メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

何が表現型を決めるのか?:肥満マウス出現へのエピジェネティック因子の関与

少し前に書いたサルの自閉症モデルの話題で、エピジェネティック因子の機能の解析は面倒であることを書いた。

1月のCellにTrim28のハプロ不全(haploinsufficiency )でマウスの肥満がおこる個体とおこらない個体があり、この肥満形質の発現に関与する遺伝子サーキットのスイッチがオンになっているという論文が出た。少し分かりにくいが、この論文のポイントは全く同じ遺伝子型で全く同じ飼育環境でも、表現型の出方が変わるということである。この論文には多数の興味深いデータが提示されている。同時に極めて重要な問題(謎)が提示されているので少し考察してみたい。

 

ヒトの肥満については一卵性双生児でも、また近交系のC57Bl6/J マウスでもそのおこり方(”発症”のしかた?)に個体間に大きな差が出ることが知られている。こうした個体差が何に起因するかは不明であった。しかし何らかのエピジェネティックなできごとが、こうした個体間の差をひき起こしてることは当然予想されていた。

著者らはエピジェネティック因子が実際にどのように表現型の“出方”に影響するかを前報で明らかにしている。そこでは戻し交配の繰り返しにより遺伝的背景が均一な状態でエピジェネティック因子の遺伝子を欠損したマウスを準備した。これらを同一環境で飼育して個体ごとの離乳時の体重を計測した。こうした因子の多くはホモ接合で致死なので、ヘテロ接合マウスを解析したのだ。

その結果、DNA methyltransferase 3a (Dnmt3a)ヘテロでは体重のばらつきが野生型よりも大きく、より体重の小さい個体が出現する傾向が見られた。同じDNAメチル化に関わる遺伝子でもDnmt1ではこうした体重のばらつきは観察されなかった。Trim28ヘテロ接合では体重のばらつきはさらに大きく二峰性となり、肥満マウスが出現した。著者らはこうした表現型のばらつきをphenotypic noiseと呼んでいる。こうした肥満マウスでの遺伝子発現パターンを解析したところ、Mas1遺伝子の発現の亢進が見られた。Mas1は脂質代謝に関与するとともに、メタボリック病への関与も報告されているのでそれらしい結果である。Dnmt3aTrim28はともに遺伝子発現のサイレンシングに働くので、遺伝子発現制御がうまく働かないことによって体重を制御する遺伝子(群)の発現異常が起こったものと推定された。

 

今回のCell論文では、同様のマウスをさらに詳細に解析した。脂肪組織における多数の遺伝子の発現パターンをRNA sequencingにより追跡したところ、Trim28ヘテロ肥満マウスでの遺伝子発現パターンは高脂肪食で誘導した肥満マウスのものとは異なっていた。インプリンティング遺伝子の一つの群の発現が低下していたのだ。これらはimprinted gene network (IGN)と呼ばれるクラスターのうち、IGN1とよばれるもので、正常なマウスでは父方由来染色体のみから発現がおこる。興味深いことにこの一群の遺伝子は体のサイズや体重の制御に関わっていることが以前より知られていた。重要なことは、このような遺伝子発現パターンはTrim28ヘテロ接合マウスのうち、肥満となった個体のみに見られたことだ。正常体重個体には見られなかったのである。すなわちこうした肥満の表現型の出現は遺伝子型のみに支配されているわけでなく、個体発生の途上でスイッチがONになっていたということだ。

Trim28 (ヒトではTRIM28)はRING型のE3タイプのE3ユビキチンリガーゼ遺伝子の一つで、他にKap1の名前で知られている。 TRIMファミリーは多数のタンパクから構成されていていて相互にヘテロ2量体やヘテロ3量体を形成して、ユビキチン化における基質特異性を決定していると考えられている。これらのタンパク群はユビキチン化を通じて転写等、様々な局面で働いていると考えられている。しかしその働きの全貌はほとんど解明されていない。

なぜこのように全く同じ遺伝子組成をもつ動物個体が異なる表現型を示すのだろうか? マウスの飼育環境は厳格に管理されているので環境要因も共通である。(但し飼育環境の厳密性に関しては後述する。)

今回明らかにされたような遺伝子発現サーキットのON/OFFがどのようにして引き起こされるかは本論文では明らかにされていない。しかしいずれにしても、このON/OFFにエピジェネティック因子の発現量が関与していることは明らかである。Trim28の量が正常な場合サーキットがOFFのままだが、それが半量になるとサーキットがONになる細胞が出現する。

遺伝子発現量の細胞間のばらつきについては大腸菌や酵母のような単細胞生物でも知られている。多細胞生物では組織中の個々の細胞の微小環境は異なるので、当然こうしたばらつきはより大きく逆にこれが組織や系統に特異的な細胞分化に寄与している可能性がある。著者らは以前の論文で 第一染色体上に複数GFP発現カセットを組み込んだマウスを用いてGFPタンパクの発現を調べた。その結果Trim28ヘテロ接合マウスでは赤血球中のGFPタンパク発現量に大きなばらつきがあることを見出している。したがって、上記実験で用いられたマウスではエンハンサー機能のばらつき(enhancer variegation)があることが推定される。

このことから、今回観察された肥満マウスの出現においては、DNAメチレーションまたはヒストン修飾のいわゆるエピジェネティック機構によるサイレンシングの異常(解除)が、モザイク状に起こっていることが予想される。ここで見られた肥満マウスでスイッチがONになるイベントは体内のどの細胞で、かつ何個の細胞でおこる必要があるのだろうか? ある程度の数の細胞にそうした変化がおこればその性質を持った細胞は正常な他の細胞の性質を変えるのだろうか? 遺伝的組成が同一のマウスを用いている以上、こうした“悪い”性質を持った細胞が最初から(受精直後から)存在していたのだろうか?

もう一つの疑問はこうして特定の遺伝子サーキットがONになった細胞では、そのサーキットのスイッチは持続的にONのままなのだろうか? いいかえるとこれは不可逆的な変化なのだろうか? この疑問は多くの疾患を理解する上で重要だと思う。なぜならば、多くの疾患である時期を越えると病態が一方的に進行して後戻りできないことが多いからである。無論こうした疾患の病態の進行は、例えば当該幹細胞の枯渇で説明できる。しかしそれ以外のメカニズム、エピジェネティックな出来事の不可逆的変化はあるのだろうか? (私自身、こうした課題を解くための思考実験をしているところだが、)今後の研究の進展が期待される。

 

今回報告された内容と前報の間にいつくかの矛盾点があるようだが、煩雑になるのでここでは触れることを避けたい。ただ一点だけ指摘しておきたい。今回論文中にあった全く同じ飼育環境という記述はやや言い過ぎかもしれない。このことを証するデータを著者ら自身が提供している。この研究は複数の研究機関にまたがって行われたが、マウスの実験はドイツ(独)、オーストリア(澳)、それにオーストラリア(豪)で行われたが、結果の再現性を示すために三機関すべてのデータが示してある(Fig. 1G)。興味深いことにマウスの体重のばらつきは独=<澳<豪となっていて、結果の”質的な再現性”を保証するとともに、実際には飼育環境の違いが結果の出方(ばらつき)に影響することも示している。豪州のばらつきの大きさはある程度予想されたが(失礼)。

さらにいうと、初期成長過程における同腹の仔マウス間の微妙な環境要因の違いについては十分考慮される必要があると思う。C57Bl6/Jマウスの一腹あたりの産仔数は9〜10匹で、授乳期には母親の乳房の奪い合いがおこる。この時期での仔マウスどうしの争いは、乳の獲得に大きな影響を及ぼし、ひいては肥満形質の発現に大きな影響を及ぼす可能性がある。こうした離乳前の飼育環境の違いはその後の個体の生育に大きな影響を及ぼすことは特に畜産分野ではよく知られている。これはヒトでも同じであろう。最近は出生直後に形成される腸内菌叢の影響に注目が集まっている。