メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ゴールデンライスをめぐる攻防(5)その特殊性

前回の記事で、ゴールデンライスを阻止しようとしているグループが流布している説を書いた。それは研究者や公的機関が、巨大企業(例えばモンサント)の手先となって貧しい国々にGMOの普及を目論んでいるというものだ。しかし実際のところ巨大企業はゴールデンライスにどのように関わっているのだろうか? このことを考える上で、ゴールデンライス、あるいは米そのものの特殊性を考慮することが理解の助けになると思う。

⒈ 米(稲)という作物の特殊性

そもそも米という作物が巨大企業にとって、どれほどうまみのあるものなのだろうか? そのために各国における作物の栽培状況を大雑把に掴んでみる。

世界の米生産量は6億5千万トンを超える量で、小麦、トウモロコシとともに世界の三大穀物とされる。一方米の貿易量は小麦やトウモロコシに比べるとかなり少なく、総生産量の7%が取引されているにすぎない。近年はタイとベトナム二大輸出国となっている。ところが取引されている米の中身は、輸出国/輸入国の組み合わせごとに各々特徴的なものとなっている。例えばタイはナイジェリア、ベニン、南アフリカに米を輸出しているが、その全量がパーボイルド米だ。これは各国で食される米の種類が各々異なっていて、かつその習慣がきわめて保守的だからだ。(実際ゴールデンライスは各国で食されている米品種への導入のために、戻し交配が行われてきた。)この米品種の地域ごとの特殊性は、巨大企業がGMOを開発してきたその他の作物とは事情が異なっている。つまり数少ない種類のGMOを大量に流通させることはできない。さらに米はトウモロコシなどとは異なり飼料用、加工用、加工食品としての用途がひじょうに限られている。世界的に人の食用に比べ、こうした用途でのGMO消費に対する規制は当然のことながら緩いものだ。実際、日本はGMO作物から作られた加工食品の輸入を認めている。こうした米の利用形態における特殊性は、米へのGMOの導入を遅らせている大きな理由だと思われる。

⒉ 消費者からみたゴールデンライス:二段構造のGMO消費者

これまでのGMO作物によりは誰が福音を受けてきたか? これまで売られてきたGMO作物はそのほとんどが、除草剤耐性、抗病性(ウイルス耐性)、または害虫抵抗性が賦与されたものだった。こうしたGMO作物は病気による生産のロスを防ぎ、かつ生産のために必要な農薬の消費量を減らすことで農業生産者の負担軽減に貢献してきた。したがって、GMO作物は主に農業生産者にとっての恵みをもたらしてきた。一方末端の消費者のほとんどはそれほど恩恵を受けるものではなかった。米国は世界で最も大量にGMO作物を生産している国である。GMO作物を生産すると、農業者は元に戻れないという。その主な理由は、以前に比べて農薬使用量が少なくなっているためだ。農薬使用量を減らすことは、実は温帯先進国よりも熱帯途上国の農民にとってはより死活問題なのだ。こうした観点から熱帯地域の農村に巨大企業を介さずにGMO作物を導入しようとしている政府機関やNPOが存在する(注1)。

このように、GMOにとどまらず農業ビジネスにおいてはいわゆる”消費者”の二重構造が見られる。

消費者のもう一つのカテゴリーは末端消費者である。ゴールデンライスの恩恵を受ける主な人々は、農業生産者ではなく特に途上国の末端消費者だ。この意味で、ゴールデンライスは新しいタイプのGMOの先駆である。こうした新しいタイプのGMOが一般消費者に普及することをグリーンピースらは最も警戒しているのだ。

⒊ 新世代のGMO作物

さらにゴールデンライスを特徴付けることは、このGMO作物がこれまで米に含まれていなかった栄養素が賦与されていることだ。これを食べることによって直接的に栄養が改善される。このように食品に望ましい性質(機能)が付加されたものを機能性食品と呼ぶが、ゴールデンライスは遺伝子工学によって新しい機能が付加された新世代のGMOなのだ。もしゴールデンライスが普及して、人々(末端消費者)がGMOに対する抵抗感をなくすような事態も反GMO団体が怖れている大きな理由だ。

⒋ 非営利セクターの関与

そもそもゴールデンライスはドイツ語圏のアカデミアで作出されたものである。この点多くのGMOが米国の巨大企業で生み出された状況とは異なる。このことは目標設定のやり方という意味では大変興味深い。なぜならば、巨大企業の目標設定はふつう綿密な市場調査と開発コストの計算、さらには実現可能性の精査など、たいへんな労力と時間コストをかけることが普通だからだ。一方、アカデミアのプロジェクト設定は、そこに科学的新規性があれば思いつきレベルのものでも一応許されるわけである。こうした意味で、もしPotrykusとBeyerというわずか二人の研究者の考えで始まったゴールデンライスが、最終的に各国で栽培されるようになるならば、それは稀有なできごととなるであろう。

もうひとつ。ゴールデンライス開発の動機は、おそらく人類の幸福を願う純粋な動機から始まったものである。むろんそこに新しい技術(遺伝子工学)を用いて初めて画期的な作物を作るという科学者・技術者としての名誉欲はあったに違いない。ゴールデンライスを支持し、推進している人々の多くは、当然こうした人々の幸福に寄与したいという無私の心を持っている。例えば、現在ゴールデンライスを各国で実用化しようとしている地元の研究者たち、これらの多くは各国レベルの農業研究所や農事試験場に働く人々だ。こうした人々もゴールデンライスの推進に貢献しようとしている。

このような状況は、他の多くのGMO作物と状況が異なる。そしてこうした”根強い善意の”推進派の存在も、グリーンピースの嫌がるところである。

⒋ 権利譲渡

ゴールデンライスの特許に関しては、意外な展開を辿ることになる。 PotrykusとBeyerは、シンジェンタ側での特許やマーケティングのエキスパートであるAdrian Dubockと組んだ。Dubockは途上国の年間所得が1万ドル未満の農家に対しては、ゴールデンライスを無償で提供できるような仕組みを作った。さらに2,004年、シンジェンタはゴールデンライスの商業利用の権利を放棄し、World Food Dayに譲渡している。

要するに、ゴールデンライスの開発にはシンジェンタが深く関与していたにもかかわらずわらず、これを非営利セクターに無償提供したのだ。”市場性なし”と判断されたらしい。

 

以上を要約すると、ゴールデンライスには他のGMOとはかなり違った性格があることがわかる。稲という作物の特性上、単一品種を大量に流通させられないこと、恩恵をうけるのが途上国の人々であること、企業が手を引いて実質的には研究・開発が非営利セクターの手で行われていること、ということだ。こうしたことのすべてはゴールデンライスが反GMO団体の攻撃対象としてふさわしくなくしている。

そこでグリーンピースを始めとする団体は、グリーンライスの”慈善的”性格は隠隠れ蓑であって、”食用GMOを途上国で普及させるために巨大資本が仕掛けたトリックなのだ”という論理を持ち出してきたのだ(注2)。

以上、長く書いてきたが、これがゴールデンライスの現状である。今後、どのように展開するか正直予想できない。にもかかわらず、既にフィリピン、インドネシアバングラデシュで実用栽培が開始されると予想されている。

 

(注1)このことについてはバングラデシュのBtナスの普及の試みで少し書いた。

(注2)途上国での非食用GMOの栽培は既に相当規模で行われている。例としてインドにおけるBtワタがある。食用GMOの導入に当たっては激しい攻防が続いているようだ。

 

このシリーズは以下のとおり。

ゴールデンライスをめぐる攻防(1)ノーベル賞受賞者たちの声明

ゴールデンライスをめぐる攻防(2)グリーンピースの反論

ゴールデンライスをめぐる攻防(3)ゴールデンライスの現在地

ゴールデンライスをめぐる攻防(4)ゴールデンライスの現在地(続)

(とりあえず終わり)