メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

医学史に残るC型肝炎研究

C型肝炎の治療法の開発が進んでいる。最近のCellに、"Pioneering a Global Cure for Chronic Hepatitis C Virus Infection"と題する小文が出ている。

C型肝炎は急性肝炎(ほとんど無症状)を経て、最終的にESLD(end-stage liver disease)となる。この間の経過は以下のとおりだ。

  75−85%  慢性C型肝炎

 内20−30%  肝硬変

 内1−5%/年 肝細胞がん

C型肝炎は医原病

私事になるが、C型肝炎は私の父親と大学での恩師の命を奪った病気だ。ともに胃潰瘍の手術時の輸血によって感染したことは間違いない。二人とも35年にわたる慢性肝炎と肝がんとの闘病の後に世を去った。もう少し早く治療薬が世に出ていればと思ったこともあるが、医学・医療というものは確実に進歩しているが一足飛びにはゆかないものだと納得するしかない。

HCV(hepatitis C virus)の主な感染経路は輸血や再利用された注射針の使用だ。だからC型肝炎は”医原病”といえる。C型肝炎は血液によって感染が起こる疾患(blodd-borne diseases)に分類されている。このカテゴリーの病気を起こすウイルスで重要なものにB型肝炎ウイルス(HBV)とヒト免疫抑制症候群ウイルス(HIV)がある。これら二者とは異なりHCVでの性行為による感染はまれである。

ウイルス培養抜きで研究が進んだ初めてのケース

C型肝炎はウイルス研究史上きわめて特異なウイルスだ。培養細胞を用いたウイルス培養を確立することなく研究が進んだ史上最初のウイルスなのだ(注1)。ウイルスゲノムは+鎖の一本鎖RNAで、このRNA自体がmRNAとして機能する(注2)。このRNAは3,000アミノ酸残基からなるポリペプチドをコードしている。このタンパクは細胞内でプロテアーゼ分解されて、10個のポリペプチドになる。その各々がウイルス複製に必要なタンパクとして機能する。当初患者血清中に見出されたRNAには類縁ウイルスで見られる3'側の非コード領域が存在していないことがわかった。そこで人工的にオリゴRNAを付加してやることでチンパンジーでの肝炎発症能を与えることに成功したのだ。Full−lengthのRNA転写物をチンパンジーの肝臓に注射してやると、チンパンジーは肝炎になり、かつそこからは注射したものと同じ配列のRNAが回収される。このことによりこのウイルスがC型肝炎の唯一の原因であることが証明された。だからHCV分子生物学時代の申し子のようなウイルスだ。

この病原性をもつ裸のRNAを獲得することが、HCVの研究を進める上での重要なステップとなる。

スクリーニング、診断、そして予防?

さらに抗原の取得も容易になったので、これらを用いた血清反応も確立された。そのため輸血用血液のスクリーニングも1,990年代初頭に確立した。この輸血用血液におけるHCVのスクリーニングを世界で最初に導入したのは日本赤十字社であった。当然患者の診断も可能となった。

C型肝炎の予防上重要なことは、このウイルスに対する有効なワクチンが未だ作られていないことだ。その理由は、HCVには6つの遺伝型と複数の血清型が存在するので、それらに対応するためのワクチン開発には大きな困難がある。

そしてこのワクチンの問題が抗HCV薬剤に向かわせることになっている。

HCV薬の開発

HCV薬のスクリーニングにおいてもウイルスRNAが導入された培養細胞が威力を発揮した。標的として用いられたウイルスタンパクはNS3/NS4(セリンプロテアーゼ、ヘリカーゼ、およびその補助因子)、NS5A(RNA複製調節因子)、それにNS5B(RNA依存性RNAポリメラーゼ)だ。

これまでに多くの低分子化合物が得られ、現在は14通りにものぼる治療法FDAの承認を受けている。どうやらC型肝炎も”死に至る病”ではなくなったようだ。

 

父の話に戻るが、HCVの配列決定の段階で感染してから既に25年、有効な薬剤が登場した時には既に死去していたので、どう考えても間に合うような状況だ。かつてペニシリンが普及したときにも同じような思いを持った人が数多くいたに違いない。

 

(注1)これは1,989年のサイエンスに出ている。C型肝炎は以前はnon-A non-B肝炎と呼ばれていた。患者の検体の濾過物がチンパンジーに肝炎を起こすので、病原体がウイルスであることはほぼ確実であった。このチンパンジーの血漿を超遠心で濃縮し、そこから得た核酸からcDNAライブラリーを作成した。これをスクリーニングしたところ、クローン1 x 10^6個のうち1個が患者血清と反応するタンパクを産生することがわかった。これを手掛かりにハイブリダイゼーションを繰り返して全長cDNAを得たのだ。現在の手法ではいわゆるRNAseqで一網打尽に配列決定することになる。このテクノロジーの進化に要した時間は15−20年である。

(注2)HCVはフラヴィウイルス科(family Flaviviridae)に属する。この科で疾患に関係するウイルスはフラヴィウイルス属(genus Flaviviridae)のウイルス群で、ジカウイルスやデングウイルスなど本ブログに登場してきたウイルスが含まれる。HCVはこれとは別のヘパシウイルス属(genus Hepacivirus)に含まれる。

ミツバチのカースト制はエピジェネティックに決められる?

少し前にエピジェネティクスとは何かと書いたが、今回の話は同じゲノムDNAを持った動物個体がなぜ異なる社会的役割を果たすようになるか?ということだ。この仕事自体は4年も前に公表されたものだが、この大問題の攻略法する上での大きなステップだが、さらに今後の課題も示している重要な論文だと思う(注1)。

よく知られているようにミツバチの巣には女王バチ(queen)、働きバチ(worker)、それにオスバチ(drone)がいる。このうちオスバチは外のコロニーに由来するが、女王バチと働きバチはそのコロニーで孵化したメス個体だ。オスは半数体(未受精)でメスは二倍体である。(このあたりの性決定機構は哺乳動物などのそれとは相当違う。)

ハチ(ここでは主にセイヨウミツバチ(Apis mellifera)を話題にしているが)の社会構造については一般にも結構知られている。私も素人なのでこの点についてはここでは詳しくは書かない。いくつかのサイト、例えば山田養蜂ミツバチ研究支援サイトに詳しく述べられているのでそちらを参照されたい。これらのサイトは大変参考にる。

 

ここで問題にしているのは同じメスのなかでも女王バチと働きバチのハチ社会における役割(カースト)がどのように決定されているかという疑問だ。同じような遺伝子組成を持っているこれらのハチ達がいかにして異なる行動様式を獲得するか? 同じ遺伝子組成を持つ細胞が異なる挙動を示す際のメカニズムとしてエピジェネティックな出来事が介在している可能性が考えられる(注2)。

例によって先行論文がある。

生まれたてのメス幼虫(L1)でsiRNA法によってDNAメチルトランスフェラーゼ3(Dnmt3)の発現を抑えてやると、その大部分がローヤルゼリー抜きでも女王バチになるというものだ。Dnmt3はメチル化されていなかったシトシン塩基に新たなメチル化が生じる(de novo methylation)ために必要とされている。一般的な理解ではDNAのメチル化はその領域の遺伝子発現を抑制する。(ミツバチでもこう言い切れるがどうか、少し自信がないが。)だからこの結果が示唆することは、メスバチでは発生初期のある時期に発現する遺伝子が抑制されれば女王バチになる。このDnmt3が抑えられている状態ではローヤルゼリーを給餌しても女王バチにはならない。この想定される遺伝子が抑制されなければ(発現すれば)働きバチになるということだ。そしてこの”抑制”は自然界ではローヤルゼリーの摂取によって引き起こされるはずだ。ではメチル化が起こっている遺伝子は何か?

 

この疑問に対する答えを得るべく、Andrew Feinberg(Johns Hopkins University)は、これらのメスバチのゲノムDNA上のメチレーションパターンに違いを求めた。異なるパターンを示すゲノム領域上に問題の遺伝子が存在するはずである。動物の行動は脳の機能によって決定されるので、脳のDNAのメチル化パターン(メチルシトシン)のパターンの比較を試みた。

今問題としているのは女王バチと働きバチとのメチル化パターンの相違だ。文字通り”女王”と”しもべ”の違いを探ろうとするのだ。この両者は遺伝的には同じようなメスでり、本質的な違いはない(異父姉妹のことはあるが)。両者の違いは生育時の餌の違いによるのだ。両者の行動パターンのみならず、繁殖能力、さらには寿命の違いまでをも決定しているのは一体何によるのか?ということだ。

Feinbergらはメチル化パターンの違いを追求した。ゲノム上の各領域でメチル化のされ方に顕著な違いのある部位をdifferentially methylated regions(DMRs)と呼ぶ(注3)。 最も知りたいのは女王バチと働きバチとの間でのDMRsの違いだが、残念ながらこの両者の間には特に違いは見出せなかった。

ところで働きバチといってもそれらは大きく分けると二つの群(サブカースト)に分けることができる。一つはnurseで、もう一つはforagerだ。各々養育係りと餌集め係りとでも呼ぶのだろうか。働きバチがこのどちらになるかは最初から決まっているわけではなく、どの働きバチも最初は巣の中心近くにいるのでこれらはnurse、これらが若い働きバチに押し出されて巣の周辺に押し出されるとそれらはforagerとなる。だから遺伝的には同じ働きバチが状況に応じて異なる社会的役割を果たすことになる。女王バチで”外れ”を引いたFeinbergらはこの二群の働きバチの脳DNAのメチル化パターンに着目したのだ。

結果は期待したように、nurseとforagerの間には異なるDMRsが見出された。これらの部位にある遺伝子の多くは転写調節やクロマチンモデリングに関わる遺伝子であった。このnurse→foragerの変化を逆戻り(forager→nurse)させるべく次の実験を行った。女王バチと幼虫しかいない状態にした巣にforagerを戻してやると、foragerは必要に応じてnurseに戻る。この時のハチの脳のメチレーションの状態を調べてやるとnurse型のメチル化パターンに戻っていることがわかった。

だから働きバチの間での社会的役割の違いと脳DNAのメチレーションパターンには一定の関係があり、かつそのパターンは可逆的に変化するのだ。行動と関連したメチレーションパターンが可逆的かつ安定に書き換えられることを明らかにしたのはこの仕事が初めてだ。

一般にDNAのメチレーションはその部位の遺伝子発現の状態と負の相関があるが、このミツバチの実験でもそれは確認された。

 

Feinbergらの論文の中身を一言で言うと、(1) 女王バチと働きバチの脳DNAのメチレーションパターンには差が見出されなかった、(2) 働きバチのうちのサブカースト、nurseとforagerの間にはDNAメチレーションパターンに差が見出されたということだ。

そうすると、依然として当初の疑問は残る。それは”女王バチと働きバチの行動の違いはどのようなエピジェネティックな機構に支配されているのか?”だ。 

先行論文の結果はDNAのメチル化がカーストの決定を支配していることを想定させる。ではなぜ両者の脳のDNAにメチレーションパターンの違いが見つからなかったのだろうか?

いくつかの答えが考えられるが、その一、メチレーションパターンの違いは発生初期の短時間に限られるのではなかろうか? 女王バチの不可逆性を考えるとこの可能性は高い。 その二、脳のうちの特定のニューロンが女王バチ化に関わるとしたら、その違いは脳全体のDNAを調べても薄められていてわからない。このどちらか一方、あるいは両方の可能性を考慮する必要がありそうだ。

女王バチになるために必要なことはローヤルゼリーを与えられることだ。この中の活性をもつ物質は、ロイヤラクチン(royalactin)という分子量170 kdのタンパクで、これ単独で女王バチの誘導ができるという。これは鎌倉昌樹(富山県立大学)が発見した。Dnmt3の発現抑制が女王バチになることを誘導したことから、特定の遺伝子(群)にメチル化が起こらないことが女王バチ化に必要だと推定された。しかしこのメチル化の阻害はロイヤラクチンのシグナルをmimicしているに過ぎないとする見方もできる。その場合は、自然の状態での女王バチと働きバチの間にメチル化パターンに差がなくても差し支えない。

 

(注1) この論文を出したのはAndrew Feinbergのグループで、彼は先月のエピジェネティクスのシンポジウムで話をしている。ただしそのときの話はもっぱらがんに関することで、ミツバチの仕事はサイドビジネスであったようだ。

(注2)エピジェネティック以外のメカニズムでは、免疫現象、それに記憶・学習などの高次神経現象がある。これらの現象は生まれた後の環境によってそのありかたが大きく影響される。特異免疫の発動では体細胞レベルでの遺伝子の繋ぎ換えや高頻度の突然変異が起こるので、これはゲノムが書き換えられるという意味で”遺伝的”あるいは”遺伝子的”現象(実際に特異免疫が子孫に遺伝するわけではない)ともいえる。

(注3)ゲノムワイドでのDNAメチル化パターンの決め方はここでは詳述しない。現在は第二次ゲノムブームであって、そのためエピジェネティックデータの山も築かれつつある。しかしそうして得られたDMRsの情報も、その大部分は生物学的意義が不明である。その理由はそれらのエピジェネティックマーカーを人為的に操作する手法が存在してこなかったからだ。これに関わる新手法を近く紹介したい。

環状RNAの衝撃

もう三週間前のことになるが、Pier Paolo Pandolfi(Beth Israel Deaconess Medical Center, Harvard Stem Cell Institute, Boston)の話を聴いた(10/28)。内容は衝撃的で、まさに未開の荒野を突き進むといった話だった。中身を一言でまとめると、”細胞内に環状RNAが生成し、これが発がんに寄与している”という話だ。10/19記事に続いての”RNAもの”だ。RNAは今すごくホットだ。

筆者は環状RNA(CircRNA)で想起したのは環状DNAであった。環状DNAはゲノム上の繰り返し配列が細胞の相同組み換え機構によって切り出されて染色体から出てくる現象で、ある種のゲノム不安定性と捉えられている。しかし今回の環状RNAは繰り返し配列の関与はあるが、全く素性の異なるものだ。

CircRNAはmRNA前駆体がスプライシングされる過程で、一つのエクソンに続いて前の(5’側)エクソンが出現することによってできる。子犬が自分の尻尾を追いかけて廻るような感じだ。これが異常なスプライシングによるものかどうかは議論の分かれるところで、いわゆるオルタナティブスプライシングもかなり確率的な現象であると捉える向きもある。

CircRNAは正常細胞中で作られているが、Alu配列の存在により促進される

Pandolfiらの仕事に先行する論文ノースカロライナ大学(University of North Carolina)から2,013年に出されたもので、ヒト繊維芽細胞に見出される環状RNAの配列を決めたものだ。そこでは環状RNAを濃縮するために、RiboMinus kitリボソームRNAを除去した上で、さらにエクソヌクレアーゼ活性を持つRNaseRで直鎖状RNAを消化した。残ったRNA塩基配列をIlluminaで決定したのだ(注1)。その結果あるエクソンの下流に先行するエクソンの先頭が出現するようなものが得られ、これをCircRNAと同定した(注2)。単一エクソンでからでもCircRNAができることもある。

これらのCircRNAは細胞内では同じ遺伝子から転写された直鎖RNA(mRNA)よりも安定であった。さらに興味深いことに、二つのイントロン内に逆向きのAlu配列が存在する場合はCircRNAがより多く産生された。

こうした逆向きの繰り返し配列が一本鎖RNA上にあると容易に対合して二重鎖となり。その結果、巾着型の構造を作る。そのため本来近傍にはないスプライシングドナー(SD)とスプライシングアクセプター(SA)が近づいてしまう。その結果、スプライシングの着地点が先行するエクソンになるのだ。こうした”異常な”スプラシシングの結果できるRNA配列をbackspliceと呼んでいる。この過程を視覚的に分かりやすく示した図が論文中Fig. 10に出ている。

この論文によって正常細胞内での環状RNAの存在は確定したといってよい。

白血病細胞の転座遺伝子からできるCircRNA(F-CirRNA)

Pandolfiの話に戻る。

彼らの興味は特に染色体転座に際して生じるCircRNAの腫瘍発生における役割だ。この講演の中身は今年Cellに出された論文に出ているので筆者はそれに当たった上でこの記事を書いている。

がん細胞(特に白血病細胞)では融合遺伝子を生み出すような染色体転座が往々にして認められる。こうした融合遺伝子(およびその産物である融合タンパク)は腫瘍発生にポジティブに寄与する(注3)。だからこうした”がん特異的染色体転座”のがん化機構はもっぱらこれら融合タンパクの発現によるとされてきた。

ところが、染色体転座は往々にしてAluのようなゲノム上に散在する繰り返し配列が近傍に出現することを許す。そのため正常細胞よりも多量のCircRNAが作り出される可能性が考えられたのだ。

白血病細胞の転座遺伝子から作られるF-CirRNAはがん細胞の性質に寄与している

Pandolfiらは融合遺伝子に由来するCircRNAを特にF-CircRNAと呼んでいる。この論文では急性前骨髄性白血病(APL)でよく見出されるPML/RARα融合遺伝子からF-CircRNA(F-CircPR)が作られていることを患者細胞で示した。他に急性骨髄性白血病(AML)で見られるMLL/AF9融合遺伝子からも、F-CircRNA(F-CircM9)が作られていることを細胞株で明らかにした。最初の解析として、これらF-CircRNAの腫瘍原性への寄与を明らかにする一連の実験を試みた。

まず細胞内でCircRNAを発現させるために実際にF-CircRNAで見られたエクソンとそれを挟んだイントロン二つをを持ったレトロウイルスベクターを作って細胞に導入した。最初にこれからできる環状RNAの存在を確認した上で、不死化したp19Arf-/-マウス線維芽細胞でCircRNAを発現させた。その結果細胞はベクターのみを導入された細胞に比べて高い増殖能とフォーカス形成能を獲得していた。これらは要するにがん化した細胞の特徴だ。この段階ではF-CircRNAによるこれらのフェノタイプ(すなわちcellular transformation)が真にF-CircRNAによるものかは不明であった。同時に発現している直鎖RNAに起因するかもしれないからだ。この最も重要なポイントは、F-CircRNAのみを壊すようなshRNAを発現によってフェノタイプが消失することで証明された(注4)。

F−CircRNAは転座タンパクによる腫瘍原性を促進する

次いでHSC(造血幹細胞)にF-CircRNAを発現させたときに白血病ができるかどうかを調べた。マウスHSC(KLS−cells、これは全く正常な細胞群)にF−CircM9を発現させて、これをメチルセルロース中でのコロニーアッセイに用いた。その結果、血液細胞の分化、増殖には全く影響がなかった。さらにこれら細胞をγ線照射したマウスに移殖して、3ヶ月間観察した。しかしマウスは特に白血病を発症するものではなかった。したがって、F-CircRNA単独の発現だけでは白血病形成には十分でないものと判断された。

もともとF-CircRNAは元の転座融合遺伝子がゲノム上に存在するときのみにできる。さらに転座融合遺伝子はそれ単独の導入で白血病を作らせることができる。そこで次の疑問は、F-CircRNAが転座融合遺伝子(タンパク)で引き起こされる白血病形成を促進するか否かということだ。

そこでHSCにMLL/AF9のcDNAを発現させた細胞(これらはGFP陽性となるように仕組んである)をソーティングで集め、これをγ線照射したマウスに移殖した。このような細胞はpre-leukemic phaseになることが既に確立している。移殖後2ヶ月でマウスは白血病を発症し始める。これを土台にして本実験を試みた(注5)。

発症したマウスからGFP+細胞をソーティングし、これにF-CircM9を発現するベクターを導入する。ここではF-CircM9陽性細胞がdsRedを発現するように仕組んでいる。対照として、空ベクターとF-CircM9-Mutを発現するベクターを並べて用いている。後者はback splicingが起こらなくなるようにSDの配列に塩基置換を加えたものだ。この場合はF-CircM9が形成されない。再びdsRed+細胞をソーティングし、それらをin vitroとin vivoの実験に用いた。

結果を要約すると、F-CircM9はMLL/AF9によるin vitroでの細胞増殖と、コロニー形成能の効果を増強することがわかった。対照として用いたF-CircM9-Mutは同様の効果をもたなかった。だから環状RNAが確かに寄与していることが明らかである。

F-CircM9がIn vivo白血病系性能に寄与しているかどうかを明らかにするために、in vitroの実験で用いたのと同様の細胞500個を用いた。これは比較的少ない細胞数である。γ線照射したマウスに移殖して、3週間後にマウスを殺処分した。その結果、F-CircM9はを発現している細胞のほうが、対照に比べてより多くの白血病細胞が脾臓と骨髄に認められた(注6)。

以上のことから、MLL−AF9融合タンパクを発現している細胞ではF-CircM9の発現が白血病形成に寄与していることが結論された。

F−CircRNAは白血病の薬剤感受性を低下させる 

F-CircRNAが白血病形成を促進する事実だけでも十分エキサイティングだ。しかしPandolfiらはさらに、F-CircRNAが白血病細胞の化学療法剤への耐性を賦与するかどうかを調べた。この点は無論がん治療においては重要な性質だ。(但しこの疑問が論理的必然に導かれているわけではなく、トップジャーナルに掲載させるために苦闘した結果だと思う。)

この疑問に答えるために、上述のHSC [MLL/AF9]を用いた。白血病治療に用いられている三酸化ヒ素(ATO)で細胞を処理した後に、in vitroのコロニー形成能と細胞増殖を調べた。その結果、F-CircM9を発現している細胞はコロニー形成、増殖とも対照(空ベクター)に比べると旺盛であった。

同様の結果は別の実験系、すなわちK562細胞にF-CircM9を発現させた上でAraC処理した際にも観察された(注7)。したがってF-CircM9を発現している細胞は化学療法剤にin vitroで耐性であるが判明した。さらに上述のマウスの実験系により化学療法剤への耐性はin vivoでも起こっていることも確認された。こうした化学療法剤耐性の機構の解析はこの論文では全く不十分だが、F−CircRNAがアポプトーシスを抑えているといったデータを付け加えている。

論文のDiscussionの最後にはおきまりのように今回示したF-CircRNAの生成、または活性を阻害することによって、新しいタイプのがん治療が可能になるかもしれないと述べる。しかしこれは道遠しであって、今回はF-CircRNAの白血病形成における意義が明らかにされたことで十二分と思う。

次のステップは、このようなF−CircRNAの白血病形成促進能のメカニズムの解明ということになる。これをどう攻略するかを考えることはとても良いトレーニング(頭の体操)になる。私も体操中だ。

 

最後になるが、Pandolfiとは20年近く前にお話ししたことがあるが、当時はいかにもスマートでシャープな研究者(あるいはビジネスマン)という印象であった。しかし彼も年齢を重ねてある種の重みを醸し出していた。しかし仕事の中身はたいへんチャレンジングだ。

 

(注1)このプロセス全体を"CircleSeq"と呼んでいる。細胞内のリボソームRNAは量で他のRNA種を圧倒しているので常に問題となる。

(注2)最終的に環状RNAであることの確認は、RT−PCRおよびノーザンブロットとRT−PCRを組み合わせることによって行っている。

(注3)このような染色体転座は代表的ながん遺伝子活性化のメカニズムの一つ。

(注4)具体的にはback splicingで生じる環状RNA上に生じる繋ぎ目の配列を攻撃するように設計したのだ。こうした実験には未だにsiRNA(あるいはshRNA)法がはなはだ便利だ。

(注5)白血病細胞を移殖する際には、骨髄などにある血液系細胞の数を減らすことにより移殖細胞のニッチを作ってやる。γ線照射はそのための有効な手段だ。

転座融合タンパクの発現は転座遺伝子のcDNAを導入することによるので、いわゆるback splicing起こるためのエクソン/イントロン構造は存在しない。だからこの操作によってF-CircRNAは生じない。 F-CircRNAに関してはこの点で”きれいな”実験系と言える。

(注6)血液系細胞のin vivoでの増殖能の比較は、2群の細胞を同数に揃えて混合した上でマウスに静脈注射してやることが多い。各群の細胞はマーカーを検出することでその比率、すなちどちらが優先的にin vivoで増えたかがわかる。幹細胞としての能力を調べるときにはこれをcompetitive repopulation assayと呼ぶ。今回の研究ではこうした厳密な比較の方法が用いられているわけではない。こうした競合的アッセイは、微妙な比較を試みる際に大変有効である。

(注7)これは論文著者ら自身が指摘していないポイントだが、K562細胞はBCR-ABL転座(t(9;22)(q34;q11))を持っている慢性骨髄性白血病(AML)細胞株だ。F-CircM9の元であるMLL−AF9転座とは配列が異なる。すなわちheterologousである。これから言えることは、がん細胞における環状DNAの存在は、転座を起こしている遺伝子座以外に由来するものでも良いということだ。このことからF-CircRNAの発がん促進における機序が推定されるが、ここでは深入りしない。これも頭の体操。

 

 

 

新大統領のもとでの科学政策は?

ドナルド・トランプの当選により彼が時期大統領になることが決まった。大統領選の勝敗は敗者の”敗北宣言(concession speech)”によって決定されることになっているので、これは最終的な結果である。これで多くの分野の政策が変更されるであろう。科学政策もその一つだが、既に各方面から不安の声が上がっている。トランプ自身の科学(および技術)への認識で明らかにされているのは以下の諸点。これらは選挙の翌日(11/9)のNatureオンラインでまとめられている。

⒈ 二酸化炭素濃度の増加と地球温暖化との関係を認めていない。

⒉ NASAにおける宇宙開発を低高度軌道の商業宇宙飛行のための組織に矮小化しようとしている。

⒊ 移民に対する非妥協的姿勢が外国人研究者、学生の滞在を阻む可能性がある。

⒋ 空席となっているNASAやNAOAA(アメリカ海洋大気庁)のトップの任命権を持っている。これらの機関は上記1、2と関係する。

⒌ やはり空席になっている最高裁判事(複数)の任命権をもつ。最高裁の判決が地球温暖化に対する政策に大きく影響する可能性がある。

最初にあげた温暖化についてはトランプ本人はパリ協定からの離脱を考えている。しかしこの離脱は手続上4年の任期中には不可能であるらしい。いずれにしても地球温暖化対策で米国のプレゼンスは後退し、主導権が中国に握られる可能性がある。(いうまでもなく日本は既に出遅れている。)

医学生物学研究の話をすると、オバマ政権の最後の予算年度(7月→6月)である2,016年度には16%程度のNIH予算の増額があった。これにより当然研究者たちはNIHグラント増額の恩恵に与っている。この増額傾向が新政権でも続くかどうかは重要だが実際には不明である。過去の政権の科学政策を振り返ると、一般的に共和党政権下では科学研究予算は潤沢ではなかった。だから筆者は悲観的に見ている(注)。

以上の諸点を眺めると、一言で言うとトランプ氏の科学全般への理解の乏しさが窺える。これは別に驚くことではなく、見かけどうりだと言えるだろう。米国での医学生物学研究ではいろんな意味で(特に倫理的な)制約が小さい。これが米国での生命科学研究のスピードを許してきたのだ。例外的だがGWブッシュ政権はヒト幹細胞研究を凍結した。これはブッシュ本人の信仰に根拠があった。このような特定の研究領域への制限が新政権でも課される可能性は皆無ではない。その場合は(日本を含めた)米国以外の国々にその分野でのアドヴァンテージが移ることになる。

 

(注)基本的に研究費の多寡が研究の量と質を決定すると考えられる。しかし特に医学生物学分野においては米国の研究スタイルは(私見では)資金が潤沢にあることを前提としている。この点については英国型の研究スタイルを導入することが必要になるかもしれない。(これには午前・午後のお茶の時間の考慮とかも含まれる。)米国型の欠点の一例はグラントに研究者の雇用が相当程度に依存していることである。

”酵母は理想的なモデル生物”か?

大隅良典教授が安倍晋三首相と面会した際にオートファジーをデザインしたラベルのついた日本酒を贈ったことがニュースとなっている。このデザインはとてもセンスが良い。

大隅は”酵母は理想的なモデル生物”と述べている。これは本当だろうか? この問題を議論するときりがないので(本当にきりがない)、気がついたことを適当に書いてみる。

この記事について誤りの指摘があったので、その箇所は直しました。11/4/16

⒈ 大腸菌が理想的なモデル生物?

分子生物学の黎明期には大腸菌やファージがモデル生物であった。これは自律的に増殖する生物のなかで実験室で容易に維持、増殖が可能で、”ある程度”単純な生物が大腸菌だったのだ。当時の組み替えDNA技術や塩基配列決定技術が”力不足”であったため、また知識の蓄積が乏しかったので、単純な対象を選ぶ必要があったのだ。大腸菌のゲノムサイズは4.6 Mbである。大腸菌に感染するラムダファージは48,502 bpだ。

大腸菌の研究によりDNA複製機構などの生命の基本的な仕組みが”分子生物学の言葉で”解明された。

大腸菌は高等動植物のモデルとしては自ずと限界があったが、未だにプラスミド作成やタンパク生産で道具として盛んに用いられている。

⒉ 酵母を使って解ること、解らないこと

大隈の用いている酵母とは出芽酵母(budding yeast、Saccharomyces cerevisiae)のことだが、これは筆者が最近論文を紹介したビール酵母と同じ種だ。これはビール、パン、ワイン、日本酒と、幅広い発酵食品を作るのに用いられている。だからこの酵母を道具として用いた研究が最も進んでいるのも自然なことだ。

真核生物なので大腸菌の持っていないシステム、例えば染色体構造(セントロメアなど)や体細胞分裂減数分裂の仕組みの解明には威力を発揮している。DNA複製、DNA組み替え、DNA修復の機構も基本的にヒトのシステムとよく似ている。細胞周期の機構の基本的な部分は酵母によって明らかにされ、これはやがてヒトの発がん機構の解明につながる。

但し、ヘテロクマチンやテロメアの構造は、高等生物とは相当異なっている。ヘテロクロマチンについてはもう一つの実験室酵母である分裂酵母Schizosaccharomyces pombe)の方が高等生物と類似性がある(注1)。

当然多細胞生物で見られる様々な現象、例えば発生・分化、がん化の研究、さらには期間レベルでの生物学、行動・学習等の神経活動の解明には全く役に立たない。こうした意味で出芽酵母は単純すぎる生物であり、ゲノムサイズも小さい(12 Mb)。

⒊ モデル生物の変遷

最初に分子生物学の黎明期には大腸菌やファージがモデル生物として用いられたことを述べた。その後、局面に応じて異なるモデル生物が好んで用いられてきた。私はこのことを理解する上で、2,002年にノーベル賞を受けたSydney Brennerの研究歴を辿るのがよい思う。

Brennerが遺伝生化学の材料として選んだのはアカパンカビ(Neurospora crassa)であった。これは分子生物学以前の仕事だが、タンパクをコードする遺伝子の遺伝様式を探るために、培地組成の単純なアカパンカビを使ったのだ。分子生物学的研究が始まると、他の研究者と同じく大腸菌やファージを用いて研究を行った。やがて分子生物学者の興味が大腸菌から高等生物に移ろうとしていた頃に線虫の一種、Caenorhabditis elegans(いわゆるエレガンス)を選んだ。その理由はこの線虫の総細胞数(および神経細胞数)が常に決まっていて発生過程で全ての細胞がトレースできるからだった。このため多細胞生物の発生過程を追求する上でメリットがあると考えたからだ。しかしやがてこの線虫の発生過程はより高等な生物のモデルとはならないことが明らかとなった。一方、発生過程でのいわゆるプログラム化された細胞死(これは機構的にはアポプトーシスと同じだが)が起こり、かつこの機構がヒトなどにも保存されていたので、こちらの方で先駆的知見を生み出すことになった(注2)。

Brennerのモデル生物追求はこれで終わったわけではなかった。前世紀の終わり頃からヒトの全遺伝子を同定しようとする機運が高まっていた(ヒトゲノム計画)。ところがヒトのゲノムはわずか2%しかタンパクをコードしている配列がなく、その他は非コード領域、あるいはゴミのような繰り返し配列に満ちていることがわかってきた。そこでBrennerはフグ(puffer fish)のゲノムに目をつけた。その理由はフグゲノムがわずか400 Mbと、ヒトゲノム(3.3 Gb)の約8分の1にすぎなかったからだ。フグもヒトと同じく脊椎動物なので、ヒトと同様な身体の仕組みを作り、働かせるのに必要な遺伝子の1セットを持っていて、ゴミ配列の割合は低いはずだと考えたのだ。だから闇雲にゲノム配列を読んでやっても約8倍の確率で構造遺伝子に当たるはずだった。

残念なことに、ヒトゲノムプロジェクトの物量作戦はヒト全ゲノム配列の決定に短期間で成功した。これでフグプロジェクトは意義を失ってしまった。しかしBrennerの研究遍歴からわかるように、モデル生物というものは、その時代の研究領域の要請によって最善のものが異なり、適宜選択してゆく必要があるということだ。

⒋ モデル生物の向き不向き

上に挙げたもの以外にも、ショウジョウバエ、ゼブラフィッシュ(メダカ)、アフリカツメガエル、マウス等、数多くのモデル生物が存在し、それぞれ得手不得手がある。これらの各々について、その得手不得手を書き出すときりがないのでこれ以上書くことはしない。研究の種類、目指すところ、スピード感等、あらゆる状況を総合的に考慮した上で適切なモデル生物を選ぶことが必要であろう。ちなみに米国の主要な医学系研究機関では上記のモデル生物の各々を専門とする研究者を取り揃えるべく努力しているように見える。

しかし次世代塩基配列決定技術に代表されるように、現代の医学生物学は徐々にモデル生物への依存性を低下させつつあるように思う。

最初の問いに戻る。大隈ににとって”酵母は理想的なモデル生物である”。成功したのでこれは正しい。しかし全ての場合にこれが当てはまるわけではない。

 

(注1)各酵母種を用いている研究者たちは、各々自分の使っている酵母の方がヒトなどの高等生物のモデルとしてふさわしいと考える傾向がある。

(注2)この業績で2,002年にノーベル賞を受けた。Brennerは生物学の”次の課題”を見通した上で、それに必要な道具を常に考えてきたのだ。

 

鳥インフルエンザ、核軍縮

 ”鳥インフルエンザ、核軍縮”とは何だ?と思われるかもしれないが、最近のサイエンスに出た紹介記事から北極圏の重要性に思い至ったので書いてみる。キーワードは北極。

この記事では家禽の強毒A型インフルエンザ(H5N8)の流行の世界的拡大に対するFAOの見解を示す。それは”生きた家禽の取引”と”渡り鳥によるウイルスの拡散”が重要な役割を果たしているとしている。しかし今回サイエンスの同じ号に出された国際研究コンソーシアムの論文では、渡り鳥によるウイルスの拡散のほうがより重要な役割を果たしていると結論付けている。

鳥の渡りはどのようにして行われているか? 渡り鳥は季節ごとに南北の移動を繰り返す。夏季に北極圏に面したシベリアベーリング、カナダ北部に至る。そこで低緯度地域では別の地域に生息する鳥類が北極圏で一同に会する状態になるのだ。この今回の論文では、2,014年に最初にこのH5N8型が韓国で見出されて以来、継時的に野鳥から分離されたウイルス株の塩基配列、疫学的データ、それに鳥類学的(ornithological)知見を合わせた上で総合的に結論を導き出した(注1)。この中で、特に目を引くのがH5N8ウイルスの分布の地球レベルでの継時変化だ。乱暴だが下にそれを抜き書きしてみる。

 4/30/2,014 東アジア、バイカル湖沿岸

 8/19/2,014 東アジア、サハリン、沿海州、アラスカ、シベリア北西部北極海沿岸

 11/18/2,014 東アジア、米国北西部とカナダ太平洋岸、中欧

 1/12/2,015 東アジア(既に減少)、米国カリフォルニア州付近、中欧

以上のデータは大雑把にいうと、H5N8は東アジアからいったん北上して北極近くに分布している。その後そこから再び南下することによって、多くの温帯地域の国に広がっていることを示している。したがってH5N8の分布は渡り鳥の行動とよく一致している。基本的にウイルスの分布の移動は垂直(南北)方向に起こり、水平(東西)方向には起こっていないのだ。一方、生きた鳥の取引(輸出入)は主に欧州→東アジアの向きに行われていて、これはH5N8の分布の移動とは逆方向になる。

これらの状況から、コンソーシアムは渡り鳥がH5N8を配達していると結論づけた(注2)。

サイエンスの紹介記事では、以上の結果から野鳥におけるインフルエンザウイルスのサーベイランスがきわめて重要であるとする。しかし少し考えればわかる通り、膨大な地域での多数の種の野鳥からどうすれば防疫に役立つ情報が得られるか、よほど賢いプランを作る必要がある。

 

このサイエンスの記事は私にかなり以前の歴史上の重要なできごとを想起させた。それはレイキャビク・サミット(1,986年)と呼ばれる、アイスランドの首都で行われた中距離核戦力全廃条約(IFN)の合意の過程での最も重要な会談だ。これは当時の米国レーガン大統領とソ連邦ゴルバチョフ大統領の間で行われ、欧州からの中距離核兵器の撤去など、多くの具体的成果をもたらした。

当時多くの人々がなぜ”レイキャビク?”と思ったのだ。答えは北極から見るとレイキャビクがちょうど米ソを直線で結んだ線の丁度中間点にあるということだ。この米国−アイスランドソ連邦の関係を普通の地図で見てもピンとこない。だいたい普通の地図では高緯度地方は拡大されていて実際の距離感が全くつかめない。ところがこれを上から見ると、すなわち北極を中心とする地図で見ると確かに米国とソ連邦が意外と近い場所にあり、かつアイスランドがその中間にあることがわかる(下図)。(日ロ交渉はモンゴルでやるのが良い?)

f:id:akirainoue52:20161102052513j:plainさらに今日的問題は、地球温暖化により北極海の氷が解けつつあることだ。これにより、欧州と北米、東アジアをつなぐ短距離航路が北極海にできることになる。このことは単に経済的な意味を持つのではなく、軍事・安全保障上の様々な問題を引き起こそうとしている。経済的側面で無視できないのはそこに広大な未開拓の漁場が出現することだ。それを見越して、あるいはトラブルを未然に防ぐことを目的として、既に世界の有力漁業国が会合を持って、ルールづくりの準備を進めている(注3)。 

 

21世紀は太平洋の時代ということになっているが、北極海も無視できない。

 

(注1)ヒトのインフルエンザウイルスのレゼルボアとして野鳥に着目したのは我々の病院のRobert Websterで、1,970年頃の論文で既にその可能性を示している。生きた家禽の取引の重要性も指摘していたが、彼は主に中国大陸→香港のルートを問題視していた。A香港型(H3N2)を想起されたい。なおWebsterはComassie Brilliant Blue(CBB)染色法の発明者の一人である。

(注2)インフルエンザウイルスの防疫の最大の問題は新型ウイルスの出現だ。これはヘマグルチニン(H)とノイラミニダーゼ(N)の新しい組み合わせで起こる。これは複数の型のウイルスが同じ細胞に感染し、ゲノムRNA分節の新しい組み合わせが生じることによる。これまでヒトのパンデミーを起こしてきたウイルスのHとNの全ての型は、自然界のトリインフルエンザウイルスから由来している(一方ブタは増幅動物)。そのため極地での野鳥の集合は新たな型のウイルスの出現の場となっている可能性が高い。

(注3)ルール作りの準備とは、北極海で漁業を開始するために必要な情報収集、すなわち学術的調査にほかならない。現段階ではこの調査を国際的にどうやって進めてゆくかが議論されている。この枠組み作りに参加している国、組織はカナダ、中国、デンマークグリーンランド)、欧州連合(EU)、アイスランド、日本、韓国、ノルウェー、ロシア、それに米国である。(この中には最近漁業大国となっているポーランドが含まれていない。)

 

追記 2/18/17 この記事から約3ヶ月後、中国ではH7N9型のヒトへの感染が憂慮されている。これについてはあらためて述べることにする。

 

サラセミアの克服に向けて:Stuart Orkinの挑戦

9月30日、Dana Farber Cancer Institute(Boston, MA)のStuart Orkinの講演を聴いた。(モタモタしている間に一ヶ月ほど経ってしまった。その間シンポジウム、小旅行、シン・ゴジラとかいろいろあった。)Orkinは血液学の大家だ。今回の講演は、サラセミアの治療に向けた基礎研究からその臨床応用までの力強い内容だった。

背景:胎児型グロビン鎖の再発現

サラセミア(thalassemia)は地中海沿岸地方に多発する常染色体劣性の疾患で、主にヘモグロビン産生異常(低下)によって引き起こされる貧血だ。出生後のヘモグロビン分子(HbA)はα鎖とβ鎖、各々2分子(α2β2)からなっている。サラセミアには各々の分子の異常からなるαサラセミアとβサラセミアがある。これらいずれかの鎖にアミノ酸置換がある、あるいは発現量が低いことによりヘモグロビンが正常に作られないのだ。

サラセミアの治療をどうするか? これまで蓄積された研究にヒントがある。ヘモグロビンは発生時期によって異なる遺伝子が使われる。具体的に言うと、胎児期にはβ鎖に相当するγ鎖が発現している(胎児型ヘモグロビン、HbF、α2γ2)。出生と時期を同じくしてこのγ鎖の発現は抑えられ、β鎖の発現が上昇する(注1)。これまでのβサラセミア患者のデータでは、γ鎖の発現レベルの高い患者は貧血の程度が軽いことが知られていた。そこでβサラセミアの治療法として、正常な(野生型)配列を持つγ鎖の再活性化(reactivation)させることの有効性が考えられた。眠れる胎児型遺伝子を起こしてやるわけだ。

サラセミアと並んで重要なヘモグロビン異常は鎌形赤血球症だ。こちらは変異アミノ酸は決まっていて6番目のグルタミン酸がバリンに替わっている。こちらについてもγ鎖の再活性化が有効である可能性が高い(注2)。

γグロビンの発現制御に関わるゲノム領域の探索

γ鎖の発現量に影響を与えているゲノム領域の特定は重要だ。特に出生後にγ鎖の発現を抑えている仕組みを知りたい。γグロビンの発現制御に関わるゲノム領域を特定するために、genome-wide association stusy(GWAS)が複数の研究グループにより行われた。その結果、胎児型グロビン(HbF)の発現と相関(association)を示す3箇所のゲノム上の領域が特定された。それらはβグロビン遺伝子クラスター(γ鎖遺伝子も含まれる)そのもの、HBS1LMYB遺伝子とに挟まれた領域、それにBCL11Aであった。BCL11Aは転写抑制因子として知られていたが、赤血球生成における機能はこれまで明らかにされていなかった。

マウスを用いた研究で、BCL11Aの発現を低下させてやると胎児型グロビンの発現が上昇することが明らかとなっている。特に赤芽球系でのBcl11aコンディショナル・ノックアウトマウスでは、成体における胎児型ヘモグロビンの発現抑制が解除されていた。(すなわち胎児型ヘモグロビンの発現が誘導された。)このことからマウス成体での胎児型ヘモグロビンの発現抑制には、BCL11Aがアクティブに関与していていることが判明した。

以上の知見はサラセミア患者において、γ鎖の再活性化が治療法として希望がもてるという考えを支持する。

BLC11Aは様々な転写因子やクロマチンモデリング因子とともに巨大な複合体を形成している。しかしこれらのなかでBCL11AのみがHbFの発現に”特異的に”関与していて、赤血球生成そのものに影響を与えないことがわかった。これはサラセミア治療の標的としてきわめて望ましい性質である。その他の因子の除去では赤血球生成の過程そのものが影響を受けるのだ。

BCL11Aの発現に影響をコントロールする配列

そうするとBCA11Aの発現をコントロールしさえすれば胎児型グロビン(γ鎖)の発現を誘導できるかもしれないわけだ。BCA11Aの発現は転写因子がBCA11A遺伝子のエンハンサーに結合することで促される。BCL11Aのゲノム配列には3箇所(+55, +58, +62)のDNase I高感受性領域(DHS)がある。DHSはエンハンサー領域であることが多いが、GWASによって+62と呼ばれるDHS内にHbF発現レベルと高い相関を示すSNPが同定された。実際にこれらの領域のどのような配列が重要かを特定するために、Orkinらは新しい手法を開発した。

この部分は既に昨年のNatureで公表されている。 この部分はこの一連の仕事のなかでキモのところだ。まず不死化されたヒトの赤芽球前駆細胞(HUDEP-2)のCas9を発現する細胞株を作る。これに、可能性のある領域の可能な限り全ての塩基を標的とするgRNAを組み込んだレンチウイルスライブラリーを作る(注3)。これを低MOIでHUDEP-2に感染させ、細胞を増やす。この細胞集団におけるHbF発現細胞の頻度をフロー・サイトメトリーで調べ、その頻度と破壊されたゲノム領域との関係を明らかにした。こうした解析の結果、+58内の42塩基対領域にその領域が狭められた。

治療への道

上の結果から、BCL11A遺伝子のエンハンサー領域内にBCL11Aの発現をポジティブに制御する配列が明らかとなった。そこで赤芽球系の細胞でこの配列を除去してやれば、胎児型グロビン(γ鎖)の発現を促すことができる。すなわちサラセミアの治療が可能となると考えられた。しかしよりプリミティブには、赤芽球特異的にBCL11Aの発現自体を抑えてやっても同様の効果が得られるはずだ。

これを実現するために、OrkinらはsiRNAを試みた。最初に試みたのは血液幹細胞(lineage-free cells)にBCL11Aを標的とするshRNAを発現するレンチウイルスベクターの導入だ。このベクターではSFFVプロモーターの下流にshRNAが置かれ、血液細胞の分化とは無関係に常にshRNAの発現を促す。したがってこの方式では赤芽球特異的な方法ではない。こうして得られた細胞を移植されたマウスでは、血液幹細胞のS期とG2期の割合が上昇していた。本来血液幹細胞では細胞周期の進行が精妙に制御されているわけだが、この制御がうまく働かなくなっていることを示していて、幹細胞がやがて枯渇する兆候である(注4)。だから血液幹細胞でのBCL11Aの不在は好ましくない結果をもたらすことが明らかだ。

そこで彼らは同じshRNAを赤芽球系のみに発現させるべく、βグロビンプロモーターの下流にshRNAを配置したレンチウイルスベクターをデザインした。これを血液幹細胞に感染させた上でマウスに移植する。すると今度は幹細胞への悪影響が出ずに、なおかつ赤芽球でのγ鎖の発現の上昇を見た。さらに重要なことは、鎌形赤血球症のモデルマウスで貧血の症状の改善が見られた。

というわけで、マウスの赤芽球で特異的にBCL11Aの発現低下を起こすことで、胎児型ヘモグロビンの誘導に成功したわけだ。このマウスでの結果は、ヒトの治療への応用へ向けて大きな期待を抱かせるものだ。しかし我々はこれまで数多くの治療がマウスでは効くが、ヒトでは効かないということを見てきた。ヒトでの重要なポイントは、shRNA発現細胞をヒトの体内に戻したときの定着性、持続性、さらには最も重要なγ鎖(およびHbF)の上昇、および安全性である(注5)。これらについて今後の進展を見守ることになる。

しかしこうしたex vivoでの細胞の改変を要する療法は当然高額な医療となる。これは世界的に見れば、サラセミア患者の多い国、地域のすべての患者に適用するわけにはゆかない。こうした貧しい国々の人々へ福音をもたらすものは、やはり低分子化合物、つまり”薬”なのだ。OrkinらはBCL11Aの発現を抑制するような低分子化合物の探索を開始した。そこで用いられたスクリーニングはやはりOrkinらしく、知恵の込められたものだった。しかしこの部分はまだ論文として公表されていないようなので、また私自身中身の誤解もありうるのでこれ以上詳細をここに紹介することは控えたい(注6)。

人類への福音:答えは”薬”

分子生物学の進歩は疾患治療における遺伝子の導入(遺伝子治療)や改変細胞による治療の可能性を開いた。現在はより正確で高効率なゲノム改変法(ゲノム・エディティング)が登場して、遺伝子や細胞をいじる治療法の可能性がより広がっている。しかし繰り返しになるが、これらは人手と費用がかかる。だから地球上の全ての人々に福音をもたらすわけではない。一方低分子量化合物(これらはいわゆる古典的な”薬”であるが)はより安く、さらには簡単に治療の恩恵にあずかることができる。

いわゆるドラッグ・スクリーニングに比較的アクセスしやすくなった今、MD研究者がこの方向を目指そうとするのは必然とも言える。Stuart Orkinはその長い研究生活でそこに到達している。

 

(注1)βグロビン遺伝子クラスターε、Gγ、Aγ、α、βの順に並んでいる。これらのコーディング配列の先頭にLCRと呼ばれるエンハンサーが存在する。これは数あるスパーエンハンサーのプロトタイプである。詳細は多くの総説に詳しい。

(注2)鎌形赤血球症はおそらく日本ではほとんど問題にならないと思うが、米国ではアフリカ系では365人に1人の割合で罹患していて、総患者数は約10万人と無視できない数だ(データはCDCによる)。そのため治療法の研究が盛んに行われている。

(注3)ここでの制約は主にPAM配列の有無ということになる

(注4)この幹細胞の枯渇については別途Bcl11aノックアウトマウスを用いて血液幹細胞の”老化様”フェノタイプを確認している。

(注5)今回紹介した方法がレンチウイルスベクターを用いていて、かつ血液幹細胞を操作する以上、白血病の危険性から免れるわけではない。これを回避するためにはゲノム・エディティングを用いるのが良い。しかしこれとても、オフターゲット効果がゼロにできるわけではない。

(注6)低分子量化合物を医薬として適用する場合は標的以外の全身のすべて細胞に影響が及ぶので、サラセミアの場合のように全人生の期間に投与を受けるような医薬はこうした副作用を深刻に考慮する必要がある。これは副作用があってもがん細胞を叩くことが優先するような場合(すなわちがんの化学療法)とは全く事情が異なる。