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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

マイク・ホンダの引退

2,016年は各国で政治が動いた年だ。大統領選挙に加えて上下両院議員の選挙も行われた。

最近のサイエンス誌にマイク・ホンダの議会からの引退が報じられている。ホンダは日本ではいわゆる従軍慰安婦問題で日本を糾弾する急先鋒として知られているが、ここでの文脈は科学、教育政策に貢献した政治家としてホンダをとらえ、その引退を惜しむ記事だ。

マイク・ホンダ(日本名、本田実)は1,941年カリフォルニア州生まれの日系三世で現在75歳になる。幼少期をコロラド日系人収容所で過ごした後、カリフォルニアに戻った。大学卒卒業後は高校で理科の教師や校長を務めた。1,971年当時サンノゼ市長であったノーマン・ミネタの任命によってサンノゼ市計画委員会委員にとなった(注1)。これで政治家への道が開かれ、カリフォルニア州下院議員の後、2,001年から同州選出の連邦下院議員となった。以後本年11月の選挙に敗れるまで8期(16年間)にわたって下院議員の職にとどまった。慰安婦問題に対する日本政府の謝罪要求を提出したのは2,007年1月だ。

サイエンス誌は特に科学、教育分野でのホンダに焦点を当て、インタビューしている。ホンダはこの議員生活で学んだことと変えたかったことを述べている。

ホンダは下院での1,000回を上回る公聴会に臨んでいる。ここでホンダがとりくんだことは、公聴会での議員たちのスタンドプレーを抑えることと、証人の重要性を評価することだった。”科学者たちはワシントンDCにやってくるが、彼らに必要なことは自身がいかなる専門的優位性(expertise)を持っていて、問題となっていることがいかに政策決定に重要であるかを示せなければならない”という。

ホンダは常に科学的事項について実質的な(科学的な)証拠を重要視していた。科学、技術系の政府機関の予算配分を決定するパネルに継続的に関わっていた。

インタビューの中で、ホンダの任期中にシリコンバレーの人々がいかにワシントンDCへの態度を変えていったかを述べている。それによると最初は”DCが自分たちの邪魔をしなければ良い”と考えていた。しかしやがてホンダの助言に従って、連邦議会への働きかけを積極的に行うようになり、現在ではDCに事務所を持っていると述べる(注2)。

さらに教育政策に関しても重要な役割を果たしたようだ。オバマ政権下では教育省長官の職を望んでいたようだがこれは実現しなかった。

 

ちなみにこの記事では科学、教育分野以外のことについてはあまりふれられていない。したがっていわゆる従軍慰安婦問題についても全く記載がない。日本では慰安婦問題以外のことでは全く知られていないが、この記事からホンダ議員の貢献を垣間見ることができる。当然といえば当然だが、一人の人間の活動がたったひとつのことに限られているはずはない。

 

(注1)ノーマン・ミネタはその後アジア系として初めて連邦政府の閣僚(商務長官、後運輸長官)になった。

(注2)いわゆるロビー活動をするようになったということだ。シリコンバレーはホンダの選挙区に含まれている。ロビーというのはネガティブなイメージで語られることが多いが、自らの理想・目標を実現するために行う活動だ。我々の病院は一般病院とは異なった特殊なものなので、政策的な特典を得るためにロビイストを議会に常駐させているとと聞いている。これは主に州議会のレベルだが。そのための資金は広く一般からの寄付金によるものであり、こうした活動は巨大企業によるものとは性質が異なり、なんら恥ずべきことではないと考える。