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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

CRISPR/Cas9を用いたGene driveの威力:期待と不安

ワシントンサミットの翌週には米科学アカデミー(NAS)主催によるもう一つの会議(Gene Editing to Modify Animal Genomes for Reserach -Scientific and Ethical Considerations: A Workshop of the Roundtable on Science and Welfare in Laboratory Animal Use)が開催された。こちらのほうは注目度は低かったようだ。しかしヒト胚のゲノム編集と違い、研究者のモラトリアム意識がほとんどない状態なので議論の緊急度はよほど高いとも言える。

サイエンス誌のスタッフ執筆者であるElizabeth Pennisiのまとめによると、ここでは主に実験動物のゲノム編集に関する倫理、規則をどうするかについて話し合われた。中でもこれまではゲノム可変が極めて困難であったブタなどの、より大型の動物を用いた実験研究の可能性と、その倫理的、あるいは規制についても議論されたようである。しかしながら、総じてこれらの研究をどのように規制してゆくかについては研究者、科学倫理の専門家、あるいは政府当局者の間で意見がバラバラであったという。Pennisiは既に複数の企業が様々な有用動物の作出に成功し、さらに多様な性質の動物の作出を試みていることも紹介している。

植物も含めたゲノム編集生物をどのように取り扱うかという課題については、未だ確たる方向性が見えてきていない。その間にもゲノム編集された生物は次々と世に出ようとしている。

 

Gene editingから派生した技術にCRISPR/Cas9によるgene driveがある(下の図に概略を描いたので先に図を見ていただいてもかまわない)。Pessiniはこの新技術に関しても記事を出している。

この手法が報告された直後に、かなりの数の研究者がこの手法に対する疑念を呈したのだ。この方法によって作出された生物(現在の議論の焦点はマラリアを媒介する蚊)が環境中に放出されたときに、野外の蚊の集団で導入された遺伝子(この場合はCRISPR/Cas9を発現するのに必要なカセット)が際限なく拡散する可能性があるからだ。そのため生態系の破壊、および一つの種の完全な駆逐をもたらすことに対する危惧が表明されたのだ。 

このGene driveは媒介昆虫の撲滅の切り札として脚光をあびている。以下に昆虫撲滅の歴史について簡単に述べたい。

媒介昆虫の駆除のための方法として不妊雄放飼法(SIT)がかなり前に確立されていて農業分野では盛んに用いられてきた。日本国内でこれが最も成功した例は南西諸島(鹿児島県沖縄県)におけるウリミバエの根絶である。

この事業の概略はここでは詳述しないが概略は以下の通りである。ウリ類の果肉に産卵するウリミバエ(ウリ類に産卵するハエの種)を根絶するために、人工飼育した雄のハエにX線照射した上で野外に放つ。この照射により雄の精子は受精能を失う。これらの雄蝿は交尾能力を持っているので野外の雌と交尾する。一度交尾した雌蝿は二度と交尾することはない。受精が起こらないので産卵することもない。この放飼作業を定期的に繰り返すことにより、世代ごとに野外のウリミバエの個体数が漸減し、やがて根絶されるというわけだ。実際には1,970代の初頭から約20年かけて南西諸島全体のウリミバエが根絶された。

その事業が成功した理由は南西諸島が周囲(九州と台湾)からある程度隔離されていることであった。しかし現実には僅かではあるが、ウリミバエは新たに侵入して来るのでSITは現在も継続されている。実際SITの提唱者であるニップリングが最初に試したのもやはり離島で、カリブ海キュラソー島だった。もう一つは対象がハエであったことである。同じく媒介昆虫ながら数多くのヒト感染症を媒介するカについては、成虫の身体の脆弱さに由来する取り扱いの困難さ、さらにはX線感受性の高さから不妊虫野外放出のプロセスには適さないのだ。

ところが英国オクスフォードに本拠を置くOxitecという会社はデング熱を媒介する蚊、ネッタイシマカAedes aegyptiの遺伝子改変を施した蚊を作出した。これを旧英領ケイマン諸島カリブ海)で野外試験を敢行したのだ。詳細は省略するが、彼らは飛翔できない形質が成雌だけに発現させることに成功した。このような蚊は成長過程で野生型のニッチを奪うので、複数回の野外放出の後に野外の蚊を絶滅させるというのだ。

野外(グレートケイマン島)で行われた試験の実際のデータはそれほど芳しいものとは言い難かった。しかし論文では試験は成功であったと述べられている。この野外試験の“成功”をもとに、Oxitecはブラジルその他の国々で大規模な野外放出が進行中という。そもそもブラジルのような大陸部でのこうした手法の有効性はたいへん疑わしい。それにこうした熱帯地域での感染症の媒介は、単一昆虫種ではなく類縁の複数種によってもなされる可能性があり(実際マラリア原虫を媒介するカは60種にものぼるとされる)、この手法そのものの限界も考慮する必要があると思われる。

(余談ながら英国(UK)はケイマン諸島のような海外領土をうまく(ずるく)活用している。)

こうした手法に共通しているのは、大量飼育した変異型の蚊を野外に繰り返し放出することである。当然これらの方法では昆虫(蚊,蝿)の大量飼育施設が必要であり、手間と人手と費用がかかる。

 

UC IrvineのJamesは、マウスにおけるヒトマラリアに抵抗性を賦与する抗体を見出していた。これをマラリア原虫を媒介する蚊の体内で産生できれば、蚊はマラリア原虫に抵抗性となり、その結果ヒトへのマラリア感染を媒介しないのではないかと考えていたのだ。しかし野外のカの全てにこの抗体を産生させることはどう考えても不可能であった。 

手をこまねいていたJamesに手を差し伸べたのがBier(UCSD)であった。BierはCRISPR/Cas9を用いたgene drive確立していたのだ。

このようなGene drive法とは何か? 以下にそのプロトタイプとなったMutagenic chain reaction (MCR) の模式図を示す。

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要点を述べると、(1) CRISPR/Cas9を発現するプラスミドを細胞に導入し、片方のアレルの標的遺伝子に切断を入れる(図中I)。(2) この際同時に最初のプラスミドと同じCRISPR/Cas9カセットの両端に元の遺伝子座と相同な領域をもった直鎖DNAを注入してやる。これにより、傷ついたアレルがこの直鎖DNAと置き換わるので(相同組み換え)、CRISPR/Cas9カセットが標的遺伝子座に挿入される(図中II左)。(3) このカセットから産生されるCRISPR/Cas9複合体は同じ細胞内に標的配列(すなわち野生型アレル)が残存する限りはその配列を攻撃する(図中II右)。この傷ついた二番目のアレルは既にCRISPR/Cas9カセットをもつアレルとの相同組み換え(アレル間の組み換え)でCRISPR/Cas9カセットを獲得する。これにによって二つのアレルの両方がCRISPR/Cas9カセットに置き換えられる(図中III)。(4) こうして得られた標的遺伝子アレルの両方がホモ接合で失活した成雌を野生雄と交尾させることによってヘテロ接合体を得る。雄由来のアレルは野生型なのでCRISPR/Cas9の攻撃を受け、これはアレル間組み換えによって置換される。その結果ホモ接合の失活変異体が得られる。

Bierらはこのような仕組みをショウジョウバエで確立したが、同様な方式で変異体のカを作成して野外に放ってやると、それから産まれた子孫がすべて標的となった遺伝子を失活してしまうという”最終兵器”なのだ。

これにより野生型アリルは集団中から排除されるはずである。理論的には。

さて上記のJamesの問題は特定の野生型遺伝子を集団中から”排除する”ことではなく、むしろマラリア原虫のカの体内での寄生を許容しないための遺伝子を”与える”ことである。このMCR法を改良することで解決できそうだということは、分子生物学の知識をもってすれば難しいことではなかった。彼らの見出した抗マラリア抗体を作るために必要な遺伝子をCRISPRカセットの脇に挿入すれば良いのだ。こうして彼らは作出した変異型Anopheles stephensi(ステフェンスハマダラカ、南〜西アジアにかけて分布し、Plasmodium falciparumを媒介する)を野生型のカと交配し、仔虫の大多数が目的伝子を持っていることを実験室内で示した

Gene driveというのは特定の遺伝子がメンデル遺伝則を上回る頻度で子孫に受け継がれることを指すが、CRISPR/Cas9をうまく利用することによって原理的にはいかなる遺伝子でもGene driveを起こさせることが可能になった。

 

さて問題はこれを野外試験にもっていけるか?である。既に述べたように、問題は野生の集団中から特定の遺伝子を排除することが許されるか? あるいは特定の地域の生態系を破壊することになりはしないか? こういったところであろう。さらには”予期せぬ事態”が引き起こされる可能性もゼロではない。識者のなかにはこうした”予期せぬ事態”が発生した時には放った虫が環境中から排除できるような仕組み必要であると主張する。しかしこれは現実的には不可能であろう。(これを考えることは頭の体操としては格好の題材だが、年末の忙しさにかまけてまだやっていない。)

付け加えるとすれば、現行のgenome editingはどれも厳密に配列特異的なものではなく、必ずオフターゲット作用がある。したがってCRISPR/Cas9がゲノム上に組み込まれた生物が野外に放出されるならば、それはその生物集団の変異頻度を上昇させることになる。このことも考慮しておく必要がある。

 

いずれにしても、またしても研究のスピードに社会の認識と制度が追いついて行かない事態を我々は見ることになっている。こうした昆虫の放飼は、虫が国境を容易に超えてしまうので一国だけの規則は役に立たない。現時点ではこうした研究の野外試験にゴーサインを出すための情報と議論が全く不足している。

 

追記 2/24/17

2,017年2月2日号のネイチャーにCRISPR/Cas9によるgene driveに対して耐性のカが実験室内のでは出現していることが記載されている。ここで調べられたカはAnopheles gambiaeマラリア原虫を媒介するカでは最重要な種である。