メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

平成の終りを飾る上野千鶴子の”祝辞”

あまりにも多くの人々が論評している例の件だ。私が一万キロ東から常々感じていたことを書いてみる。(但し、私は政治学者でもなく、社会学者でもないので、かなり変なことを書いてしまうかもしれない。)

このブログのテーマである”主に生命科学と社会を考える”とはあまり関係ないようだが、微かに関係があることはある。

 

ここ米国では共和党のトランプという人物が大統領の職に就ている。この人物は見かけ通りに自身の欲求とか欲望に忠実なのであろう。今日の論点(というほどのものではないが)の一つは、この”欲望に忠実”ということである。

 

民主主義を構成している二大原理というものがある。言うまでもなくそれは”自由”と”平等”だ。原理と書いたが実際は民主主義社会が実現しようとしている理想である。だからこれらは原理ではなく”イデオロギー”と呼ぶべきなのだ。

実際この”自由”というのが曲者だ。各人が各々の自由を極限まで追求すれば、世の中は相当鬱陶しいことになる。どこかの先生が学士会報に書いていたが(失礼ながら、著者名は失念)、フランスとイギリスでは自由の概念が多少異なるという。前者(仏)では主に政治的自由が、後者(英)では経済的自由が大事だというのだ。米国はアングロサクソンの国として成立したので、この国では経済的な自由が重きをなしている。

問題は、各人が経済的自由を追求すると、誰かは金持ちになれるがすべての人がそうなるわけではないと言う冷厳な事実だ。だから経済的自由の追求は結果として不平等をもたらす。

この観点に立つと、”自由”と”平等”は相反するものである。別の言い方をすると”自由”と”平等”は対立概念であるということができる。(この点で日本の政党は自由も平等も一緒くたで、その点においては与野党に違いがない。だから常に対立軸がはっきりしない。)

 

ある時期に経済的自由が追求されると、それは富の分配の不平等をもたらす。これは放置すると社会に不満が蓄積して社会不安(暴動など)を引き起こすので、いずれ解消されなければならない。それを富の再分配(例えば累進課税)とか、社会福祉とかで解決しようとするのだ。(ちなみに消費税は逆進性があるので弱者をいじめる馬鹿な制度だ。)

大雑把にいうと、前者(自由)の実現を目指しているのが共和党で、後者(平等)の実現を目指しているのが民主党だ。だからトランプという人物が欲望に忠実であるように見えるのはとても自然なことだ。共和党政権で富の総量を増やし、その蓄積でもって民主党政権がその再分配をする。パイの拡大とその分配が交互に行われるわけだ。これが米国流二大政党による政権交代の大雑把なメカニズムだ。伝統的には英国の保守党と労働党の関係もこれに近い。(尤も最近の英国は多数党乱立の傾向のようだが。)

 

例によって前置きが長くなったが、平成時代の日本について考えてみよう。すでに多くの人々が書いているので今更の感があるが、私はこの間の日本では”人々の欲望が自己抑制された”と考えている。経済的自由を追及する(つまり金持ちになろうとする)ことは自己の欲望の発露の代表的なものであろう。多くの人々が経済的成功を目指そうとすれば、リスクを取って投資がなされ、それは結果として国の経済の活性化につながるであろう。

しかし実際はどうか? 人々はリスクを取らなくなった。今またマイナス成長になったいるらしい。経済的リスクはもとより、対人関係のリスクも取らなくなった。その結果が童貞率や未婚率の急上昇であり、少子化の進行である。欲望はどこに行ってしまったのだろうか。

結果、経済的にも対人的にも平等に貧しくなった。それでいいのだろうか?

 

話が飛躍するようだが、平成は過剰なコンプライアンスの時代だったと言われる。コンプライアンスとは欲望の発露と対立するものだ。世にいうリベラルの人々は差別とか、平等とか、こうした観念ばかりを強調して、人が本来持っている欲求とか欲望などをおよそ無視している(ふりをしている)、ないしは抑え込もうとしている。間欠的に出現する不倫報道はその最たるものだ。不倫は不道徳なものだが有史以来それが無くなったためしはないのに。こうした傾向は大手マスコミを始め、政治家、官僚、さらには大学教授の間に蔓延している。(そのくせ保身への欲求は高度に発達している。)

戦後教育の成果、ここに極まれりというべきか。

 

世の中で飛躍的な進歩を産み出すのは、どのような人々なのだろうか。ホンダやソニーを裸一貫で気づいた人々を見れば良い。あるいは科学的大発見を成し遂げた人々はどんな人々か。山中新也を見よ。本田宗一郎は部下をスパナで殴ったという。これは現代的には当然コンプライアンス違反だし暴力行為だ。私の年配の知人で国立の研究所で上司にバットで殴られた人がいる。昭和の頃にはこうしたことは結構あったのだ。しかし当人たちは強い信念と使命感を持っていた。本田はとてつもなく大きな目標を持っていたのだ。その一つは今ホンンダジェットとして結実している。こうした人々は他人のコンプライアンス違反とか差別的行動を咎めたりしない。なぜなら自身の目標追及に忙しいから。そうではない人々がそれを声高に叫んでいるように思う。日本はいつから暇人だらけになってしまったのだろうか。

 

最初の部分に戻る。 

タイトルで今回の東大入学式での祝辞を”平成の終わりを飾る”と書いた。これは皮肉でもなんでもない。この上野千鶴子の”祝辞”こそ平成という時代を体現していると思う。元号というのは便利なもので、変わると新たな気分を持てる。新元号になり日本は再生しなけらばならない。今、元気のない日本で必要なことは何か。東大の入学式で平成の次の時代に羽ばたく若者に対する祝辞としては、誠に覇気がない話ではないか。日本に必要なことは若者の欲望を解き放ってやることなのだと心底思う。

東大自身が変わる必要があるのだ。

 

最後に女性差別に関して私見を述べる。

私は女性差別の存在を否定するものではない。女性の”社会的”地位の向上に反対するわけでもない。私の考えはいわゆるリベラル系の人たちの考えと変わるものではない。職場での女性の地位を考えるとき、やはり間近に見る米国の職場環境は素晴らしく思える。(こういうことをあまり書くと、アメリカ出羽守といわれるので普段は控えているが。)しかしその米国でもここまで来るのに100年かかったのだ。

日本の女性差別については独自の歴史的、文化的条件に起因している。しかしそれに加えて多くの物理的条件が影響しているように思う。私の考えるその最大の条件は東京の存在である。この人口3,700万人の世界最大の大都市圏の存在が男女平等参画を阻んでいるのだと思う。そのメカニズムについてはここでは詳しく語らないが、素直に現状を観察すればわかることだ。東京大都市圏は人間が人間らしく生活するには大きすぎるのだ。こうした物理的条件を解消せずに女性差別解消だけを主張するのは単なる精神論に近い。精神論は乱暴だというならば、イデオロギーだ。こうした負の物理的条件が解消されてから、さらに長い時間(100年?)が必要なのだと思う。

私は東京の存在が男女共同参画の最大の障害であるという論に未だお目にかかったことがない。それはそうだろう。一極集中の東京でいい思いをしている(あるいはそのように錯覚している)識者たちが東京解体論を主張するわけもない。

皆さんが素直に自らの目で見て、頭で考えてほしい。

 

とりとめのない話になってしまったが、来たる令和の時代がより元気な時代になることを祈りつつ、筆をおく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワクチンが効くのは何年?

これはとてもは大事なことだが、あまりホントのことは知らされていない(注)。

Scienceサイトの4月18日付のニュース記事にこれに対する答えが書いてある。公開記事なので、興味のある方は読まれると良い。

 

結論を言うと細菌毒素の3種混合、これは破傷風ジフテリア、百日咳だが、前2者に対する免疫はほとんど終生持続するが、百日咳だけは数年で消失する。

生ワクチンの3種混合、麻疹、風疹、おたふく風邪だが、これも前2者に対する免疫は終生持続する。おたふく風邪のみが10年程度で効果を失う。

したがって、これらに対しては再びワクチン接種を受ける必要がある。

面白いのは(面白くない?)のはインフルエンザワクチンだ。これは約90日で感染防御効果が失われる。米国ではインフエンザワクチンの接種は、流行が始まるかなり前に開始される。例えば9月に接種を受けた人は、流行期の1月、2月には既にそのワクチンによる感染防御能は失われている(笑)。インフルエンザに関しては他にも大きな問題がり、もしワクチン株にかなり近いタイプの感染を受けた場合でも罹患することが多い。しかしその場合でも症状の重篤化は防げるので、やはりワクチンを受けることは有益なのだそうだ。

2016年にWHOで、黄熱ワクチンのブースター接種(初回接種で生じた免疫を増強するための追加接種)の必要性が議論された。これは、過去70年間にワクチン接種を受けた540万人の中で、黄熱に罹患したのがわずか12例であったことを根拠にしている。しかしブラジルの報告では過古35年間に黄熱ワクチンを受けた人のうち、459人が黄熱に罹患したという。WHOが根拠にしたデータがどこから出てきたかよくわからないが、ワクチン接種後10年で感染確率が上昇するらしい。WHOが根拠にした数字は、当該ワクチンによって世界のかなり広い地域が黄熱の清浄地になったことに起因しているらしい。

記事ではあまり詳しく触れられていないが、記事中のグラフによると天然痘ワクチンの効果は一生の間に徐々に低下してゆくようだ。既にワクチン(種痘)を受けている人の大部分は感染防御能が低下している。したがって再び天然痘の流行が起これば大惨事になることは想像に難くない。もっとも再流行の可能性はかなり低いが。

最近接種が開始されたワクチンでは、パピローマウイルス(HPV)ワクチンが優れている。まだ30年程度しか歴史がないが、血中中和抗体は良好に持続している。本当にこのワクチンの日本での再開が望まれる。私見だが、女性が接種を受けるのが普通の考え方だが、女性の代わりに男性がもれなく接種を受けても効果は同じで、その集団(つまり日本人)の女性の子宮頸癌の頻度は劇的に低下する。一考を望む。

 

さて科学的(免疫学的)に重要な課題は、なぜワクチン(病原体)によって効果の持続期間が異なるかだ。これについては何人かの専門家のコメントが載せられているが、いずれも”解らない”と言っている。これがわかれば持続期間を延ばせる可能性が出てくる。

 

(注)無論、知ろうと思えば文献に当たれば良い。しかし何しろ病原体の数が多いので門外漢が自分で概略を知るには無理がある。

"Reverse global vaccine dissent"

Science誌最新号の巻頭言のタイトルである。”反ワクチン主義を押し戻せ”とでも訳せるか。著者はHeidi LarsonとWilliam Schultz。ともにLondon School of Hygiene and Tropical Medicineの所属で、前者は教授、後者は大学院生。

 

以下、私なりの翻訳(要約、意訳)。

WHOが今年世界の人々の健康を脅かす10項目のリストに入れているのが”反ワクチン運動(ないしは感情)だ(注)。記事ではナイジェリアでのポリオワクチンへの忌避とそれに起因する世界規模でのポリオの再流行や、日本、デンマークアイルランド、コロンビアにおけるワクチン接種後の疾患が、接種の中止を引き起こしたことが述べられる。さらに特定の宗教では戒律をもとにワクチンの不当性を訴えたり、迷信に基づいて世俗療法でワクチンを代替しようとする動きも絶えない。しかしこうした動きは何も新しいものではない。問題はSNSによってこうした反ワクチン運動、機運が広範囲に拡大している現況だ。

記事の後半では、なぜワクチン接種が必要かという点に論点が移る。そのキーワードとして、集団免疫(Herd (community) immunity)の概念を述べれる。集団が一定以上の割合で免疫を持っていると感染症の流行自体が発生しない。さらに大事なことは、ワクチンを受けられない人々の存在だ。どの社会にも一定の割合で、免疫学的な弱者が存在する。ここには小児、老人、あるいは免疫不全を持った人々が含まれる。臓器(骨髄)移植を受けた患者も含まれる。免疫抑制剤を投与されているからだ。こうしたワクチンを受けられない、あるいはワクチンが無効な人々は、その所属する集団が免役を持っていることにより感染症から守られているのだ。

約20年前、悪名高いAndrew Wakefieldが三種混合(MMR)ワクチンが自閉症の原因となるとする論文を発表した。この説はまたたくまに世界に広がった。これは時を同じくして世界に出現したSNSによるところが大きい。2,010年にWakefieldの論文は撤回されたが反ワクチン感情は一人歩きしてさらに増幅している。

こうした状況を憂慮して、American Medical Association(AMA)は主要なSNS関連企業のCEOに対し、ワクチンに関して科学的に正しい情報だけにユーザーがアクセスできるようにすることを要求した。しかし反ワクチン感情(主義)はすでにその人のアイデンティティーの一部となっていて、そうした人々のネットワークが容易に潰えるとは考えられない(注2)。

最後の部分にこの反ワクチン主義(感情)の克服のための提言が述べられるが、あまりに抽象的なので省略する。

 

以上が巻頭言の内容である。

 

以下、多少の私見を追加する。

 

現実にワクチンによって引き起こされた問題について、記事を書いたことがある。その一つの例はGSKで生産されたインフルエンザワクチンの一つの件。欧州ではこれを接種された人のうち約1.300人(約23万人に一人)がナルコレプシーを発症している。ナルコレプシーは特異な症状を呈する自己免疫疾患だ。GSKの研究者のねばり強い追求の末、製剤に含まれるインフルエンザのNPタンパクの一部が、ヒトの2型ヒポクレティン受容体と類似した配列であることに気づいた。このNPタンパクがワクチンを受けた人の体内で2型ヒポクレティン受容体に対する抗体を作らせ、それでナルコレプシーが引き起こされることが判明した。NPタンパクは本来最終製剤に含まれるべきではない成分だが、どうしても夾雑タンパクとして残ってしまうことがあるのだ。

核酸ワクチンの研究が進んでいるが、この方式だと夾雑タンパクの問題は回避される。

 

ワクチン接種は国単位での仕事だ。世界の主権国家の機能が弱い(例えば内戦状態等の場合)地域では感染症が頻発している。ワクチン接種に伴う副作用、事故など、ワクチンは完全無欠ではない。しかし国、地域で見たときには必ずワクチン接種が行なわれない場合よりも圧倒的にメリットが大きい。

ワクチン接種を推進する側、すなわち国は強い使命感を持ってことに当たる必要があるのだ。最近は問題が起こるとすぐに任意接種になってしまう。当該部局の使命感はあるのだろうか?

国家が責任を持つべき最低限の行政分野は安全保障、外交、公衆衛生等、それほど広いものではない。ワクチン接種の考え方は軍事、国防などと共通する部分がある。全体を守る為に少数の犠牲を受け入れるという考え方だ。この少数の犠牲に報いることはとても重要だが、ここではこの件には深入りしない。少数の犠牲を伴う事業にこそ国が責務を果たす必要がある。この犠牲は理不尽なものであって、ワクチン接種の必要性について、十分に敎育・啓蒙してゆく必要があると思う。

反ワクチン感情を煽る(いわゆる)リベラル系の新聞社は明白に社会の敵である。今後日本で多くの人女性が子宮頸がんで命を失うことが予想されるが、一体誰がこの責任を取るのだろうか?

 

(注)他に気候変動や薬剤耐性菌など。詳しくはWHOのサイトで。

(注2)こうした人々に共通する性向として、反原発、反GMO、向クリーンエネルギーなどがセットで見られることが多い。

ミツバチ殺さぬ「殺虫剤」

日刊工業新聞のサイトに”ミツバチ殺さぬ「殺虫剤」を導き出したAIの貢献度”という短い記事が出ている。あまりに短いのでこの住友化学の試みがどのようなものかは今ひとつ定かではない。

先に昨年11月にScience誌に出された同号に出た研究論文の紹介記事を挙げておく。タイトルは"Pesticide affects social behavior of bees"だ。要するにネオニコチノイド系薬剤が蜂の社会行動に影響を及ぼして、その結果蜂のコロニー維持に支障をきたすという実験結果が得られたという。ネオニコチノイドがミツバチの生死そのものに影響を与えているわけではなく、社会行動の異常によって子孫の繁殖が行われなくなり、結果コロニーが消滅するというわけだ。

但し、ここで紹介された研究ではミツバチではなく、マルハナバチ(bunlebee)が実験材料として用いられているが、この紹介記事ではマルハナを使ったことがこの研究の成功の理由であると述べている。(私にはその理由はよくわからないが。)ミツバチで同じことが起こるかどうかは今のところ不明だが、マルハナバチもいわゆる授粉者(pollinator)として働いているので、この実験結果は実用的価値がある。

最初の住友化学の試みに関する記事では、ハチへの毒性を抑えた殺虫剤の開発にAIを用いたということだ。計算結果に基づいて試作品を合成したところ確かにハチへの毒性の低い成分が合成できたという。

しかし世界的に問題となっているネオニコチノイドもハチへの”毒性”自体ははっきりしない。そこに上のScience誌の論文の価値があるわけだ。住友化学の試みは評価できるとしても、さらにAIには”ハチの社会行動に影響を与えないような”成分を”考えてもらう”ことが必要かもしれない。

 

 

サンタ・アニタ競馬場、ナカタニ騎手

競馬好きの人には馴染みのある名前だと思うが、サンタ・アニタSanta Anita Park)はロサンゼルス近郊にある名門競馬場だ。

3月29日のScience誌のニュース欄に"Wave of horse deaths on famed racetrack poses puzzle"という記事が出た。”名門校競馬場での相次ぐ競走馬の死亡の謎”とでも訳せようか。

記事の内容は、サンタ・アニタ競馬場でここ3ヶ月以内に計22頭の競走馬が脚部の故障のために薬殺処分となった。この間の死亡率が異常に高いことが問題視されている。その原因がサンタ・アニタ独特のターフの性質によると思われたので、米国内で評価の高い研究施設に調査を依頼したが、依然として真因が不明であるということだ。

近年の競馬は競走馬に過剰なストレスがかかる。行くところまで言ってしまった感がある。今回の件で最も敏感に反応したのは動物愛護団体だ。いわば競馬そのものが曲り角に差し掛かっているような気がしてならないが、このことに関しては今回は書かないことにする。

最近サンタ・アニタでもう一頭の競走馬が死亡したので、少なくとも丸一日競馬開催を中止することが決まった。カリフォルニア州の競馬を統轄する組織であるCHRB(California Horse Racing Board)は、来週この問題を討議することを公表した(注)。

 

以下の部分は本質的には競馬そのものとは関係ない。

サンタ・アニタ競馬場は大戦中に日系人の収容施設として使用された(注2)。米国人騎手で日本でもたびたび騎乗しているコーリー・ナカタニCorey Satoshi Nakatani)は日系三世だが、彼の父親は収容所で生まれ、サンタ・アニタで幼児期を過ごしたという。コーリーはその父に連れられて競馬場に行き、騎手への道を選んだ。そのナカタニがサンタ・アニタで勝利した時のTVドキュメンタリーが全米ネットのスポーツ専門局(ESPN)で作られたという。これを製作した人(米国白人)は、周囲の米国人があまりにも戦時の日系人収容のことを知らないので、何とかスポーツに絡めたドキュメンタリーを作ろうと思ったそうである。残念ながらこの番組は結局放送されなかった。

この話はリトルトーキョーの全米日系人博物館でのシンポジウムで聞いた。ロサンゼルスを訪ねる方には全米日系人博物館に立ち寄ることをお勧めする。

 

 

(注)米国には日本のJRAのような全国的な競馬組織は存在しない。州ごとに組織がある。例えばニューヨーク州ではNYRAという組織が、ベルモントサラトガなどの競馬場でレースを開催している。

さらに国民的な人気という点でも日本とは大きな差がある。米国ではケンタッキーダービー(5月初め)から始まる3歳馬の、いわゆる三冠馬を決定する三つのレースだけが全国的に注目される。したがって多くの人々にとって競馬の季節は5月の1ヶ月間だけだ。しかも馬が最も強くなるその後の時期には見向きもされない。

(注2)全米日系人博物館によると正式な日系人収容所は計11箇所とされており、サンタ・アニタは含まれていない。収容所に送られる前に日系人が集められていた集合所の一つであったらしい。

 

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サラトガ競馬場

 

シドニー・ブレンナーのこと

シドニー・ブレンナー(Sydney Brenner, 1,927-2,019)が亡くなった。

 

シドニー・ブレンナーと会ったのは1,996年のこと。当時私は東京の大学に勤務していたが、ブレンナーがカリフォルニア(サン・ディエゴ)に新しい研究所を作ったと聞いて、手紙を書いたのだった。当時はジョブの応募は手紙でやるのが普通で、さらに高齢のブレンナーだとますますメールは使ってないようだった。

しかし手紙の返事は来ず、あれほど高名な学者ならば無視されても仕方がないと諦めていた。ある日ラボのFAXが音を立てて動き始めた。今どきFAXなど一体誰が送ってくるのだろうと思っていると、なんとそれはブレンナーからであった。”来月東京に滞在するので、xx日の朝8時にパレスホテルのロビーに来い"という。

結局カリフォルニアの研究所はできたばかりで、人を増やすだけの予算がないのだという。その代わりというのもなんだが、シンガポールのラボなら今すぐにでも採用できるという。結局のところ家族や子供のことを考えて、米国の他の場所に来ることを考えて現在に至っている。

 

その頃ブレンナーは何をしていたか? それはフグプロジェクトだ。フグとはあの有毒な魚類のフグ(河豚)である。その頃すでにヒトの全ゲノム配列を解読することを目標とするヒトゲノムプロジェクトが始まっていた。しかし、それがいつ完了するかは不明であった。ヒトのゲノム(ハプロイド)の総塩基対数は3,3 Gbもある。しかもそのかなりの部分がいわゆる非コード領域だ。解読された塩基配列のうちのほんの一部が”意味のある”遺伝子であるわけだ。そこでブレンナーはゲノムサイズのより小さいフグに着目したのだ。トラフグの全ゲノムサイズは約400 Mb(0.4 Gb)だ。フグはレッキとした脊椎動物なので、脊椎動物の持っているべき発生・生理に関わる遺伝子を一セット持っている。したがってランダムにゲノム配列を解読してゆけば、ヒトゲノム計画と比べると約8倍の確率で遺伝子に当たると考えたのだ。あとはヒトの類縁配列をクローニングしてやれば良い。

私はこのシステムを用いて、第一染色体短腕上にあることが想定されている神経芽腫のがん抑制遺伝子の探索をしたいと考えていたのだ。神経芽腫では約4分の1のケースで癌遺伝子MYCNが増幅していることがわかっていて、このMYCNの増幅が予後と強い相関を示す。こMYCN増幅は常に第一染色体数短腕(1p36)の欠失を伴うことから、1p36にMYCNの増幅を抑制している、いわば”がん抑制遺伝子”があることが想定されていた。ランダムなヒトゲノム配列の解読により1p36にある遺伝子がを全て洗い出すことは可能である。しかしそれには相当な時間がかかる。そこでフグを使えばこうした遺伝子の探索がずっと容易に出来るのではないかと考えたのだ。

フグプロジェクトそのものは、ヒトゲノムプロジェクトが予想外のスピード完了したため、その存在意義を失ってしまった。世界の叡智のもとに開始されたフグプロジェクトは米国流物量作戦に完敗したのだ。

 

ブレンナーの研究人生はこうしたモデルシステムの開発に捧げられたと言っても過言ではない。線虫のC. elegansの細胞系譜を調べ上げたのもブレンナーの功績である。エレガンス線虫の個体発生はあらかじめ設計図に描かれているように進行する。発生過程で特定の細胞を除去してやると、その細胞が最終的に成体で占めるべき部位が欠損した成体ができてしまう。

この細胞系譜を利用してプログラム細胞死(Programmed Cell Death)の機構を解明したのがロバート・ホロビッツ(Robert Horwitz、MIT)だ。この予定された細胞死の機構解明に対してホロビッツノーベル賞が贈られた(2,002年)。同時にブレンナーにも贈られた。ブレンナーは具体的にプログラム細胞死の機構解明そのものにおいて大きな功績をしたわけではない。しかし私の想像だが、アカパンカビから始まる生物科学への巨大な貢献をなした、この20世紀の叡智に対してノーベル財団が顕彰したのがこの年のノーベル賞だったと思っている。

この決定に誰も異議を唱えることはできなかったと思う。

 

 

 

感染を促進する抗体の正体

これに関連する記事は二年前にも書いた。

 

ジカ熱流行の衝撃

ここ数年世界で問題となった感染症に、エボラ出血熱とジカ熱がある。エボラの場合、感染力、致死性が共にきわめて高く、流行を封じ込めることの重要性に議論の余地はない。一方、ジカ熱自体は致死性は低く、症状も軽い。ところが2,015年5月に始まったブラジルを中心とする中南米での流行で驚くべき事実が明らかになった。妊婦が感染した場合、経胎盤的に胎児が感染し、その多くが小頭症を発症したのだ。

ジカ熱ウイルス(ZIKV)はフラヴィウイルス属に分類される。ここにはデングウイルス(DENV)、日本脳炎ウイルス、ウェストナイルウイルス、黄熱ウイルスなどが含まれる。これらのウイルスの多くは蚊などの媒介昆虫によって伝播され、だいたいは不顕性感染である。こうした特徴はフラヴィウイルスによって引き起こされる感染症を理解する上で重要だ。これまで症状的には軽微にとどまると思われていたZIKV感染が、小頭症を起こすとは、、、。

 

フラヴィウイルスにおける抗原的類縁性

フラヴィウイルスの各ウイルス種の間には多かれ少なかれ抗原性における共通性がある。通常抗原的共通性がある場合はそれらのウイルス間で交差免疫が成立する。しかしフラヴィウイルスでは事情は少し込み入っている。

話をデングウイルスに移す。デングウイルスには四つの血清型(DENV-1 ~ 4)が存在する。血清型とはそのウイルスの抗原性に基づいた分類である。ある血清型のウイルスに感染すると、その後同じ血清型のウイルスに対する感染防御が成立する。これは他の多くのウイルスと同じだ。ややこしいのは他の血清型の再感染である。デングでは他の血清型の際感染に際しては、激症型の感染経過をたどることがあり、これをデング出血熱と呼ぶ。ここではそのメカニズムを詳述しないが、特定の抗体がウイルス表面に結合することにより、ウイルスの細胞への感染を促すようだ。

ここでデングとジカの関係が問題となる。フラヴィウイルス属の各ウイルスゲノムは多かれ少なかれ抗原的共通性を持っている。そこで浮上して来たのがデングの四つの血清型のように、あらかじめフラヴィウイルスに属する他のウイルスの流行があった後にZIKVの流行があった場合どうなるのか。最初のウイルスに対する抗体はZIKVの観戦を防ぐのか、それとも促すのだろうか?

DENVとZIKVはともにネッタイシマカで媒介されるので、流行地域が重なることが多い。これらのウイルスの一方に対する抗体は他方の感染を抑制するのか、促進するのか? この問いに対しては、培養細棒や動物を用いた実験にから双方それぞれを支持するデータが提出されている。

 

2,015年流行での抗体からわかったこと

さて最近のNature誌に掲載された論文だ。

ここではエル・サルバドルとブラジルの住人の約1,500検体の血清につIてZIKV(特にNS1と呼ばれるタンパク)に対する抗体を調べている。但しこれらの検体はジカ熱流行の前後に採決されたもので、両者における抗体値の推移を調べることでいくつかの情報が得られる。

これらの検体では流行後のZIKV抗体は73%が陽性であり、流行がきわめて広範であることが確認された。このZIKV陽性検体の流行前のDENVに対する抗体を調べたところ、興味深い事実が明らかとなった。ジカ流行前のDENV抗体の存在が、ZIKV感染を抑えているかどうかはジカ熱流行後のZIKV抗体の出現の有無で知ることができる。

結果はたいへん興味深く、すべてのIgGサブクラスでのDENV抗体価は後の感染抑制と正の相関を示した。ところがIgG3サブクラスのみでのDENV抗体価は感染抑制と逆相関を示した。

IgG3サブクラスの抗体は感染後短期間で消失してしまう。したがって、比較的最近DENVに感染した人はZIKVに遭遇した際に容易に感染が成立してしまうという結論が導かれたのだ。 

こうした疫学的追求により、結論はDENV抗体はZIKV感染を防ぐとも言えるし、促すとも言えるわけだ。

 

未だ多数の疑問が未解決だが、おいおい答が出てくるものと思われる。