メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

2019 Biomedical Symposium: Germline Predisposition to Cancer

今年のSt. Judeシンポジウムは"Germline Predisposition to Cancer"のテーマで先週金曜日にあった。

Predispoditionとは日本語にしにくい言葉だが、親から受け継いだがん関連遺伝子の変異が、特定の腫瘍の発症頻度を高めかつ発症時期を早めるということだ。

一般的に知られているモデルを挙げる。がん抑制遺伝子の片方のアレル(allele)が最初から失活していて(inherited)、残りのアレルが体細胞突然変異(somatic mutation)を起こすことで両方のアリルが失活する。そのためにがん化が引き起こされるという現象が知られている(注)。これを2–ヒットセオリーと呼び、多くのがん抑制遺伝子で2−ヒットの失活が起こっていることが明らかにされた。これはgermline predispositionの典型的な形だ。

今回のシンポジウムでは、こうしたpredispositionの様相、機構が、21世紀的手法でどのような新展開がもたらされたかを知るための良い機会になると、多少期待していたわけだ。

最初の講演はHospital for Sick Children(トロント、加)のUri Taboriによるもので、演題は "Replication Repair Deciency and Hypermutation: From a Rare Childhood Syndrome to Novel Therapies"。DNAポリメラーゼ(主にDNA polymerase ɛ, POLE)のproofreading変異が、あらゆる種類の腫瘍の病相(特に予後)にどのような影響を与えるかが検討されている。Proofreadingとは、多くのDNAポリメラーゼに備わった訂正機能で、誤ってDNA鎖に取り込まれた塩基を3'-5'エキソヌクレアーゼ活性を使って除去する機能である(注2)。この部分に失活変異があると、DNA複製での点変異の発生頻度が高まる。したがってゲノム上のあらゆる部位の変異頻度が上がり、がん化に関与する遺伝子に変異が起こる頻度も飛躍的に高まるのだ。

従来こうした点変異が頻発する腫瘍として、HNPCC(Hereditary nonpolyposis colorectal cancer, Lynch syndrome)がよく知られてきた。この疾患群ではいわゆるミスマッチ修復(MMR)遺伝子群のいずれかにgermline mutationがあると、他方のアレルの失活により大腸がんとなる。こうしてできたがん組織のゲノムDNA上には点変異が通常よりも高頻度で起こり、殊に2塩基あるいは3塩基配列の多数繰り返し領域(マイクロサテライトと呼ばれる)の繰り返し数が不安定となる。このマイクロサテライト不安定性がHNPCCの重要な診断基準となっている。

ところがDNAポリメラーゼのgermline mutationある場合は、MMR遺伝子変異がある場合に比べさらに高頻度にゲノム上の点変異が頻発することが明らかとなった。DNAポリメラーゼ変異とMMR遺伝子変異は一つの腫瘍で共に起こることがあり、その場合は予後は極めて不良であるという。

さて、現代はビッグデータの時代である。上記のMMRの変異があるもの、POLE、さらにはこれら両方に変異のあるもの、それらについてデータベース上の大量のデータから、これら3つのカテゴリーの腫瘍におけるゲノム変異の特徴を抽出したのだ。演者は小児病院の研究者なので、手元にある検体は当然小児の腫瘍のものだ。しかしデータベース上にはより多量の成人腫瘍のデータが蓄積している。そこで演者は成人、小児の両方をデータを解析することで、各カテゴリーのゲノムの変異の仕方(書き換わり方)を抽出したのだ。さらにそのゲノムの書き換わり方から、MMRとPOLEのどちらに先に変異が入ったかが予想できるという事実を導き出している(注3)。ビッグデータの勝利である。

視界が開けるという感覚、これは新技術が出現してきたときにしばしば感じる感覚だ。

(続く)

 

注)このことが最初に示された最初の例は、小児の網膜芽腫で、初めは統計学的解析で、ついで実際のRb遺伝子クローニングとそれに基づいた腫瘍DNAの解析によるものだった。統計学的解析を行ったのはフィラデルフィアAlfred Knudsondだ(1971)。Knudsonはノーベル賞の有力候補と思われていたが、残念ながら2016年に亡くなってしまった。

余談になるが、がん抑制遺伝子領域のノーベル賞は未だ出されていない。この分野で大きな貢献をした研究者の数が多すぎることとか、ノーベル委員会ががんに対する授賞を好まないことなど、いろんな噂がある。

さらに余談になるが、今年も来週がノーベル週間となる。ノーベル賞の予想とは、実際にはいかなるカテゴリーが設定されるかによるので、仮定を設けて初めて可能となる。

既にネット上には予想がたくさん出ているので、私的予想を書いておく。

(とても考えにくいことだが)もし古遺伝学に領域が設定されれば、Svante Pääbo。

もしインフルエンザウイルスに設定されれば、Robert Webster(これも少し考えにくいが)。

注2) DNAポリメラーゼ ɛタンパクは複数のドメインからなるが、このうちexoと呼ばれるドメインがproofreadingの活性を担う部分だ。 germline mutationが起こるのはもっぱらこの部分だけであり、全タンパクが欠失するような変異は決して見いだすことができない。その理由は明快で、そのような細胞ではDNA複製が起こらず、従ってがん細胞が生じないからだ。

注3)記憶が定かでないので、ここではその詳細は書かない。