メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

D・トランプ時期大統領と文豪S・フィッツジェラルド

表題のD・トランプ時期大統領と文豪S・フィッツジェラルドとはほぼ何の関係もないことを最初にお断りしておく。

トランプの勝利を”負け犬の逆転劇”と捉える記事とするを読んで、自ら実感したことを書こうと思った。記事では米国社会の”負け犬(underdogs)”がトランプを勝たせたという。この”負け犬”とは”ヒルビリー(Hillbilly)”と呼ばれる人々であるとする。この川崎大助の記事ではヒルビリーのことを、”くせの強いアクセントで、特殊な言い回しで喋る。狩猟をする。密造酒を作り、飲む、身内のことしか信用しない。だから近親相姦もする・・・・こうしてステレオタイプ化されたイメージが、ポピュラー文化の中で再現されていった”と述べている。この記事がどの程度大統領選の真実を穿っているかはとりあえず棚上げする。

ヒルビリーブルーグラスの源流としての、20世紀初頭のアメリカ音楽のカテゴリーとして有名だ。しかしもともとはヒルビリーとはアパラチア山脈のあたりに住んでいた、主にアイリッシュスコティッシュ系の貧しく差別された人々の呼称であった。だからヒルビリーの音楽とそこから発展してきたブルーグラスにはそうしたケルト系の音楽の名残がある。米国の音楽は、常にそうした貧しく差別された人々から生み出されてきたのだ(注1)。

ヒルビリーの人々の歴史と現在については、日本人の間にはあまりにも知識が乏しい。一体全部で何百万人(何千万人)の人々が、どこに住んでいて、どんな暮らしをしているのか、これらについては全く知られていない。これは普通のアメリカ人でも同じらしい(注2)。 アメリカ人が分断されているというのはヒラリー・クリントンが選挙直後に言ったことだ。しかしアメリカ人はそのずっと前から”分断されてきたのだ。

これで思い出したのがフィッツジェラルドの短編小説だ。フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald)は”グレート・ギャツビー”などの長編小説で有名だが、短編小説も多数残している。その中に、”Jemina, The Mountain Girl"(邦題:山娘ジェミナ)という佳編がある。これは山中に住む密造酒一家(タントラム家)の話ということになっている(注3)。この設定はまさにヒルビリーそのものだ。主人公は一家の16歳になる娘ジェミナだ。この一家と川向こうの別の密造酒一家(ドードラム家)とは何代にもわたる抗争の最中だった。たまたまその日都会から来た訪問客にジェミナは一目見るなり恋に落ちていたのだ。だいたい都会人などというのは見たこともないような人たちだったのだ。そこにドードラムの連中が攻めてきた。抗争の末、家は焼け落ちてしまう。その焼け跡からジェミナと都会の男が抱き合ったまま果てているのが発見される。ストーリはたったこれだけなのだ。特に抗争シーンなどは荒唐無稽に描かれていて、これもフィッツジェラルドの一面をよく表している。

短いが面白いので和訳、原文とも一読をお勧めする。

 

私は投票日の直前に激戦州であるノース・カロライナ(NC)州に滞在していた。その前後に両候補がNC入りして慌ただしい雰囲気であった。最近観光地として人気のあるアパラチア山脈の小都市、アッシュビル(Asheville)にも滞在したが、レンタカーの車中で聴いた現地のブルーグラスは、いかにも周囲の風景にはまっていると感じたのだ。芸能・芸術は現地で触れるというのが鉄則だ。

 

(注1)同じカントリー系ではベーカーズフィールドサウンド(Bakersfield sound)が有名だ。これはカリフォルニア州ベーカーズフィールドに住むオクラホマから移住してきた貧農白人から起こった音楽だ。私の住んでいる地域では、ミシシッピデルタの黒人奴隷、転じて綿花労働者から起こったデルタブルース(Delta Blues)がある。ともに差別と貧困に苦しんだ人々だ。

(注2)この点についてはメンフィスに近いミシシッピデルタの歴史や現状についても同様で、同市に住んでいる多くの白人たちもデルタの歴史や現状にはひどく疎い。デルタの音楽が同市のアイコンであるエルビス・プレスリーの音楽の源流の一つであるにも関わらずだ。

(注3)この物語の設定は、アパラチアではなくルイビルケンタッキー州西部)近くの山中ということになっている。

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景勝地Chimney Rockから眺めたアパラチア山脈東に広がる山麓の風景。この先約150 kmにNC州最大の都市シャーロットがある。)

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(この800ページの本の最後の5ページが”ジェミナ”)