メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

Covid-19の今後 (3)

前回からの続き) 

 

⒊ SARS-CoV-2の感染防御抗原とは(続)

コロナウイルスの名前の由来は、丸い本体から突起が出ている様が太陽のコロナに似ていることから命名された。この突起をスパイクと呼び、この部分が宿主細胞表面にあるコロナウイルスレセプター(受容体)にくっつく。SARS-CoV-2(Covid-19ウイルス)が受容体として使うのはACE2(Angiotensin-converting enzyme 2、アンギオテンシン変換酵素2)という膜表面の酵素タンパクだ。これはSARS-CoVSARSウイルス)の場合と同じだ。

今回の原因ウイルス(SARS-CoV-2)の受容体がACE2であることは、前掲の武漢からのNature論文で示された。そこではHeLa細胞を使ってきれいなデータを出している。SARS-CoV-2はHeLa細胞には本来感染しないが、これはHeLa細胞が表面にACE2を発現していないためだ。そこでヒトのACE2タンパクをHeLa細胞に強制発現してやる。そうすると感染が成立して細胞内にウイルスタンパクが検出されるようになる。コウモリやジャコウネコ、あるいはブタのACE2も受容体として働くが、マウスACE2は受容体としては働かない。マウスがSARS-CoV-2の感染実験に使えない理由がここにある。この実験結果からACE2がSARS-CoV-2の受容体であることは明らかだ(注)。マウスが実験動物として使えないのは研究上では痛手だ。研究者たちが実験動物入手にどのような努力を傾けているかはScience誌のニュースに詳しい。

研究が先行しているSARS-CoVの場合を見てみよう。

SARS-CoVの細胞内への侵入は二段階からなる。最初はスパイクタンパク(Sタンパク)の受容体への結合、次はウイルス表面の膜と宿主細胞膜の融合だ。融合の結果、ウイルスの核酸RNA)が細胞にに注入され、その結果細胞内でのウイルスタンパクが合成され、さらにウイルスRNAゲノムの複製が開始される。Sタンパクは二つのサブユニットからなっていて、前者はS1サブユニット(788アミノ酸残基)に、後者はS2サブユニット(364アミノ酸残基)に担われている。SARS-CoVのスパイクタンパクに関しては、2,009に出された総説にうまくまとめられている。その中に主要な感染防御抗原はSタンパクであることが述べられている。

純化すると、抗体がウイルス感染をブロック(中和)するためには、細胞表面で受容体に結合するウイルス表面の分子に結合する必要がある。このため中和抗体は主にSタンパクを標的にすることになる。

前掲の総説には、 SARS-CoVのワクチンや治療薬の開発の趨勢がまとめられている。ワクチンと抗体製剤の全ては概ねこの考えに沿っている。SARS自体の流行が消滅したので、特に製薬企業の開発意欲がほとんど失われて10年たつ。しかしこのSARS-CoVの研究成果のかなりの部分がSARS-CoV-2にも適用できる。

 

武漢グループのNature論文に戻ろう。著者らは患者血清中にできる抗体をSARS-CoVRp3 タンパクを検出抗原としてELISAを組んでいる。ここで検出される抗体はSARS-CoV-2の感染によって患者の体内に作られると思われが、中和抗体を検出しているわけではない。

前に書いたように、大規模な抗体検査は二つの目的で行われる。一つは流行の動態を知るためのいわば疫学的サーベイランスの一部として、もう一つは個々人がSARS-CoV-2に対する免疫を持っているかどうかを知るためだ。後者の目的のためにはできるだけ中和抗体そのもの、または中和抗体の存在を反映する抗体を検出することが必要となる(注3)。

さらに後者に関しては、抗体の引き起こす負の側面も懸念されている。それは抗体依存性の感染増強(ADE, antibody-dependent enhancement)と呼ばれている現象で、感染後に出現する抗体が逆に感染を増強して症状を悪化させるようなケースだ。これについては項を改めて議論したい。

続く

 

(注)但し、ACE2がヒト体内におけるSARS-CoV-2の”唯一の”受容体であることはこの実験からは証明されない、論理的には。

(注2)しかしこれはSARS-CoVの抗原を用いているので、過去にSARSが流行した地域では問題がある。

(注3)前回述べたように、中和抗体そのものの測定を大規模に行うことは無理である。一般にバイオアッセイをスクリーニング目的で行うことは困難だ。