メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ミツバチのカースト制はエピジェネティックに決められる?

少し前にエピジェネティクスとは何かと書いたが、今回の話は同じゲノムDNAを持った動物個体がなぜ異なる社会的役割を果たすようになるか?ということだ。この仕事自体は4年も前に公表されたものだが、この大問題の攻略法する上での大きなステップだが、さらに今後の課題も示している重要な論文だと思う(注1)。

よく知られているようにミツバチの巣には女王バチ(queen)、働きバチ(worker)、それにオスバチ(drone)がいる。このうちオスバチは外のコロニーに由来するが、女王バチと働きバチはそのコロニーで孵化したメス個体だ。オスは半数体(未受精)でメスは二倍体である。(このあたりの性決定機構は哺乳動物などのそれとは相当違う。)

ハチ(ここでは主にセイヨウミツバチ(Apis mellifera)を話題にしているが)の社会構造については一般にも結構知られている。私も素人なのでこの点についてはここでは詳しくは書かない。いくつかのサイト、例えば山田養蜂ミツバチ研究支援サイトに詳しく述べられているのでそちらを参照されたい。これらのサイトは大変参考にる。

 

ここで問題にしているのは同じメスのなかでも女王バチと働きバチのハチ社会における役割(カースト)がどのように決定されているかという疑問だ。同じような遺伝子組成を持っているこれらのハチ達がいかにして異なる行動様式を獲得するか? 同じ遺伝子組成を持つ細胞が異なる挙動を示す際のメカニズムとしてエピジェネティックな出来事が介在している可能性が考えられる(注2)。

例によって先行論文がある。

生まれたてのメス幼虫(L1)でsiRNA法によってDNAメチルトランスフェラーゼ3(Dnmt3)の発現を抑えてやると、その大部分がローヤルゼリー抜きでも女王バチになるというものだ。Dnmt3はメチル化されていなかったシトシン塩基に新たなメチル化が生じる(de novo methylation)ために必要とされている。一般的な理解ではDNAのメチル化はその領域の遺伝子発現を抑制する。(ミツバチでもこう言い切れるがどうか、少し自信がないが。)だからこの結果が示唆することは、メスバチでは発生初期のある時期に発現する遺伝子が抑制されれば女王バチになる。このDnmt3が抑えられている状態ではローヤルゼリーを給餌しても女王バチにはならない。この想定される遺伝子が抑制されなければ(発現すれば)働きバチになるということだ。そしてこの”抑制”は自然界ではローヤルゼリーの摂取によって引き起こされるはずだ。ではメチル化が起こっている遺伝子は何か?

 

この疑問に対する答えを得るべく、Andrew Feinberg(Johns Hopkins University)は、これらのメスバチのゲノムDNA上のメチレーションパターンに違いを求めた。異なるパターンを示すゲノム領域上に問題の遺伝子が存在するはずである。動物の行動は脳の機能によって決定されるので、脳のDNAのメチル化パターン(メチルシトシン)のパターンの比較を試みた。

今問題としているのは女王バチと働きバチとのメチル化パターンの相違だ。文字通り”女王”と”しもべ”の違いを探ろうとするのだ。この両者は遺伝的には同じようなメスでり、本質的な違いはない(異父姉妹のことはあるが)。両者の違いは生育時の餌の違いによるのだ。両者の行動パターンのみならず、繁殖能力、さらには寿命の違いまでをも決定しているのは一体何によるのか?ということだ。

Feinbergらはメチル化パターンの違いを追求した。ゲノム上の各領域でメチル化のされ方に顕著な違いのある部位をdifferentially methylated regions(DMRs)と呼ぶ(注3)。 最も知りたいのは女王バチと働きバチとの間でのDMRsの違いだが、残念ながらこの両者の間には特に違いは見出せなかった。

ところで働きバチといってもそれらは大きく分けると二つの群(サブカースト)に分けることができる。一つはnurseで、もう一つはforagerだ。各々養育係りと餌集め係りとでも呼ぶのだろうか。働きバチがこのどちらになるかは最初から決まっているわけではなく、どの働きバチも最初は巣の中心近くにいるのでこれらはnurse、これらが若い働きバチに押し出されて巣の周辺に押し出されるとそれらはforagerとなる。だから遺伝的には同じ働きバチが状況に応じて異なる社会的役割を果たすことになる。女王バチで”外れ”を引いたFeinbergらはこの二群の働きバチの脳DNAのメチル化パターンに着目したのだ。

結果は期待したように、nurseとforagerの間には異なるDMRsが見出された。これらの部位にある遺伝子の多くは転写調節やクロマチンモデリングに関わる遺伝子であった。このnurse→foragerの変化を逆戻り(forager→nurse)させるべく次の実験を行った。女王バチと幼虫しかいない状態にした巣にforagerを戻してやると、foragerは必要に応じてnurseに戻る。この時のハチの脳のメチレーションの状態を調べてやるとnurse型のメチル化パターンに戻っていることがわかった。

だから働きバチの間での社会的役割の違いと脳DNAのメチレーションパターンには一定の関係があり、かつそのパターンは可逆的に変化するのだ。行動と関連したメチレーションパターンが可逆的かつ安定に書き換えられることを明らかにしたのはこの仕事が初めてだ。

一般にDNAのメチレーションはその部位の遺伝子発現の状態と負の相関があるが、このミツバチの実験でもそれは確認された。

 

Feinbergらの論文の中身を一言で言うと、(1) 女王バチと働きバチの脳DNAのメチレーションパターンには差が見出されなかった、(2) 働きバチのうちのサブカースト、nurseとforagerの間にはDNAメチレーションパターンに差が見出されたということだ。

そうすると、依然として当初の疑問は残る。それは”女王バチと働きバチの行動の違いはどのようなエピジェネティックな機構に支配されているのか?”だ。 

先行論文の結果はDNAのメチル化がカーストの決定を支配していることを想定させる。ではなぜ両者の脳のDNAにメチレーションパターンの違いが見つからなかったのだろうか?

いくつかの答えが考えられるが、その一、メチレーションパターンの違いは発生初期の短時間に限られるのではなかろうか? 女王バチの不可逆性を考えるとこの可能性は高い。 その二、脳のうちの特定のニューロンが女王バチ化に関わるとしたら、その違いは脳全体のDNAを調べても薄められていてわからない。このどちらか一方、あるいは両方の可能性を考慮する必要がありそうだ。

女王バチになるために必要なことはローヤルゼリーを与えられることだ。この中の活性をもつ物質は、ロイヤラクチン(royalactin)という分子量170 kdのタンパクで、これ単独で女王バチの誘導ができるという。これは鎌倉昌樹(富山県立大学)が発見した。Dnmt3の発現抑制が女王バチになることを誘導したことから、特定の遺伝子(群)にメチル化が起こらないことが女王バチ化に必要だと推定された。しかしこのメチル化の阻害はロイヤラクチンのシグナルをmimicしているに過ぎないとする見方もできる。その場合は、自然の状態での女王バチと働きバチの間にメチル化パターンに差がなくても差し支えない。

 

(注1) この論文を出したのはAndrew Feinbergのグループで、彼は先月のエピジェネティクスのシンポジウムで話をしている。ただしそのときの話はもっぱらがんに関することで、ミツバチの仕事はサイドビジネスであったようだ。

(注2)エピジェネティック以外のメカニズムでは、免疫現象、それに記憶・学習などの高次神経現象がある。これらの現象は生まれた後の環境によってそのありかたが大きく影響される。特異免疫の発動では体細胞レベルでの遺伝子の繋ぎ換えや高頻度の突然変異が起こるので、これはゲノムが書き換えられるという意味で”遺伝的”あるいは”遺伝子的”現象(実際に特異免疫が子孫に遺伝するわけではない)ともいえる。

(注3)ゲノムワイドでのDNAメチル化パターンの決め方はここでは詳述しない。現在は第二次ゲノムブームであって、そのためエピジェネティックデータの山も築かれつつある。しかしそうして得られたDMRsの情報も、その大部分は生物学的意義が不明である。その理由はそれらのエピジェネティックマーカーを人為的に操作する手法が存在してこなかったからだ。これに関わる新手法を近く紹介したい。