メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ゴールデンライスをめぐる攻防(3)ゴールデンライスの現在地

問題を理解するためにはゴールデンライスの現在地を確認しておく必要がある。

複数のソースがあるが、Michael Eisensteinによる2,014年のNatureの記事が簡潔によくまとめられている。この2年間に目覚ましい進展があったわけではないので、この記事の内容をもとにゴールデンライスをめぐる歴史と現状を辿りたい。ことわっておくが、GMOに関する論調はメディア(サイト)の立場によって全く違う。Natureはマイルドな(理性的な)pro-GMOである。

ゴールデンライスの開発の根拠は、主にアフリカや東南アジア諸国における深刻なビタミンA欠乏(VAD)だ。WHOの発表によると、VADのために年間25〜50万人の子供が失明し、さらにこのうちの半分が死亡する。これは直接的には感染症によるものだが、VADのために免疫能低下が起こるためだ(WHOのデータベース)。こうしたVADの頻度の高い地域、特にアジア各国ではコメを主要なカロリー源として摂取している。かつての日本がそうだったように、東南アジアにおけるコメの地位はきわめて高い。そのことが、栄養的に偏ったコメ中心の食事に依存する状況をもたらしてきた。これもかつての日本で見られたことだ。そこでコメの持っているカロリー源としての利点を残しながらVADに対処する手段として、プロビタミンAを強化した(fortified)コメの開発の可能性を考えたのだ。もともとこのアイデアは、1,984年に学会の懇親会のときにロックフェラー財団の人物が夢のうちの一つとして語ったものらしい。

イネの食用に供される胚乳(endosperm)にはプロビタミンAは含まれていない。しかし植物体はプロビタミンA前駆体を作れるので、比較的単純な遺伝子工学で胚乳がプロビタミンAを含んでいるようなイネが作れるかもしれないと考えたのだ。植物生理学者Ingo Potrykusチューリッヒ工科大学)と細胞生物学者Peter Beyerフライブルク大学)という二人のドイツ人は、この課題の解決法としてイネにプロビタミンAの一つβ−カロテンを合成するための三つの酵素遺伝子を導入することにしたのだ。これらの導入遺伝子は胚乳で特異的に発現されなければならない。一般にイネのような単子葉植物の遺伝子改変は容易ではなかった。しかしこの試みは、7年間の試行錯誤の末に1,999年に達成された。このイネは2つのスイセンの遺伝子と、細菌の遺伝子を一つ導入したものだ。こうして生み出されたβ−カロテン含有ライスは独特の黄色〜オレンジ色を呈していたのだ。この成果は翌年のScienceに発表された。これでゴールデンライスの理論的根拠の実証(the proof of concept)は終わった。しかし大きな問題は、このオリジナルのゴールデンライスはVADを緩和できるだけのβ−カロテンを含んでいなかったことだ。

この低含有量の課題を解決したのは、共同研究をしていたスイスのバイオテク企業シンジェンタだ。かれらはオリジナルで用いられていたスイセンの遺伝子をトウモロコシのものと置き換えたのだ。それで一日一回の摂食で所要量の半量が供給される高β−カロテンを含量するライス(ゴールデンライス2、GR2)を作出したのだ。これはオリジナルに比べて23倍ものβ–カロテンを含んでいて、米粒はより褐色に近い色をしている。この成果は2,005年に発表された(注)。ここに至り、ゴールデンライスの研究と普及に向けての取り組みは、PotrykusとAdrian Dubockに率いられ、慈善家によって後押しされる非営利団体(ゴールデンライスプロジェクト、Golden Rice Project)に託されることになる。関係者は含有量の改善が実用化へのゴーサインと捉えたのだ。しかしこのβ–カロテン含有量の解決は、多くのハードルの最初のものに過ぎないことがじきにわかる。

2,010年、ゴールデンライスプロジェクトと国際イネ研究所(IRRI)はフィリピンイネ研究所(PhilRice)と共同で、フィリピン国内で5カ所を選定して野外栽培試験を開始した。ところがこの試験の結果、ゴールデンライスは現地の在来品種に比べるとかなり生育能が見劣りすることが判明した。このことで明らかなように、ゴールデンライスは十分なβ–カロテン含有量の他に、一般的な農学的な性質を満たし、さらに現地の人々(消費者)の要求を満足させる必要があるのだ。そのため、ゴールデンライスのβ−カロテン産生に必要な遺伝子を交配によって現地の品種に導入した後、さらにその品種と戻し交配(backcrossing)を繰り返すといった時間のかかる作業が行われている。実際にはこの過程ほぼ完了している。

もうひとつの技術的問題は導入遺伝子のゲノム上の挿入場所である。温室内では良好な生育を示すような株でも圃場に出すと生育が悪いことがある。こうしたケースでは挿入遺伝子がイネの生育に必要な遺伝子を失活させている、または干渉していることがわかっている。これは古典的な遺伝子導入法につきまとう問題だ。実験ごとに(株ごとに)挿入場所が異なるのだ。初期の遺伝子治療で見られたことだが、導入遺伝子の挿入のため引き起こされる白血病も概念的には類似の現象と捉えられる。

 

(注)ロックフェラー財団の”正体”を明らかにして、その支援しているゴールデンライスがいかにいかがわしいものであるかを述べた記事前々回紹介した。このきわめて裕福な財団がナチの優生学を支えていた研究機関を援助していたことは事実のようだ(この記載はウィキペディアの英語版のみ)。しかしこの著者はβ−カロテン含有量が増強されたGR2のことは無視している。

 

このシリーズは以下のとおり。

ゴールデンライスをめぐる攻防(1)ノーベル賞受賞者たちの声明

ゴールデンライスをめぐる攻防(2)グリーンピースの反論

ゴールデンライスをめぐる攻防(4)ゴールデンライスの現在地(続)

ゴールデンライスをめぐる攻防(5)その特殊性

(続く)