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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

トウモロコシを持ち出そうとして有罪判決を受けた中国人研究者

サイエンス最新号に"Chinese scientist jailed over theft of hybrid corn"と題する記事が出ている。この事件に関して、いくつかの観点から論じてみたい。

ことの成り行きを要約すると以下のようになる。

中国人のバイオ研究者が米国企業で開発されたハイブリッド・トウモロコシを盗んで中国に持ち込んだ。このためこの研究者は罪に問われ、10月5日に連邦地裁で36ヶ月の禁錮刑が言い渡された。

事件は2,011年に被告(Mo Hailong)がアイオワ州の試験圃場で膝まづいているのが発見されたことで発覚した(注1)。捜査の結果、この事件はDuPont PioneerとMonsantoから企業秘密の種子を盗み出すべく高度に組織化された犯罪であることが明るみにされた。新規のハイブリッド種子はそれが発売されるまでは、きわめて厳重に秘密が保たれている。被告のMoは北京に本拠のある中国を代表する農業ビジネス企業DBNの要職についていた。DBNは高収量のトウモロコシの種子を探していたが、中国政府の外国産種子導入の厳しい制限のせいで、中国国内への新品種の導入は遅れていた。しかし中国のトウモロコシ需要はうなぎ上りに増加していた。この背景には中国の食の近代化(西欧化)がある。食肉生産を増やすためには飼料用のトウモロコシを増産する必要があるのだ。実際中国での穀物生産はすでにトウモロコシがコメを抜いて一位である。その多くが飼料用になっている。

こうしたことが記事に書かれている。

1,999年のクリーブランド・クリニック事件

この事件は10年以上前に起こった”日本人研究者による資料持ち出し事件”を想起させる。

事件はクリーブランド・クリニック(オハイオ州クリーブランド)で起こった。そこでアルツハイマー病の研究をしていた日本人研究者O氏が研究室から試料を無断で日本に持ち帰った。のみならず、研究室にあったそれ以外の他の研究試料を破壊したという事件だ。この後段の部分はにわかには信じ難いが、今日に至るまで事実としてこれが否定されたという話は聞かない。この際カンサス大学の日本人教員S氏が一時的にその試料を預かっていたということで罪に問われている。S氏はその後の捜査過程での偽証などで、2,003年に3年の執行猶予付きで150時間の社会奉仕と罰金500ドルを課された。その後S氏は経済スパイ事件の訴追を避けるために司法取引に応じて罪状を認めている。その結果大学の職は解かれた。O氏のほうは陰謀、経済スパイ行為、および盗難品の州外への持ち出しの罪に問われた。しかし彼は既に日本(理化学研究所)に戻っていた。米当局から身柄の引き渡し要求があったが日本側(理研)が拒否して現在に至っている。

要約するとこのようになる。この事件に関しては多数の記事が出ているので詳細は別の記事に当たっていただきたい。

研究試料の移動の管理とFBI:日本→中国

FBIのミッションの中に"Protect the United States against foreign intelligence operations and espinage"(”外国の情報およびスパイ活動から米国を守ること”)が入っていて、上の2つの事件はおそらくこの項目に該当する。特許や新技術を盗み出す行為にはFBIは敏感である。さらにFBIの捜査にはプロジェクト性があり、国益を守るために事件の種類とその対象を選ぶ。(プロジェクト性という意味では日本の地検特捜部と似ているが、FBIは国家警察であってこれに該当する組織は日本にはない。)具体的には1,999年の事件では捜査対象は日本人、および日本であった。容疑者の一人が帰国後理研に所属していたことが影響したと思われる。理研は戦前から国の直属機関で原爆研究などを行っていたことがよく知られている(今でも理研の予算の決定には国会承認が必要)(注2)。

当時(20世紀の終わりの頃)の日本は科学研究で米国を脅かす唯一の存在だった。この事件が明るみに出た直後、帰国が予定されていた私と同じ職場の日本人研究者の一人が自分が無事に帰国できるかどうか危惧していたものだ。しかしその当時、私は日本がターゲットにされるのはこれで最後になるだろうと思っていた。その理由は、当時すでに中国が経済で台頭してきていて、やがて研究でも米国を脅かす存在になると予想したからだ。さらに中国という国家そのものが、こうした新技術の導入に貪欲な姿勢を示していたからだ。この新技術の導入は、合法、非合法の両方を含んでいたので尚更だ。したがって、21世紀にはFBIのターゲットは日本を離れて中国に向かうであろうと予想していた。この予想は当たり、以後日本は主要なターゲットからは外されている。

当時書かれた日本の記事では、事件に関する報道の非対象が話題となっていた。この事件の報じ方における両国の報道機関の姿勢に大きな違いがあった。事件は日本では大々的に報道されたが、米国内ではほとんど話題にならなかった。平たく言うと、日本の研究者は震え上がったのだ。当時、米国留学すると留学先の研究室で作成された研究試料を特に書類上の手続きをすることなく、日本に持ち帰ることは当時は普通に行われていた。だからこのクリーブランドの事件は研究者に衝撃を与えたのだ。このように日本人研究者に衝撃を与えたことで、米国政府の目的は達せられたと言って良い。だから米政府にとってO氏の身柄の引き渡しにこだわることは必ずしも必要でなかったのだ。これに固執すれば、日米関係に影響が出たであろう。

こうした国外への試料の持ち出しや送付に関しては、直後(2,001年)に起こったいわゆる”9.11同事多発テロ”の結果、厳しい制限を受けることになる。実際には米国内の試料送付であれば当該研究機関どうしで物質移動合意書(material transfer agreement, MTA)が取り交わされる。機関間でのMTA交換があれば、試料送付には何の問題もない。しかし当該試料が特許、その他の制限を受けているならば通常のMTAは成立しない。いずれにせよ、MTAなしでの試料の送付が発覚した際は、FBIが動く可能性がある。特にテロ関連の対策として、試料の国外への送付、さらには米国内であっても送付人と、受領人の双方が外国籍である場合はMTAなしの試料授受に対しては国外退去の処分が下されることがある。その試料に全く特許性や新規性がなくてもその扱いは同じである。

アグリビジネスの複雑化

最初のサイエンスの記事に戻る。記事の最後で最近のアグリビジネスの動向に触れ、中国化工集団がスイスのシンジェンタを買収したことなどが書かれている。中国化工集団とはいわゆる政府系の会社だ。Moは不正に種子を盗み出そうとしたのだが、時を経て企業買収によって種子は合法的に中国に持ち帰れるようになった。これは皮肉なことだ。国家の安全保障、国益保全と国境を越えたビジネスとの関係など、考えさせられることが多い。

 

(注1)アイオワ州は完全に農業州だが、農業ビジネス、ワクチンメーカーなどの小規模ながら突出した産業がある。

(注2)さらに付け加えると、理研の”政治的”体質はSTAP細胞問題で顔を覗かせていた。