メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

複雑系の原理を明らかにしようとしたメンデル

来年(2.016年)はグレゴール・メンデル Gregor Mendal (1,822-84) が遺伝法則を公表して150周年となる。実質的にはその内容が講義の形で明らかにされたのはその前年(1,865年)なので、既に代表的な科学雑誌はメンデルに関する記事を掲載している [1, 2]。

本稿ではメンデルの違った横顔について記すことにする。

遺伝学の歴史において、メンデルほどの貢献をした人物はいない。その創始者にして最大の貢献を果たしたのだ。メンデルの遺伝の法則は現在においても通用する。そのパラダイムは現在まで原則否定されていない。現代の分子生物学はそのパラダイムの上で仕事を積み重ねている。

メンデルの仕事はエンドウマメの交配実験で有名だが、本当は家畜や家禽のような動物の遺伝様式を研究したかったという。しかしメンデルモラヴィアチェコ)、ブルノの修道僧であり、動物の遺伝に関しては聖書を金科玉条とする教会や保守的な社会の猛反発を受けることを怖れて、結局栽培植物を研修対象に選んだのだった。このブルノの修道院はこの地方の学問の中心であったらしい。(修行僧が学問を担っていたのは洋の東西を問わない。)さらにメンデルは30歳の頃約二年間にわたってハプスブルク帝国の首都のウィーン大学で科学を勉強した。このとき数学と物理学はドップラー効果で有名なドップラー教授について学んでいる。メンデルは科学全般の素養を身につけたのだった。

しかしメンデルの学問的興味は最初から遺伝現象に向かっていたわけではない。遺伝現象に取り組む前のメンデルの興味はどこに向かっていたか? それは気象現象である。

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数年前、市内の博物館で開催されたメンデルに関する小さな展覧会には、メンデルが研究に用いた器具やノート類が展示されていた。そのなかには気象現象を詳細に記録したデータも展示されていた。こうした過去の偉大な学者のノートを見ると、その美しさに感銘を受けることが多い。(最近では東京、目黒寄生虫館にある碩学のスケッチブックに強い印象を受けた。)しかし気象現象はきわめて複雑な現象であり、現代に至ってもその原理が解明されたとは言い難い。メンデルは気象現象の解明は諦めて、遺伝に向かったのだ。結局メンデルは複雑な遺伝現象のうち、単一遺伝子で明瞭な表現型の違いを起こす、いわゆるメンデル遺伝の法則を見出したのだ。Cellに載ったメンデル150周年の短文には、表現型の整数比での分離は中国の古い文献やアンデス先住民族の伝承に既に認められるという。しかしこれを実験によって確認したのはメンデルが初めてである。

気象現象と遺伝現象、両者に共通することは何か?  それは両方とも複雑であることである。メンデルが明らかにしようとしたものは複雑系の原理(法則)の解明だったのだ。メンデルにとっては分野の選択は、本人の嗜好 を越えて“答え”の出そうな領域を選んだわけだ。この発想は資本主義社会における資本家が投資対象の中身に関する好みは無いという性向と似ている。

 (下はメンデルが遺伝研究に用いた顕微鏡と標本)

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メンデルの発表した遺伝法則の論文はこれ。英訳版もWikipediaから見られる。

Mendel, J.G. (1866). Versuche über PflanzenhybridenVerhandlungen des naturforschenden Vereines in Brünn, Bd. IV für das Jahr, 1865 Abhandlungen:3–47.