メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

“p53: The gene that cracked the cancer code” by Sue Armstrong, 2,015(読書ノート)[3]

前回からの続き)

 

前回p53が“祝福された遺伝子”であると述べた。がん抑制遺伝子としてのp53の研究のピークは1,990年代にあった。しかしp53遺伝子の医学生物学的発見はこれで終わったわけではない。以下にそれらを列挙する。

 

その一

10年近くも前のことになるが、私の勤務する施設 (St. Jude Childen’s Research Hospital)に本書にも度々登場するArnold Levineが招待講演者としてセミナーを持った。既にその時点で多くの人々は今更p53で一体何の話題があるのだろうかと思いつつ席に着いたのであった。ところが驚いたことに、そのときのテーマは“p53はLIFの発現を通じて雌(女性の)生殖能力に影響する”というものであった。ことのおこりはp53ノックアウトマウスの雌はほとんど不妊であるとう事実である。周知の通り、p53遺伝子を持たないマウスでは高頻度で発がんがおこる。マウスはそれ以外には特別顕著な表現型を示すわけではない。ところがp53-/-雌マウスはほとんど不妊であった。この事実は実際このマウスを使ったことのある研究者の多くが気づいていたのだ。

 

Levineらは p53の標的遺伝子にその原因があると考えたのだ。以前Levineの研究室ではp53タンパクの結合するDNA塩基配列を同定していた。(実際にこの仕事を行ったのは現在St. Jude病院にいるGerard Zambettiである。)この結合配列を持つ多数の遺伝子からLIFを選び出した。LIF (leukemia inhibitory factor) はマウスの胚性幹細胞(ES細胞)の多分化能を維持する作用があり、このためES細胞を用いる実験には盛んに用いられていた。Levineらはこの分子がp53によって転写調節を受けていて、子宮内のLIF濃度がp53-/-では低いこと、さらにp53-/-雌マウスの子宮内にLIFを補ってやると、産仔数が増えて野生型マウスに近づくことを明らかにした。LIFが受精卵の着床に必要であることを示したのであった。この講演の中身はじきにNatureに載ることになる。これはp53のがん抑制作用以外では、最も重要な発見ではなかろうか。

 

Levineらはマウスのみならず、ヒトでも同様の現象がみられることを見出した。p53にはいくつかの多型(polymorphism)が知られているが、このうちコドン72の転写因子としての活性の低い型(プロリン型)を持つ女性では、生涯産子数が少ないことがわかった。したがって、がん抑制活性の高いp53の多型は生殖において有利であることが示された。

 

その二

2,012年の山中新哉のノーベル医学生理学賞で有名になったiPS細胞である。作成(すなわち万能分化能の獲得)の過程でp53を失活させることが効率を向上させることが明らかとなった。がん細胞の示す脱分化した性質が未分化細胞と類似していると考える研究者は大勢いた。実際p53を一過性に失活させるとiPS細胞の作成の効率が上がることが示された。ちなみにこの経路でp53の上流にあるのは前述のARFである。

  

その三

モデルマウスを用いた一連の発がん実験によって、p53タンパクを持たないマウスとp53タンパクにアミノ酸配列の違いをもたらす変異を持つマウスとではできてくるがんの種類(スペクトラム)が異なることがわかっていた。その他の証拠から、このような変異型p53タンパクは発がんに寄与する新たな性質を獲得していることが明らかとなっていた。これらをgain-of-function (GOF)タイプのp53と呼ぶ。最近BergerらのグループGOFタイプのp53タンパクが一連のクロマチンモデリングタンパクと結合し、ヒストンの修飾(メチル化、アセチル化)の状態を変えることで発がんに寄与していることを示した。この発見はGOFタイプのp53をもつがんにおける新たな治療法の確立に寄与する可能性がある。

 

やはりp53は“祝福された遺伝子”なのだ。