メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

生物多様性の話題(1):シカゴのフィールドミュージアム

先週シカゴに滞在した際、かねて行きたいと思っていたフィールドミュージアムField Museum of Natural History)を訪れた。米国最大級の博物館だ(注)。ミシガン湖に面したシカゴダウンタウンの最南端を固めるように立地している。その巨大なギリシャ・ローマ様式の外観と同じく、内部の展示内容も壮観だった。全部を丁寧に見て回ると数日でを要するので、今回の初訪問ではいくつかの展示に焦点を絞って見て回った。

こうした大規模な博物館はPhDを持った研究者を多数抱えていることが普通だが、フィールドミュージアムにもこれは当てはまる。こうした研究者達の活動の一部を記録・展示した一画があり、それはアマゾン地域での熱帯雨林の保護に関する年余にわたるプロジェクトだった。このプロジェクトに参加した研究者は生物学者のみならず、文化人類学者、社会学者も含まれている。実際の活動は、研究対象となった地域における生物種の記載、および地域に暮らす人々の調査、さらにそうした人々への啓蒙活動である。こうした活動には現地語での会話能力を持った研究者が派遣される必要があるが、スペイン語を話す研究者が複数含まれているようであった。

この展示の中で一つ驚かされたことは、毎年熱帯雨林の破壊によって大気中に放出される二酸化炭素の量は、他の全ての人間の活動によって放出される二酸化炭素の総量を有に上回るという事実だ。一度破壊された熱帯雨林は再生できないという事実(注2)と共に、銘記されるべきことだと思う。

 

もう一つ興味を惹いたのは、上層階の広い通路に面してPritzker Laboratory of Molecular Systematics and Evolutionという分子生物学的手法で研究を行うための研究室が設置してあったことだ。パネルの説明には、世界各地で採取された生物試料が凍結した上でシカゴに送られ、それらのDNA配列がこの研究室で決定されるということだ。研究室の名称から判断すると、塩基配列を基に生物分類と進化を捉え直すことを目的としているらしい。

廊下に面した側はガラス張りになっていて、一般の見学者が研究室の内部を覗けるようになっている。さらにマイク越しにスタッフに質問できるようになっている。本来これは学童や科学に素人の人を対象としているのだろうが、周囲に人がいなかったので、私も質問を試みた。”こうした塩基配列に基づいた分類の試みは、Field Museumの膨大なコレクションの再分類にどのように貢献しているのか?”という問いに対して、”それは良い質問だと思うが、個々のセクションのマネージャーの考えに委ねられていると思う。”というのが回答であった。欧米の博物館では、膨大なコレクションの中には分類が手付かずの状態の標本が少なからずあり、その中から新種が発見されることも時々あることを聞いていたからだ。

 

生物分類が生態学的研究に必須であることを強く認識してヒトの腸内細菌学を確立したのは光岡知足である。先に紹介したアマゾンにおける新規生物種の記載はこうした思想に従っている。最新の塩基配列決定技術を駆使すれば、試料を丸ごと配列決定することにより生物種の動態を定量的に解析することができる。こうしたメタゲノム的アプローチについては特に展示で説明されていなかったが、当然ここでも既に行われているものと推察される。

 

(注)博物館とは”博物学(Natural History)”に関する展示を行う場所(Museum of Natural History)。日本で一般に使われている博物館の語は実際はMuseumの訳として当てられている。しかし本来Museumはより広い意味を持っていて、普通展示物を特定するための語句が付いている。例えばMuseum of (Fine) Artsは美術館だ。したがってMuseumの語は狭義の”博物館”よりも広い意味を持っている。ワシントンDCのNational Museum of Natural Historyは国立自然史博物館、ニューヨークのAmerican Museum of Natural Historyアメリカ自然史博物館と訳されているが、本来はともに”自然史”は余計である。誤訳と決め付けるわけではないが、文明開化期の翻訳がやや不適切であったと思われる。

 

(注2)この点で温帯林と事情が異なる。温帯林は林が破壊されても土壌が残っているのでやがて再生する。かつて神奈川県にあった有名なゴルフクラブが廃業したところ、芝地が約15年で雑木林になったらしい。一方熱帯雨林ではもともと高温なので土壌の厚みが貧弱である。有機物が早く分解してしまうからだ。上部の森が破壊されると、強い日射と激しい降雨によって貧弱な土壌が容易に流失するため短期間に裸地化が進行してしまう。

 

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Pritzker Laboratory of Molecular Systematics and Evolution
 

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 恐竜展示室から見えるシカゴダウンタウンミシガン湖。20世紀に発展した市街地の最高傑作。