活することはない。それらは記録されていないからだ。この点で生物種と似ているが、生物はDNAに設計図が書いてある。DNAさえ残っていれば、その塩基配列をもとに絶滅種を復活させることは可能かもしれない。こうした考えのもとに、幾つかの絶滅種の復活の試みが続けられていることはすでに紹介した

書き言葉を基礎とした高度な文化が発達するためには、やはり経済的に発展した都市に人々が集まることが必要だ。さらに紙の大量生産や印刷術など、関連する物質文明が確立していることも必要なのだろう。さらにより高度な文明と接触すると、それに滅ぼされるか吸収されてしまう。

ヘブライ語イスラエル公用語だ。この言語は長い間使用されなかったが復活することができた。これは書物から言語そのもの研究が継続して行われてきたからだ。そう考えると文字記録されていない言語の再生はほとんど不可能であろう。

この言語学会のページは言語の分類の諸問題を要領よくまとめてあり、目からウロコの気分を何度も味わえる。興味のある方には勧めたい。

 

最後に付け加えておくが、言語も生物種もグローバルな人の移動と経済的一体化がその絶滅の最大の原因である。だからこれらの絶滅を防ぐ手立ては基本的には存在しない。

 

(注1)相互理解能を一つの基準にしようという話はある。言語Aの話者と言語Bの話者がお互いに自分の言葉で話し、それを相手が理解できれば同じ言語とするのだ。これも相互ではなく一方通行の関係であることが多く、なかなかクリアカットではない。

(注2)日本語の文字表現の変遷もたいへん面白い領域だが、日本語はたいへん古くから記録され、文化を育んできた。しかし日本語の変化(進化?)の速度は速い。以前ラジオでモーツァルトの”魔笛”がかかっていたときのことだ。魔笛モーツァルトのそれまでのイタリア語のオペラとは違い、アリアの間をドイツ語のセリフで繋いでいる。だから演劇に近い性格がある。たまたまそこにドイツ人がいたので、”お前このドイツ語のところで何を言っているかわかるか?”と聞いたところ、ほぼ完全に理解できると言っていた。それで私はドイツ語というのは200年前からそれほど変化していない言語なのだと理解した。日本語だとこうはいかない。200年前(江戸時代)の歌舞伎をいきなりそのまま見て(聴いて)ほぼ完全に理解することはふつうありえない。

まずは一安心か?:H7N9トリインフルエンザ

前日のトリインフルエンザの続報がUSDA APHISサイトに出た。

全ゲノム配列を決定した結果、このウイルスはH7N9と同定された。しかし中国でヒトへの感染を起こしている系統とは異なり、北米の野鳥に生息している系統であることがわかった。中国から北極経由で来たものではないらしい。

まずは一安心ということか。 

ゲノム配列決定がとてつもないスピードで実行されたことに驚かされる。

米国での新型トリインフルエンザ(H7N?)の発生

本日、テネシー州の養鶏場でトリインフルエンザが発生し、約7万4千羽が処分されたというニュースが流された。APHIS(農務省の動植物防疫部門)のページに過不足ない記事が出ている。

この養鶏場はテネシー州南部リンカン郡に所在し、大手食肉流通のタイソン(Tyson)と契約している。ロッキー山脈からアパラチア山脈に至る平原地帯は渡り鳥の飛行路になっていて、The Mississippi Flywayと呼ばれる。ここを南北に通過する野鳥からウイルスがもたらされたと考えられる。ちなみにテネシー州は私の住んでいる州だ。

州の診断センターでヘマグルチニンのタイプはH7と同定された、これは農務省の機関アイオワ州エイムス)でも確認された。ノイラミニダーゼ型は48時間以内に同定される見込みだ。現在ウイルス培養が試みられている。

もしこれが既に中国でヒトへの感染が広がっているH7N9型と同じものならば、トリからヒトへの感染が懸念される。このヒトへの感染は高い致死率を示している。そのため今回発生が見られた養鶏場と周辺の養鶏場のサーベイランスが強化されている。ウイルスは一見健康な野鳥からもたらされる可能性が高いので、生きた、または死んだ野鳥との接触を避けるよう注意を呼びかけている。

これが米国初の養鶏場におけるH7型の発生だ。渡り鳥によって媒介されるのは、いきなりミサイルを撃ち込まれるようなもので、ほとんど防ぎようがない。