メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ドラッグスクリーニングの”ド素人化”:DELを巡って

DNA-encoded library(DEL)の話

 

最近出現した化合物ライブラリーによってドラッグスクリーニングの“素人化”がさらに進展しそうな勢いだ。

2,010年頃に成立した(と私は思っているが、もう少し前かもしれない)がん研究のパラダイムシフトにより、臨床研究者が自ら抗がん剤の探索(ドラッグスクリーニング)に乗り出すことができるようになった。このパラダイムシフトについてはここでは詳述しないが、“素人化”しても大規模な化合物ライブラリーと大がかりな実験を必要としていたことにはかわりはなかった。

しかし最近実用レベルに達した DELを用いることにより、このスクリーニングの作業が大幅に簡略化されそうな状況である。DELとは個々の化合物が特異的な配列を持つDNA分子でコードされているようなライブラリーである。このライブラリーを固層化された標的タンパクと混合し、化合物とタンパクの結合を促す。非特異的、ないしは弱くしか結合していない化合物を洗い去る。残った特異的に結合した化合物のDNA部分をPCR増幅する。このPCR産物DNAを直接配列決定することで、どの化合物が結合したかを特定するわけだ。化合物が特定されたら同じものをDNA部分を除外して合成し、薬効を再確認し、以下通常の実験、試験を行う、という流れである。

実はこの方法の原理は1,992年に既にSydney Brennerらによって公表されている。この発想は明らかにその2−3年前のPCR法の発明に触発されたものである。技術的に未成熟であったため当時は実用化されるには至らなかった。これが最近になって、DNAを結合させたライブラリーの作成方法の向上、および次世代シークエンシング技術の確立、普及により、実際にスクリーニングに用いることが可能となった。こうした経緯については先月出されたScience誌の記事に要領よくまとめられている。(Brennerの思考の射程距離にはいつも驚かされる。)

この記事ではDELはもはや“単なるアイデアではない”という。その証左として、GlaxoSmithKline(GSK)はsoluble epoxide hydrolaseを標的とした薬剤をDELを用いたスクリーニングで見つけ、既に第2相試験の最中である。これは嚢胞性線維腫症(cyctic fibrosis)などの慢性肺疾患を対象としている。一昨年Nature誌にHarvardから出てきた論文ではinsulin-degrading enzyme(IDE)の阻害剤を同様の方法で見出した。このプロテアーゼはインスリンを壊すので、それに対する阻害剤は抗糖尿病薬として使えそうだというわけだ。他にも数多くのスクリーニングが進行中であると予想される。

実際上記の例では、最大10の8乗個もの化合物を含んだライブラリーのスクリーニングをわずか100 ul程度のサイズで行っている。時間的にもシークエンシング以外の全ての工程が一日で終わってしまう。これは従来法の大量の384ウェルプレートを仕込むような試薬と時間と人手を大量に要する作業に比べると著しく容易である。さらにPCR産物の解析は454シークエンサーでほぼオートマティックに行える。この過程は外注することもできるので、次世代シークエンサーを保有していなくても実施可能だ。

DELはドラッグスクリーングの敷居を下げ、素人の参入を促すことになる。こうした技術の“素人化”は、分子生物学の歴史上何度か出現している。それらはPCRの発明であり、ABIなどの自動シークエンサーの出現であったりする。こうした”素人化”には”外注化”も含まれる。次世代シクーンシング技術も実際はDNAを調整するだけでよく、“外注化”の例ともいえる。最近のkbオーダーのプラスミドの化学合成も”外注化”のもう一つの例であろう。こうした技術の“素人化”あるいは”ド素人化”は研究者層の裾野を広げ、研究領域の拡大を促す。その一つの例として、次世代シークエンサーの開発により進化生物学がDNA配列を基礎としたソリッドな科学に変貌したことが挙げられる。

”素人化”は研究の起爆剤なのだ。

さて問題はこうしたDELライブラリーがいかにして“素人”に手が出せる状況になるかである。すなわちライブラリーの商業化されるのはいつかである。ちなみにウェブ上で検索したところ、見落としがあるかもしれないが今のところ一社のみがDELライブラリーを商業的に供給している。それは中国の会社である。DELの商業化はこれから急速に進展してしてゆくものと予想される。

余談ながら、既に生命科学では中国は日本を追い越していることが明らかであるが、サプライヤーの面で状況は同じであるらしい。

私は日本の“鎖国化”を憂慮している。

 

 (追記)

CRISPR/Cas9は”素人化”の最たるものである。

1/9/16