メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

GM作物の百年後?

GM(遺伝子組換え)作物が100年後にどうなっていると問いかけることで始まる短い記事がNatureに出た。著者はKing's College, Londonの客員教授のVivian Moses。ここには以下のようなことが書いてある。

この問いに対する答えは二通りある。一つはGM作物があまねく受け入れられて反対がほとんどない状況、もう一つはこの一度は有望であると思われていた技術が完全に葬り去られている状況だ。

既に科学的な証拠が蓄積しているにも関わらず、反GMO活動と反GMO感情は頑強だ。しかしこうした反新技術運動、ないしは感情は、GMOに始まったわけではない。近くはウォークマンiPhoneの例があるが、古くは19世紀ロンドンでの種痘の義務化のような例がある。このときには多くの母親たちが猛反対した(現在でも任意にするべきという親は多いが)。面白いのはニューオリンズからオクラホマに電報が届くようにするときの話だ。こときオクラホマではニューオリンズの悪いニュースが届くようになったり、ギャンブルの風潮が伝染するといった反対論がおこった。牛乳の殺菌(pasteurization)のときも反対論があった。

GM作物の導入時における一連の出来事は、新技術導入の際の社会の反応を記録するという意味できわめて貴重な機会である。そこで我々は2,008年からGM論争の記録を保管する(archive)する試みを開始した。そうすることで、GM作物を社会に導入する時のやり方が適切であったかどうかを後世の人々が考えるための土台にしようというわけだ。

ある年月を経過しながら社会で起こった出来事は、その全てが記録できるわけではない。またどのような資料が後世に役立つかもわからない。だからあらゆるタイプの資料を可能な限り保存する必要がる。

我々は大英図書館とともにロンドン科学博物館と共同で書類、フィルム、テープ、ディスク、ウェブサイト、装置、その他のものを集めて保存する活動を行っている。実際には2,008年というのは遅きに失した感がある。それまでに、既に相当量の資料が処分されてしまっているからだ。しかしそれでも始めないよりはずっとマシだろう。

当初はこの活動を全世界規模で行おうと考え、まずは米国側の協力者を得ようとした。しかしその考えはじきに我々の能力を越えたものであることを悟った。結局われわれのプロジェクトは英国内の論争の資料に限ることにした。諸外国でも同様の資料を収集、保存する事業が始まることを期待している。

 

以上である。可能性としては現在用いられているような技術に基づいたGM作物が、100年後も利用されているかどうかはわからない。現状では不連続な品種改良を行うにはGM技術しかない。しかし今後100年というとてつもなく長い期間の後に何が起こっているかは予想もつかない。

最近情報公開の重要性を述べている話を聞いた。それによると、情報がいずれ公開されることがわかっている場合、仮にそれが30年後であってもその当事者はフェアな行動を心がけるようになるという。情報公開の重要性は、市民の”知る権利”を保証する観点から論じられることがほとんどだが、政策当事者の”公正性”を向上させる上で効果があるという。つまり情報が公開されない場合は、密室で行為がなされているのと同じような状況にあるというわけだ。こうした意味でもあらゆる情報が保存されていることが望ましいと思う。