メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

酵母をめぐる冒険

最近のCellに、"Domestication and Divergence of Sacharomyces cerevisiae Beer Yeats"という論文が出た。直訳すると”ビール酵母Sacharomyces cerevisiaeの家畜化と多様性”だが、要するに世界の発酵産業で用いられている酵母の多数の菌株のゲノム配列を解析した結果、わかったことを記載した論文だ。研究グループはベルギーとカリフォルニアの複数の施設からなっている。いわば、異なる地域、異なる用途に用いられている酵母が共通して持っている性質、逆に共通して失っている性質から、酵母の家畜化の過程を辿ろうとする研究だ。ここで得られた情報をもとに新たな有用菌株を作るという応用可能性もあるが、いわば趣味的研究であるとも言えるが楽しい研究だ。

世界のどの民族も発酵食品をその食文化の一部として持っているが、酵母のうちS. cerevisiaeは最もその利用範囲の広い微生物であろう。さらにそれが使用されている地域の広さにおいても他を圧倒している。酵母の”家畜化”は16世紀の終わり頃から17世紀の初めにかけて行われたとされる。無論これは欧州中心主義だが。著者らはは計157菌株S. cerevisiaeのゲノムDNAを配列決定した。菌株の内訳は、ビール工業(102)、ワイン(19)、スピリット(11)、日本酒(7)、自然発酵(5)、バイオエタノール(5)、パン(4)、それに研究用菌株(2)だ。要するに著者らの主な興味はビール酵母の何たるかを他の酵母と比べることで明らかにすることなのだ(注1)。

酵母の”家畜化”に関して言えば、ゲノムの崩壊(decay)、染色体数の異常、染色体再構成、遺伝子重複のようなゲノムの変化、さらにヒトの利用が強いた性質の変化などがこれまでにもわかっていた(注2)。配列決定の結果、ゲノム上の欠失や重複(総称してCNVs)は平均して1.57Mbにもなることがわかった。S. cerevisiaeのゲノムサイズが約12Mbなので、全体の13%ほどがCNVsを起こしていたことになる。由来別ではビール酵母のほうがワイン酵母よりもCNV領域は大きかった。こうしたCNVsの多くはそれら酵母の機能と関係していた。例えばビール酵母と日本酒酵母ではマルトースの代謝に関わる遺伝子が増幅していたが、ワイン酵母ではそうした増幅は見られない。これはそれぞれの原料に含まれている主要な糖の種類の違いに対応している。ビールでは麦芽からできるマルトースが、また日本種では麹菌によるデンプンの分解産物であるマルトースが主要な糖原だ(注3)。しかしワインでは主にブドウ糖である。

逆に望ましくない形質として4-vinyl gusiacol(4−VG)の産生性がある。4−VGはビールにおいては好ましくない香りの元とされる。調べられたビール酵母ではいずれも4−VGを産生するのに必要な遺伝子が失活変異または遺伝子そのものが失われていた。ヒトが4−VG産生能を失った株を選択してきたことが明らかだ。

SNPs(single-nucleotide polymorphisms)のデータから、ビール酵母は大きく二つに分類された。一つはBeer1で、もう一つはBeer2だ。このうちBeer1はベルギー/ドイツ、英国、米国のビール工場で用いられている菌株群だ。主成分分析(PCA)により、調べられたすべての菌株の類縁性が明らかとなり、Beer1は独立したグループとして存在することがわかった。他にビール酵母で”mixed"と呼ばれる群が明らかとなった。これには瓶詰め後に発酵が進むビールや、ベルギー産の強いエールの酵母が含まられる。パン酵母もここに含まれる。ワイン酵母や日本酒酵母も各々独立したグループとして存在している。

CNVsに戻るが、その程度をみるとBeer1が最もその程度が高く、逆に日本酒酵母ではその程度が低かった。酵母は本来有性生殖する生物だが、Beer1の菌株では44%が有性生殖を全く行うことができず、常にリッチな培養中で維持されるため栄養飢餓で引き起こされる有性生殖を行う能力を失ったものと思われる。

以上のように、ビール酵母1はその他の酵母のいずれのグループよりも、”家畜化”の程度が高いことが判明した。

もう一つの著者らの目的は、特に米国でビール生産に用いられている酵母の由来を確定させることだった。ゲノム解析の結果は、米国株は英国株に起源がある。英国株はベルギー/ドイツの株とも近く、結局米国のビール産業の酵母は北米の自然界にいた酵母に由来するものではなく、移民によって欧州から持ち込まれたものと結論された。

数年前、メンフィスに比較的最近できたマイクロブルワリー(Ghost River)(写真下)の工場見学で、醸造長に酵母はどんなものを使っているかと尋ねたことがある。しかし彼の答えは”他と大して違うものは使ってないよ”といったものだった。これを今回の最新の知識で解釈すると、”アメリカのビール酵母はどのみち高度に家畜化された似たようなものだ”ということのようだ。

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Ghost River Brewing Co., Memphis, TN

 

著者らは最後に今回得られた情報から、新しい性質を持った産業用酵母を作出できる可能性があると述べている。私なりにこれを解釈すると、例えば日本酒における”悪酔い成分”を作る性質が欠落した菌株を作出するなどがあると思う。(無論そうした日本酒に魅力があるかどうかはわからない。)

最後にこれは既にどこかでデータが公表されていると思うが、同一条件でエタノール産生能を比較すると、全グループのなかで日本酒酵母が最高の能力を持っているというデータも論文に載っている。

酵母界では日本酒酵母が”世界最強”なのだ。(私の結論が論文の趣旨と全く違うが、”発酵”では国粋主義になるのだ。)

 

(注1)用いられた日本酒酵母が"Asia"というカテゴリーにまとめられているのは気に入らない。日本酒という発酵食品がアジアや世界の中でも独特のものであり、けっして広大なアジアを代表するものでないことは明らかである。さらに”発酵王国”である日本の発酵食品を代表するものでもない。この欧州中心主義はなんとかならないものか?

(注2)家畜や家禽の家畜化の過程に関しては様々な議論がなされているが、近年神経堤(neural crest)由来組織の機能低下が共通に見られ、種を問わずこうした変化が家畜の持つ性質をもたらすとする説が出されている。現在はこうした説に対しても、DNA seqやRNA seqを駆使することによってある程度の答えが得られると思われる。ちなみにDomesticationに”家畜化”の訳を当てることには若干の抵抗がある。その理由は、前者の意味がただ家畜に対して用いられるわけではなく、微生物や植物など、あらゆる生物を”飼いならす”ことを意味するからだ。しかしどうもうまい訳語が見つからない。

(注3)約10年前、セントルイスにあるSchlaflyというマイクロブルワリーの工場見学ツアーに参加したときのこと(写真下)。実はそのときまでビール製造の工程で麦芽のデンプンがどのようにして糖化されるのかを知らなかった。酵母はデンプンを糖にまで分解すること(糖化)ができないので、日本酒製造では蒸米に麹菌(Aspergillus)を加えてまずデンプンの分解(糖化)を行わせる。糖化の結果マルトースを含んだ蒸米ができる。これに酒母酵母)を加えてアルコール発酵をさせるのだ。ではビールは? そこでツアーの案内をしてくれていた発酵技師に、麦芽中のデンプンの糖化をどうやっているのか?と訊いたのだった。答えは麦芽の二重の殻の間に含まれるアミラーゼが、麦芽を粉砕することによって活性化される。これでデンプンからマルトースが作られるというのだ。これを聞いて(知らないということは恐ろしい)私は感激して、日本酒ではこうなのだと教えるとその技師もまた感激していた。

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 SchlaflyBeer (St. Louis, MO)、小規模だ。

 

追記 10/20/16 今回紹介した論文を追いかけるようにしてもう一つ論文が出た。こちらのほうはエールの酵母を詳しく調べたもので、ポルトガルのグループの仕事だ。今回のベルギーグループの論文でも、エールの酵母への言及はあったものの、主たる興味はラガーの酵母だった。両方読むと面白そうだ。まだ読んでいないが。