メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ヒト胚操作、ヒトー動物キメラと社会の対応

前回絶滅動物種の復活に関するを紹介した。そこで用いられる技術はそのままヒトの胚操作に使用可能である。しかし予想された通りヒト杯操作をめぐる深刻な倫理的問題が浮上してきた。今年4月に中山大学(中国)の研究者がProtein and Cell誌にヒトの胚細胞操作の論文を発表した。このヒト胚細胞操作に関する議論は生命倫理における今年最大のトピックとなっている。焦点はゲノムが改変された細胞の生殖細胞系列への導入を許容するかどうかという点である。

 Nature最新号に各国のヒト胚操作への各国の対応状況が要領良くまとめられている。生命科学に比較的多額の研究予算をつぎ込んでいる世界12カ国の規制状態が記されている。これはCRISPR/Cas9を用いたgene editing法が急速に広まっている状況を鑑みた上での調査である。それによると、日本を含む多くの国ではヒト胚操作に対する何らかの規制がある。特にオーストラリアやフランスなどでは、ゲノム改変が行われた細胞に由来する子供が生まれるような研究は法律で禁止されている。米国ではこのような研究への連邦予算からの研究助成が行われない。日本では文科省厚労省の定めた指針がこれに当たる(こちらの文書を参照)。

 北大の石井哲也らの調査によると、調べた世界39カ国のうち29の国はgenome editing技術のヒト胎児への応用を規制している。しかし日本や中国を含む多くの国では法的拘束力をもった禁止ではない。

 多くの研究者は国際的なガイドラインを定めてほしいと考えている。これは必ずしも法的強制力をもっている必要はなく、明文化された規則が各国の法律策定の助けになるからである。このような考えに基づいて、米国科学アカデミーはヒト胚操作に関わる諸問題の検討会議を12月に主催する予定である。

多くの研究者はこうしたガイドラインを無視して行われる研究の結果、一般社会の拒絶反応にあうことを最も恐れている。こうした議論は常に革新的医療技術が普及し始める際に沸き起こる。実際日本では拙速な心臓移植により、臓器移植の受容が著しく遅れた事実がある。最近ではiPS細胞による加齢黄斑変性の治療の試みが背水の陣で行われたのはこうした事例があってのことである。

 

さて臓器移植の話が出たが、最近の話題の一つに“ヒトと動物のキメラ“を作る計画がある。ヒトの幹細胞を動物の胚に注入してやり、ヒトの臓器をその動物個体中に作らせようとするのである。これにより移植手術に必要な臓器を効率良く入手するのを目的とするのだ。しかし現在米国でこの研究を進めようとしている研究者に対する助成金の交付に待ったがかかっている。

2,009年に出されたNIHのガイドラインによると、ヒトの細胞を動物胚に入れる実験(キメラ作成)は許容されている。しかしこのキメラからヒトの精子、または卵子を作らせるような実験には研究助成をしないことになっている。日本ではこうしたヒトー異種のキメラ作成実験そのものが許容されてない。東大医科研の中内啓光はマウスーラットのキメラ実験を行った。次いでヒトーブタ(またはヤギ)キメラ実験の場を求めて米スタンフォード大学に籍を得た。そこでカリフォルニア州の研究助成を受けて実験に着手した。ところが今年になって、NIHはこのようなヒトー異種キメラ作成実験そのものに関する再検討を開始した。この結論は来月出されることになっているが、結論によっては中内の研究にはNIHグラントは交付されないことになる。

 

ここで挙げたような先端的研究が最も実施されやすいのが米国である。上に述べたように、米国ではこうした研究に対する公的助成金の交付が制限されている。しかし私的機関で完全に私的資金を用いる研究は制限されていない。(もっとも米国では連邦の定める法規の他に各州が法律を定めているので全く無制限ということはないと思うが。)したがって、すべての研究を私的資金で行うぶんにはこれらの研究は実施可能なのである。

 

こうした科学の進歩と社会の対応の動きに接していつも感じることは、科学の進歩に一般社会が追いついていないことである。ヒト胚操作のように、実施されたら大きな社会的問題を引き起こすような事案については、情報公開が最も重要であると考えられる。一方で、公開された情報を受容するためのリテラシーが社会に育っていなければならない。これまで我が国では新技術に対する感情的ともいえるヒステリックな反応と、一方で重要な問題に対する無反応の両方が多く見られた。(一つの例として発酵蛋白(石油蛋白)の問題がある。これは朝日新聞によって葬り去られた。)

これは広い意味での教育の問題だが、特に社会が新技術を受け入れる際に必要な理性的対応を可能にするためには、メディアの役割は決定的に重要である。行政、立法機関にも一定の科学的リテラシーが求められる。我が国では博士号取得者が大量に生産されるようになって久しい。こうした博士号取得者の活躍できる場は本来もっと広い領域(報道、行政、立法)であるべきである。さらに学部以下のレベルでも科学リテラシーを向上させる試みが必要であると思う。こうした取り組みののちに科学的根拠に基づいた理性的な意見(sound opinion)が形成されるようになると思われる。 

 

(追加 11/7/15)

多数の科学書を発表している英国のMatt Ridleyは英オクスフォード大学でPh. D.を取得した後、26歳でThe Economist誌のthe science editorになった。私はこうした英米出版界の事情に詳しいわけではないが、格の高い雑誌にはこうしたPh. D.保持者が活躍する職があるようである。

 

 (追記 2/16/17)ヒトの多分化能幹細胞をブタ胚に注入する試みの(多分)最初の試みは2,017年1月のCellに発表された。