メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

コア施設の重要性

コア施設の重要性について考えてみたい。

コア施設(core facility)とは大学などの研究機関に設けられた共通の実験施設のことだ。日本でも動物実験施設やラジオアイソトープ実験室などを思い浮かべることができる。しかしこのコア施設に関しては米国は日本と比較にならないほど充実していて、その優劣がその研究機関にとっての死活問題となっている状況をまず述べたい。

実例として私の所属している研究機関であるSt. Jude Children’s Research Hospital(SJCRH)を例に挙げてみたい。SJCRHは小児難治疾患(主にがん)の研究・治療を目的としてテネシー州メンフィスに1,962年に設立された民間の病院である。このSJCRH自体の存在については驚くべき事実が多々あるが、それについて詳述するのは本稿の目的ではないが、簡単にその関連事項について概要を述べてみる。

SJCRHは医療機関であるが、研究機関としても高く評価されている。総従業員数は約4,000名。 年間予算は6億7,400万ドル(2,015年度)。歳入は主に公的助成金(NIHなどの政府機関のグラント)と寄付金からなっている。寄付金についてだがこの規模の機関としては多額の寄付金が集まっている。病院はそのために多大の努力を費やしていて、TVコマーシャルやその他の宣伝活動を行っている。そのためSJCRHは米国内では特別な価値を持った病院とみなされている。小児難治疾患を研究する病院では一人勝ちの状態となっている。寄付金は一旦資産運用のために設立された別組織、ALSACという法人に預けられ、ここでの運用益が実際の病院運営費に充てられる。この運用に充てられうる基金は総額310億ドルに達する(2,014年度)。ちなみにこの基金の総額は総合大学であるブラウン大学やジョンズホプキンス大学のそれと匹敵する。小児の研究専門病院であるにもかかわらず、その年間予算は多額である。

歳出の内注目するべきは多額の予算がコア施設に費やされていることだ。このコア施設には以下に列挙するような部門があり、研究の進歩に伴って新しい部門が新設される。

Animal Resource Center(動物実験施設)

Bioinformatics & Biotechnology(塩基配列決定など)

Biostatistics(統計)

Cell & Tissue Imaging(光学、電子顕微鏡

Cytogenetics(染色体検査)

Diagnostic Biomarkers Shared Resource

Dosimetry Core

Flow Cytometry & Cell Sorting(フローサイトメトリー

GMP/TPQ

Molecular Interaction Analysis(分子結合解析)

Pharmacokinetics(薬物動態)

PreClinical PK Core(前臨床薬物動態)

Protein Production(タンパク調整)

Proteomics(プロテオミクス)

Protocol Office

Small Animal Imaging(小動物画像解析)

St. Jude Biorepository (Tissue Bank)

Transgenic Knockout(トランスジェニック、ノックアウトマウス

Veterinary Pathology(獣医病理)

この中にはもっぱら臨床研究に使われる部門(例えばProtocol Office、これは治験の計画とデータ収集、まとめに関わる)もあったりして、私がこれらのすべての部門の様子を知っているわけではない。下線は私が利用したことのある施設である。リストの最後にVeterinary Pathology(獣医病理)があるが、ヒトの病理は病院内の業務部門なのでこの中には含まれていない。

こうしたコア施設に費やされる予算は約4,600万ドル(2,016年度)で、プロジェクト性のある総研究予算の約17%を占めている。人的組織も相当なもので、上記すべての部門に所属する人員はすべてを私は把握できていないが、リストの初めに出てくるAnimal Resource Center(動物実験施設)だけで約100名の人員が充てられている。

こうしたサポート部門の職種にもキャリアラダーが存在し、動物管理の部門には幾つかの段階の資格試験がある。この資格を順番に取得することにより、その人は別の研究施設にもすんなり移ることができるのである。一方より高度な知識、技術を要する施設もあり、例えばプロテオミクスの部門である。こうした部門には上位の学位(博士、修士)を持った人が多い。こうした部門で経験を積んだ人は、やはり別の研究機関の同じような施設の上位のポジションに移って行くことが多い。

こうしたコア施設は共同利用施設として機能するだけでなく、研究者側の要望に従って最適な実験方法を提案したりする、いわばコンサルタントとしての機能も果たしている。ということはコア施設の構成員は一般的な実験方法に習熟しているだけでなく、その領域の最新の技術、機器の情報に精通している必要があるわけだ。

コア施設の充実度は単にその組織の研究の実力を支えるだけではない。さらに二つの意味でコア施設の充実はきわめて重要である。

その一つはNIHのグラント審査において、当該研究機関での研究の実施可能性の判断基準となることだ。もしグラントの申請内容が当該機関のコア施設のレベルを越えているようであれば、その申請書にはマイナスの評価が与えられる。

もう一つの大きな意味は、研究機関が研究者をリクルートするために、コア施設の充実度を提示することが多い。“ウチではここまで出来ますよ”というわけだ。実際どうしても採用したい候補者のために特別の大型機器を購入したという話も実際にある。このため各大学はそのコア施設のホームページを充実させている。例としてミシガン大学(州立)とルイヴィル大学(多少規模が小さい州立大学)のものを挙げておく。ハーバード大学に至ってはコア施設のデータベースのページすらある。実際ハーバードのキャンパスは結構大きくて、ボストン地域に散らばる多数のスクール、研究所、病院にまたがっているのでこうしたデータベースが必要なのだろう。

さて最近の研究動向としては、いわゆる次世代シークエンサーがさかんに用いられるということがある。こうした機械が研究室単位で購入されることは米国では稀である。こうしたきわめて高価な機器のみならず、だいぶ以前のキャピラリー型のサンガーシークエンサーでさえ、コア施設で揃えていたのだ。後者は日本では概ね研究室単位で買い揃えていたものだ。

私は本ブログで何度かセントルイスのワシントン大学(WUSTL)はメタゲノム的研究では米国(および世界)のトップを走る大学であると紹介している。私の知っている限り、WUSTLのコアには少なくとも50台のイルミナシークエンサーが設置されている。

コア施設を充実することはいくつかの点でメリットがある。現代生命科学では限られた手法のみで重要な仕事を成し遂げることは難しい。そのために最近の高額機器をすべて単独研究室で揃えることはおよそ不可能である。したがって、コア施設の機器を用いることによってはじめて実施可能な手法がフルに拡げられるのだ。もう一つは研究予算の効率的な使用が可能になる。研究室ごとに機器を揃えるよりもコスト・パーフォマンスが明らかに優れている。過去の失敗例を一つ挙げる。日本では政府間レベルの交渉の結果米国製の研究機器を大量に購入したことがあった。これは中曽根首相の時代の話である。実際に私が某国立研究所で目にしたのは、とても大きな機械がシートを被ったまま稼働していないまま放置されていることであった。それは米国製セルソーターだったのだ。いかに優れた機械でも専任のオペレーターがいないとじきに無駄になるのだ。

日本の研究機関の上層部の方々にはこの問題(コア施設の充実)を是非真剣に考えて頂きたい。私は亜米利加出羽守(”アメリカでは、アメリカでは”が口癖の人のこと)といわれたくはないが、とても大事なことなので。

 

注) Protocol Officeは臨床生データから集計も行うので、医師の恣意的なデータ選択(ないしは不正)が治験成績から排除される仕組みになっている。こうしたやり方が法的に決められているのかどうかは私には定かではないが、あるべき姿だと思う。