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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

木目パターンでヴァイオリンの贋作がわかる

年輪年代学とは何か?

まずは最近の話題から。紀元6世紀頃に小寒波(Late Antique Little Ice Age (LALIA))があった。これは火山の巨大噴火によるものと考えられている。それが飢饉、人の移動(この時代はゲルマン民族大移動の最中だったが)、さらにはペストの流行の引き金になったとする。この小寒波が欧州のどの範囲まで広がっていたかはよくわからなかったが、最近の論文で、これがロシアのアルタイ山脈付近でもこの寒い時期が続いていたことが判明した。したがって寒波に見舞われたのはきわめて広い地域であったことがわかったわけだ。これは年輪年代学(dendrochronology)の手法によって決定された。
年輪年代学とは、年輪のパターンからその木が生育していた年代が割り出せるという手法のことで、歴史学や考古学で盛んに用いられている(らしい)。材木の年輪のパターンからその木が切り出された年代を割り出す方法だ。樹木の生長はその年の気温その他に影響されるので、年輪の幅は年ごとに異なる。さらに地域によってそのパターンが異なる。だから数十年単位の年輪のパターンは他のどの時代、どの地域にも見られないような特徴的パターンを示す。このため問題にしている材がいつ、どこで伐り出されたかは、データベース中の過去の年輪パターンと照らし合わせることによって一年単位で特定することができる。簡単に言うとこういうことになる。この方法を使えばいつ頃までに伐り出された材を使っているかがわかる。タンスなどの家具調度はもとより、仏像や建物など木製のものなら何でも、それが作られた年代がわかる。
木製の製品としてきわめて高価なものにヴァイオリンがある。といっても本当に高価なものは17~18世紀にイタリア北部のクレモナで製作されたものに限られる。ストラディヴァリ一族の手になるもの(これらの作品を一般に”ストラディヴァリウス”と呼んでいる)がその代表的なものだ。高価なものには偽物がつきものだ。このストラディヴァリウスの贋作を年輪年代学の手法で見破るというがある。年輪年代学自体はほとんど費用がかからないが、こうした”タダ同然の”手法で何億円もする楽器の真贋を判定するというのが痛快だ。
一昨年のNatureの記事に登場するRatcliffという弦楽器鑑定家のエピソードとして、同じ年輪パターンのspruce(ドイツトウヒと思われるが?)材から作られてた14挺のストラディヴァリウスの贋作を見つけ出したという。一般にspruceはヴァイオリンやギターの表側(響版)に用いられている。Ratcliffは持ち込まれたヴァイオリンの木目の間隔を測定し、そのパターンをデータベース中の既知のヴァイオリンのパターン、さらには各年代の樹木のパターンと比較して製作年代を決定する。楽器の材のパターンの最新の年輪が決まると、その楽器はその年以降に作られたことになる。
年輪パターンは生きていた時期が重なっているような複数の木のパターンを継ぎ足すことにより、地域にもよるが、過去数千年間の木目パターンのデータベースが出来上がっている。現在の最高(最古)記録は13,900年前となっている。ヴァイオリンに関していうと、高価なものの制作年代、地域が狭い範囲に限られているので、ここで参照に用いられる年輪パターンはさぼど膨大なものではない。冒頭に紹介した”小寒波”のケースでは、問題にしていたアルタイ山脈地域の年輪パターンが未だ確立していなかったので、その地域の生木と倒木を分析して年輪パーターンを求めたのだ。
ヴァイオリンに話を戻す。最近は年輪年代学の知識が広まったせいで、贋作製作者はできるだけ同時代の同じ樹種の材を使ったヴァイオリンを作り出したりしているという。例えば同年代に建てられた木造の小屋が取り壊されたときに出る廃材を使ったりするのだ。しかしこうした古いヴァイオリンの価値を真っ向から否定するような実験が行われている。それはプロの音楽家がコンサートホールを使って、ストラディヴァリと現代ヴァイオリンを目隠しして聴き分けるというものだ。実験の結果、これら両者の間に音色の優劣は聞き分けられなかったというのだ。こうした情報もヴァイオリンの売買に関わる人々に既に共有されている。しかしヴァイオリン市場におけるストラディヴァリの価値は未だにゆるぎないもののようだ。これは希少性とブランド性によるものだろう。 
 
(追記 9/22/16)
本題とはほとんど関係ないが、最近の欧州への難民流入は移民(Imigration)ではなく、移動(Migration)であると捉える見方が紹介されている。そこでは現在の状況を欧州の3−7世紀のできごとになぞらえている。もしこの見方が正しいならば、”難民”の移動は防ぎようがないと結論づけている。これは不吉な見方である。