メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ジカウイルス感染のマウスモデル、小頭症は?

3月に載せた記事でジカウイルス(ZIKV)のマウスモデルで小頭症を作ることの重要性について書いた。ZIKVのマウス感染実験については古く1,970に論文が発表されていて、脳のアストロサイトにウイルスが検出されるという極めて重要なデータが出されていた。しかし当時は新生児小頭症は問題にされていなかったので、実際にマウスの胎内感染で胎児小頭症が再現できるかどうかは調べられていない。この点はZIKV感染における病理発生を追求し、最終的には小頭症を防ぐ方策を追求する上で重要である。

5月19日号のCellにセントルイスワシントン大学(通称Wash U)のMichael Diamondグループのマウス感染実験の論文が出た。タイトルは"Zika virus infection during pregnancy in mice causes placental damage and fetal demise"だ。

内容を要約する。WT(野生型)マウスはZIKV感染に概ね抵抗性なので、I型インターフェロン(IFN)受容体を欠いたノックアウトマウスInfar1-/-)で感染実験を試みた。(I型インターフェロンがマウスのZIKV抵抗性に関わっていることは同じグループの先行論文で既にわかっている。)Infar1-/-雌とWT(Infar1+/+)雄を交配し、妊娠初期に母体にウイルスを皮下注射で感染させるのだ。このときの母体の胎盤は-/-なのでIFN反応が欠損しているが、胎児側の胎盤組織はヘテロ(+/-)なのでこちらのIFN反応は概ね正常である。もちろん脳を始めとする胎児組織も同様である。

母体へのウイルス感染は胎齢E6.5~E7.5に行なっている。胎齢の確認は交尾の形跡である膣栓が認められた朝をE0.5として扱う。0.5というのはマウスの交尾と受精が夜中に行われるからである。受精卵の着床はE4.5で、E6.5~E7.5での胎児の体制は未だシリンダー状で脈絡膜に埋もれている。胎盤や胎児組織の発生はまだまだこれからというところだ。

E13.5日に子宮を取り出して組織学検査やウイルス定量を行っている。この時期には正常ならば既に胎児そのものの格好をしている。Infar1-/-雌の子宮内では、かなりの数の胎児がこのときまでに死亡し、吸収されてしまっている。生き残っている胎児で見られたことは子宮内での発育不良(IUGR)であった。これらの兆候は同時に並行してウイルスを感染させたWT雌の胎児ではみられなかったものである。しかしヒトの感染で問題となっている胎児小頭症は見られなかった

ウイルスの検出をqPCRとプラークアッセイで行ったところ、胎盤と胎児脳にウイルスが検出された。注目するべきことに母体血清中にもウイルスは検出されたが、これに比べると胎盤のウイルス量は1,000倍も高いことがわかった。これらの詳細な解析結果と既に得られているデータから、母親側のtrophoblastから胎児への感染が起こっていることが強く示唆された。

ZIKV感染の際にヒトの胎児で見られる兆候は、胎児死、IUGR、それに小頭症である。だからこのマウスモデルでは小頭症以外は再現されていることになる。もしこの研究で小頭症が再現されていたなら、論文のタイトルやサマリーに”microcephaly”の語が踊っていたに違いない。だから論文を読む前から小頭症に関してはネガティブであろうと予想していた。マウスの神経発生は胎齢E6.5~E7.5より遅く始まるので、もう少しウイルス接種のタイミングを遅れせるのが良いかもしれない。そう思いつつ読み進んでみると、Discussionでそのことが書かれてあった。しかしこの仕事の重要性は、ZIKVの胎児への胎盤感染をマウスで再現したことである。これは大きなステップである。

ZIKVに関しては、なぜこのウイルスだけが子宮内感染を引き起こすのかとというのが人々の疑問であった。しかし著者らは他のFlavivirus属ウイルスでも経胎盤感染が起こったとする少数のヒトの例の報告を引用している。それらはWNV(ウエストナイル熱)とJEV(日本脳炎)だ。しかし考えてみれば、日本脳炎のブタへの感染で死産が起こることは獣医学では常識だ。動物種を横断的に眺めることも重要であろう。

ひとたび現象の重要性(この場合は公衆衛生的重要性)が確立すると、ものすごい勢いで研究は進む。既にZIKVの小頭症における病因論的(etiological)な関係【ZIKV→小頭症】は確定したと言ってよい。小頭症発症のメカニズムの追求は重要である。しかし経胎盤感染をブロックできれば小頭症の発生は当然防げる。マウスの胎盤はヒトのそれと(多胎であることを除けば)かなり似ているので、経胎盤感染を追求するには良いモデルだと思う。

昨日のラジオ(NPR)のニュースによると、既に米国でも約500例のZIKV感染が記録されたという。本日のNPRのニュースではリオデジャネイロ・オリンピックで外国から訪れる訪問客のうち、ZIKVに感染する人は約60人程度にとどまると専門家が予想していた。本当だろうか? 公衆衛生担当者はZIKVワクチンの登場を切望しているが、ここでの問題はワクチン開発にしばらくの時間を要することだ。仮にワクチンの効力が確認されたとしても、大量生産に入れるには今から一年以上が必要であると予想されている。今回の論文の結果を踏まえると、経胎盤感染のブロックがワクチン開発に先んじる可能性がないとはいえない。もっともワクチンの効力検定そのものにもマウスモデルが不可欠なのだが。

 

余分なことかもしれないが、この小頭症の騒ぎで気になったことがあったので付け加えておく。ブラジルでの小頭症の急激な増加に際して、これがZIKVの感染によるものではなく、モンサント/住友化学の生産、販売した農薬(殺幼虫剤piriproxyphen)のせいであるとする説(デマ)が流布された(例えばこの記事)。日本語のサイトにもこうした怪しい情報に飛びついた記事がいくつか見られた。こうした増幅されたデマは人々を惑わすだけでなく、かえって被害を大きくする。現代実験科学は解明可能なことについては数ヶ月単位で答えを出せるので、デマに飛びつく前に科学的な回答を待っているのがよい。

 

追記 6/5/16

どのような種類の蚊がZIKVを媒介するかについては現在までに確たるデータは得られていなかったらしい。最近リオデジャネイロの研究者が実際にZIKVを持ったネッタイシマカ(Aedes aegypi)を発見したという記事が出た。いかし研究者は他の種の蚊もZIKVを媒介する可能性有りとして、さらに広範な調査を進めるとしている。これは言うは簡単だが大変な仕事である。マラリアの場合は約60種の蚊が原虫を媒介することが知られている。もしZIKVでも同様な状況であれば、蚊の駆除によるZIKVの制圧は絶望的かもしれない。

追記2 6/12/16

追いかけるようにしてマウス感染モデルの論文がNatureにも出た。この仕事ではSJL系マウスを用いていて、特にInfar1-/-のような特別な系統を用いているわけではない。Cell論文とは違い、妊娠10−13日にウイルスを静注によって母体に感染させている。”生まれてきた”仔マウスは非感染よりもサイズが小さかった。非感染に比べ大脳皮質が薄かったことから、小頭症のサインが見られたと結論している。