”サル学の現在”:サルの学習
以前立花隆の書いた“サル学の現在”という本を読んだ。以前というのはもう25年くらい前のことである。この本は相当幅広い層に読まれたらしく、今でも書評や感想を多数ネット上で見ることができる。当時(1980年代)の日本の代表的な霊長類学(サル学)者に立花隆がインタビューして学術的な知見を引き出すという本だ。日本のサル学は京大の今西錦司によって創始された独自のディシプリンを持った学問分野だった。そのためこの本に登場するのは主に京大学派の研究者だったのだ。現在の京大総長にしてゴリラ学者の山極壽一も”サル学の現在”に登場している。山極は大学のゴリラ(教授)の群れの特性をよほど理解していたらしく、めでたくボスザルになったわけだ。
京大学派の方法論的特徴は、野生のサル(ニホンザルもゴリラもすべてサルと呼ばせてもらうが)の群れを観察し、その行動的、あるいは社会的特徴を掴み取ろうとするものだ。ユニークだったのは群れの構成員を目視しただけで同定するやり方を始めたことだ。各個体に”ハナコ”とかの名前をつけて、各個体間の血縁関係をはじめとする集団構造を把握してゆく。このため集団内の個体間の関係がより詳細に把握できるようになったのだ。こうした方法は当初欧米の研究者には驚きをもって迎えられたという。日本のサル学はこうした独創的手法によって世界をリードする存在だった。個々のサルの種にはそれぞれを専門にする研究者がいる。”サル学の現在”で明らかにされたのはサルの種ごとに集団や社会の構造はかなり異なっているということだった。だからこの本で紹介されている知見は相当に各論的であったといえる。それにもかかわらず、ヒトの行動的、社会的特徴の萌芽はかなりの程度でサルの中に既にあるのだと私は感じたのだった。ヒトの行動の特徴のいろんな断片が多くのサルの種の中に散在して見出されるのだ。
チンパンジーは学習するという。たしかにチンパンジーは同じ群れの年長者からいろんなスキルを真似する(学ぶ)。このためチンパンジーの群れは独自の文化を持ち、それは世代を越えて受け継がれる。ヒトも学び、ヒトの文化も受け継がれる。学習におけるヒトとチンパンジーの違いは何なのだろうか? ヒトがある技能や知識を持っていて、それを周りの他者が持っていないときにはヒトはそれを他者に教えようとする。この”教える”という行為はヒトに特有であり、チンパンジーにはないという。要するにヒトもチンパンジーも”学習”はするが、”教育”ができるのは人間だけだということになる。日本の職人の世界では”師の技を盗め”ということが言われる。これは”サル的方法で学習しろ”ということだ。もっともこういう場合の学習者の感度・集中度はおそらくチンパンジーよりもかなり高いと思うが。
ヒト(サル)の行動がいかなる機構で決定されるのか? あるいは、(学習・教育などの)ヒトとサルの行動の違いは何で決定されているか? こうした疑問はヒトの存在そのものに対する問いであるといえる。当然である。サル学の目標は人間を理解することだからだ。動物の行動は脳の活動で決定されているので、この疑問に対する答えは脳を研究することで得られるはずだ。この問いを生物学的に分解してみると、一つはヒト(サル)の脳がどのようにしてできるかという問い(発生の問題)と、それがいかにして働くか(機能・生理の問題)とに分けることができる。機能は発生によって出来上がった脳という器官の上で発揮されるので、発生的観点のほうがより重要であると考えられる。
ここからが本当のサル学の”現在”(の、ほんの一部)の話になる。
(続く)