メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

合成生物学:ミニマム生物を作る、またはリバース・テクノロジー

合成生物学(synthetic biology)については何度かまとめて書いてみようと思っていたが、そのあまりの間口の広さに辟易して手をつけないできた。しかし最近号のScience誌に巨人Craig Venterが率いるグループから“最小のマイコプラズマを作り出した”という論文が出て話題を呼んでいるので紹介する。さらに”細胞を作る”試みの現状につて考えてみたい。

まずはマイコプラズマから。

マイコプラズマ(mycoplasma)は自然界で見られる最小の自立増殖可能な細胞だ。細菌と同じグループ(Kingdom Bacteria)に分類されるが細胞壁を持たない。他にもリケッチアなど小さな細胞はあるが、マイコプラズマはヒトや動物の細胞の外でも増殖可だ。培養には普通の細菌に用いられるような培地では増殖せず、動物血清や酵母抽出液などを加える必要がある(血清中の必要な成分はステロール)。要するにかなり多くの必須な要素を自分で合成できないので増殖は遅い。実際寒天培地上のコロニーは大変小さく、実体鏡上で観察する。(これで初めて有名な“目玉焼き状”のコロニーが観察できる。)つまり増殖がとても遅いのだ。要するに自立増殖できるが、かなり“寄生的(parasitic)”であるといえる。事実マイコプラズマは主にヒトや動物の粘膜面に棲息し、細胞壁がないので乾燥などの物理的刺激にはきわめて弱い。

研究室では動物培養細胞に頻繁に汚染するのでその名前は知られている。自分の細胞がいつの間にかマイコプラズマに汚染されたときには、それはほぼすべてのケースで実験者(の粘膜)が汚染源である。“あなた”(わたし)がうつしたのだ。

 

前置きはさておき、マイコプラズマはその小ささ、単純さから生物学者の興味を惹いてきた。最も単純な体制を持っているからだ。このミニマムな生き物を研究すれば、“生命”の本質に迫れるだろうと考えた人々がいたのだ。日本でも宮田真人がこうした研究をしてきた代表的な人物だ。ゲノム解析進んできて、ここからさらに最小のゲノムを作り出せば生命に必要な要素が理解できると考えられた。これがいわゆる“合成生物学(synthetic biology)”と呼ばれる領域を創始した人々の目標だったのだ。(ただし、合成生物学は現在やたらと間口が広く、今や雑多な領域が包含されているのでここらへんで整理される必要があるかもしれない。そのことを垣間見る上で、こちらの記事は参考になるかもしれない。)

Venterはマイコプラズマを材料として生命活動に必要最小限なゲノムを作成することに継続して取り組んでいる。現在はVenterは自ら設立したJCVIで合成生物学研究を続けている。もともと彼はNIHで活躍したゲノム研究者であり、その頃にはヒトのcDNAを次々とクローニングしていた。こうしたcDNAで特許を取得した最初の人物だが、ヒトをはじめとするゲノム配列の決定の過程で多大な貢献をした。

 

どうも前置きばかりで申し訳ないが、今回のScienceの論文の内容を要約すると次のようになる。

”これまでに最小サイズのゲノムをもったマイコプラズマの作出を試みていたが、今回JCVI-syn3.0と称するバージョンを作成した。これは473遺伝子からなっていて、自然界に存在するどのマイコプラズマよりも小さいゲノムである。”

これに先立つ仕事を簡単に要約しておく。

1,999年、VenterらはMycoplasma genitaliumのゲノム上の遺伝子をトランスポゾンの挿入によってランダムに失活させることを試みた。その結果、M. genitaliumの525遺伝子のかなりの部分は人工培地中での増殖に不要であると思われた。(M. genitaliumは、その当時としては自立増殖する生物としては最小のゲノムを持っていた。)必須遺伝子を破壊すれば当然細胞は生残することはできないはずである。しかし後に細胞のかなりの機能が複数の遺伝子によって支持されていることが判明し(redundant function)、トランソポゾンの挿入失活法ではこれらの遺伝子を同定することは不可能であったのだ。(ちなみにこうしたことは生物学では普通におこり、ノックアウトマウスで表現型が出ないケースはほとんどこのgenetic reducndancyによるものであった。)

次の試みは、M. mycoidesの染色体DNAを化学合成によって全合成し、あらかじめDNAを除去しておいたM. capricolumに注入した。一定時間の培養後にこの細胞のタンパクがcapricolumからmycoidesに置き換わっていることを示した。これにより完全化学合成したDNAがゲノムとして機能することが証明された。このゲノムが完全に置き換えられた生物をJCVI-syn1.0と呼んだ。この仕事の延長線上に自在にデザインした配列を持つゲノムDNAによるマイコプラズマの再構成があったわけだ。このM. mycoidesのゲノムDNAは計1,079 kb、901遺伝子からなっている。JCVI-syn1.0が公表されたのは2,010年であった。

その後この生物を出発点として、これまでの知識から予想される必須遺伝子のみからなる人工ゲノムを作出すようとしたのだ。まずは文献的に機能が明らかになっている遺伝子の全てを組み合わせてゲノムを”人知のみにより”作成しようとしたのだ。しかしこれは失敗に終わる。 ここでVenterは“我々の知識は細胞を設計するためにははなはだ不十分である”と述べる。

今回の論文では、JCVI-syn1.0の計901遺伝子を八つのグループ(セグメント)に分け、それの組み合わせを作ることによって、不要の遺伝子を除去しようとしたのだ。それに加え改良されたトランスポゾン失活法で必須遺伝子の同定も併用した。JCVI-syn2.0はこの過程で得られた中間段階のミニマム細胞だが、この時点で遺伝子数は525個となり自然界に存在する最少遺伝子数のM. genitaliumを下回っている。こうしてできたJCVI-syn3.0は531kbのゲノムを持つ。その小さいゲノムサイズにもかかわらず二倍化時間は約180分でJCVI-syn3.0(901遺伝子)と同等であった。すなわち増殖に不要な余分な遺伝子をそぎ落とすことに”ある程度”成功したのだ。しかしこの中には機能のはっきりしない遺伝子が149個も含まれている。この先Venterらはこの149個の遺伝子の機能を明らかにすることによって最小の生命に必須の遺伝子を明らかにしようとしている。

合成生物学者のChurchは、今回のVenterらの成果を力技” tour de force “であると 評している。(実はこのChurchという人物も相当な野心家であるが。)合成生物学というと細胞のすべてを人間が作ろうとしているように理解されるかもしれない。しかしそれは正しくない。現時点でもまたこれからしばらくの間も、人は何もないところから細胞を作ることはできない。今回のVenterグループの仕事も既に自然界に存在した最小の細胞を分析し、そこからミニマムを導き出したわけだ。これはいわゆるリバース・テクノロジーに近い。つまり既に存在する優れた機械を一度分解して、そこに用いられている技術を詳細に解析することで自らも同じような、ないしはそれ以上の機械を作ろうとする手法である。古くは旧日本軍の零式戦闘機を研究した米軍、あるいは最近になって日本製の電子機器を研究した韓国メーカーなどのやり方だ。現状での合成生物学はこれに近い。既にお手本があるわけだ。そのお手本を作ったのは“自然”、あるいは信仰に篤い人は“神”だというだろう。しかし研究者にとってはどちらも同じでその意味は人知を超越したものである。要するにヒトは“造物主”からは程遠い存在なのだ。

しかし面白いことに、今回のリバース・テクノロジーですら完全ではないのだ。なぜなら人はマイコプラズマのゲノム上にあるすべての遺伝子の役割を理解しているわけではないからだ。生物学者にとってはこうした未知の部分をさわらないで分析することは得意である。これをブラックボックスとして触らないでおくのだ。しかしより進んだ段階ではブラックボックスの中身を明らかにしなければならない。

 

実は昨年Craig Venterの講演を聴く機会があったが、そのときの話の中に今回の論文の内容も確かに含まれていた。しかしなにぶん講演内容が野心的、かつ多岐に亘り、さらに講演会場の音響設備が良くなかったので、各トピックの内容の詳細についてはよく把握できないものもあった。最後は各家庭(または各診療所)にペプチド(DNAだったか?)合成機を備え付け、患者のビッグデータから得られる最適の治療を”家庭で”施すことができるような体制が整えられるであろう、というところで終わったように記憶している。Venterはそのイメージが夢物語ではなく、近未来に実現すると強調していた。さすがにモダン・バイオロジー(分子生物学以降の生物学をこのように称しておく)の巨人らしく、誠に気宇壮大で射程距離の長い話であった。しかしこうしたSF的世界が夢物語出なくなりつつある状況は生命科学のみならず、機械文明においてもたぶんに見られるようになってきた(例えば囲碁で人間に勝つコンピュータや自走車)。

Venterにみられる思考の射程距離の長さはアングロサクソンユダヤ系の人々に時々見られる。こうした野心的な人々の存在なしに現在(および未来)はないのだと思う。