メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

大腸菌の代わりにビブリオを使うだと?

もう何十年も原核生物の代表として使われてきた大腸菌の代わりの細菌が提案されているという話である。

これを提案しているのは例によって人騒がせなハーバードの分子遺伝学者(?)George Churchだ。彼らはVibrio natriegensの増殖の速さに着目した。この細菌が大腸菌に替わる実験材料として使える可能性を考えたのだ。

毎度のことだがこのChurchという人物は花火を打ち上げては人々の耳目を引く。合成生物学自体がそうした”花火的”性格を持っていることは事実だ。しかし今回公表された仕事は正直たいしたものではない。

この仕事は、文献的にVibrio natriegensの増殖がきわめて速いことに着目し、大腸菌の代わりとして使えないかと考えたところから始まる。その増殖能、全ゲノム配列、導入可能なプラスミド、それを用いた形質転換法、これらについてデータを取ったわけだ。これらの解析の結果を要約すると、至適培養条件では二倍化時間が大腸菌の約半分(30分→15分)であったこと、遺伝子導入のための複製可能なプラスミドが見つかったこと、形質転換の方法も見つかったこと、等である。最初に指摘培養条件を検討したところ、37Cで最も増殖が良かったという。実際に実験室では培養温度の違いによってインキューベーターの奪い合いになることが多いので、大腸菌と同じ温度というのはよい。しかしVibrioは好塩菌なのでどうしても培地の塩濃度を高めにしてやる必要がある。

データを詳細に検討してみると、各々についてそうとう不満足な結果しか得られなかったことがわかる。特にプラスミドとその形質転換法についてである。彼らはかなりの数のプラスミドを試してみたが、RSF1010という広宿主域のプラスミドが複製可能なことがわかった。このRSF1010というのはストレプトマイシンとサルファ剤耐性遺伝子が乗っていて、同様のものはかなり以前から幅広い菌種で見出されていている。だからこれがV. natriegensで複製しても全く驚きはない。しかしこれは低コピー数プラスミドで使い勝手が悪い。Electroporationによる形質転換法についても効率は2 x105/ug DNAレベルに留まっていてその利用法にはかなり制約がある。これは1,970年にHiga and Mandelによって発見された、塩化カルシウム溶液処理による最初の大腸菌の形質転換法での効率とほぼ同じだ。

私がこの仕事を通読して感じたのは、基本的な思想が間違っているのではないかということだ。そもそも大腸菌はどのような道具として実験室で使われているのだろうか? ざっくり言ってしまうとそれは二つだと思う。一つはプラスミド作成用の箱、もう一つはタンパクの大量調整だ。このうちプラスミド作成に関しては、現在は全化学合成が利用可能なので、従来法(ライゲーション)の必要性は著しく低下している。未だに需要があるのは後者のタンパク(特に低分子量タンパク)の大量調整だと思う。そうすると、大腸菌に替わる新たな細菌システムはどちらかというとこのタンパク大量調整を主眼に考える必要がある。

大腸菌分子生物学、生化学への応用は、一朝一夕になされたものではない。この大腸菌の高度な“家畜化”は、数多くの研究者が束になって何十年もかけて達成されたのだ。Vibrio属と大腸菌を含む腸内細菌科Enterobacteriaceaeとは比較的近縁とされる。しかし大腸菌で成功した“家畜化”のプロセスがVibrioでもうまくいくという保証は全くない。何よりも、現在既に確立されている大腸菌のシステムに合わせて作り上げられたプラスミドのラインアップや試薬一式、培地、器具等、これらすべて(あるいは大部分)を新しい菌に合うように作り変えるためには大変なコストがかかる。

むしろ考え方としては、大腸菌のプラスミドや形質転換システムをそのまま移植できるような菌種を探し出すようなやり方のほうが近道ではなかろうか? 具体的にはより近縁な菌種に候補を求めるやり方だ。もう一つの手は、大腸菌の増殖速度を向上させる努力だ。この論文で注目するデータの一つは、V. natriegensのゲノム解析である。この種ではrDNA(rRNA遺伝子)の総コピー数(11)が大腸菌(7)やコレラ菌(8)比べて多いことが示されている。大腸菌のrDNAのコピーを増やすことは増殖速度を上昇させることに寄与しないのだろうか? 素人考えではあるが。

 Churchらは論文の中で、このV. natriegenの意義を大腸菌のみでは解析できなかったような種類の遺伝的解析を可能にできるという。しかし純粋な生物学としてみると、大腸菌とビブリオ属は比較的近縁であり、こうした解析の必要性はさほど感じない。ビブリオ属に関しては、既に病因論的意義が確定しているコレラ菌V. cholerae)や腸炎ビブリオV. parahaemolyticus)で、個々の生物学が進んでいるので今さらV. natriegenそのものを研究することの意義は低い。(優先順位が低い。)

最後になったが、こうした最近の生命科学の傾向を見るにつけ、欧米における科学では”コンセプト重視”なのだと再認識させられる。ビッグデータ時代に入って、こうしたコンセプト重視の方向性がさらに強まってきたとも言える。こうしたコンセプト重視の傾向は、実は西洋の技芸では科学に限らず芸術でも同じである。人々の愛する印象派絵画というのは、コンセプト主義のさきがけである。印象主義の成功により、その後の西洋美術はかなり短いサイクルで次々と新しいコンセプトが登場して、ついには抽象絵画の世界に突入する。この急激なターンオーバーが一人の画家(例えばPiet Mondrian)の一生の間におこったのだ。このコンセプト重視のあり方は現代美術でも変わらない。この点に関する村上隆の指摘は傾聴に価する。彼は日本の若いアーティスト達がコンセプトと無縁の創作活動をしていることに警鐘をならす。これでは世界の舞台に登れないというのだ。世界の舞台とは欧米のアーティストが活躍している舞台のことだ。

話を元に戻すが、合成生物学ではコンセプトが全てといってもよい。逆に言うとそれほど自由度がある分野なのだ。しかしコンセプトは魅力的だがデータはちょっとというのも多い。さらにコンセプトそのものもつまらないものも多い。今回のChurchらの仕事はその両方だと思う。 

 

追記 6/27/16

増殖の早い大腸菌株は少なくとも一つの会社から売り出されている。6.5時間の平板培養でコロニーが現れると謳っている。