メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ゴールデンライスをめぐる攻防(4)ゴールデンライスの現在地(続)

ゴールデンライス推進グループはGR2−Rという株を、野外試験のための規制当局の審査プロセスに持ち込んでいる。遺伝子改変生物(Living modified organism, LMO)を野外で栽培するための規制が各国にある。この一部はカルタヘナ議定書の内容により規定されている。そのためきわめてハードルの高い基準をクリアする必要がある。しかもこの申請書類は各国の規則に合わせる必要があるのだ。特にアレルギーの試験と、毒性試験のために膨大な時間と費用がかかる。このことがゴールデンライスの実用化の遅れの大きな要因となっている(注1)。

さらに時の経過とともに深刻化しているのは、人々、特に農民の反GMO感情だ。フィリピンの農民はゴールデンライスの話に高い関心を示す。しかしこれがGMOであると聞かされるとたちどころにそれを忌避するという。"GMO"はまるで怪物のように思われているのだ。こうした反GMO感情を醸成したのは反GMO活動をしている団体だ。なかでもグリーンピースはもっとも影響力のある団体である。彼らのGMOに対する態度とそれに代わる農業の提案については既に前回紹介したとおりだ。

こうした反GMOの空気が横溢する中で、ゴールデンライス実用化の道のりはとても険しいものとなっている。ちょっとしたミスが命取りになる。”慎重にミスを避けながらことを進めてゆく態度”は社会に新技術を導入する際にもっとも留意するべきことだ(注2)。我が国の事例で思い起こされるのは、いわゆる”和田移植”と呼ばれている日本初の心臓移植だ(1,968年)。ここでは詳細を書かないが、このずさんな”医療”行為は結果として移植医療(および医師たち)に対する強い不信感を生み出した。これによって日本の移植医療は約30年遅れることになる。一方、ことを慎重に進めているのは理研グループによるiPS細胞を用いた網膜の治療である。これについては最近の報道に詳しいのでここではこれ以上触れない。

ゴールデンライスを推進する側の過ちは、その有効性を証明するための試験の過程(手続き)で起こった。この子供たちが参加した試験は、2,008年に中国で実施された。これを主導したのは米タフツ大学のRobert Russellという研究者で、中国側の研究者も参加していた。その結果は2,012年のAmerican Journal of Clinical Nutrition(JCN)に出された。1日1回のゴールデンライス(GR2)の摂取は、安全かつ効果的に子供の血中ビタミンA濃度を保ち、要求レベルの60%まで上げることができたという内容だ。

しかしこの論文発表の直後にグリーンピースから異議が出された。試験の過程で研究者側がゴールデンライスがGMOであることを、予め被験者の保護者に通告していなかったというのだ。このインフォームド・コンセントの不備により中国側の研究者は処罰されることになる。さらに2年後、AJCNは雑誌自らがこの論文を取り下げてしまった。この研究のデータは明らかにポジティブなものであり、推進側にとってはこれが唯一のピアレビューされたヒトのデータだった。これは大きな痛手であった。あたかも裁判で重要な資料が証拠能力がないとされたようなものだ。この一件はきわめて大きな負の結果をもたらした。グリーンピースを始めとする反GMO団体は勢い付き、ゴールデンライスの実用化はさらに困難なものとなった。”ゴールデンライスを推進している中立的に見える研究者や民間団体は、巨大企業の手先となって貧しい国々にGMOを普及しようとしている”という観念が流布された。これは特に農民の間に広まっている。GMOを推進する人々は邪悪であるというわけだ。

こうした空気の中、2,013年の8月にはフィリピンの試験地に反GMOの二団体のメンバーが乱入して、生育中のゴールデンライスを引き抜いてしまうという事件が起こった。これらはグリーンピースとは別の団体である。グリーンピース自体はかなり早くから”ゴールデンライスの野外試験を妨害することはせず、宣伝と啓蒙で対抗する”と表明していた。グリーンピースのこの長期戦略は成功しているようにみえる。IRRIはこの事件による遅れのため、ヒトでの効果の判定にはさらに18ヶ月を要すると想定していた。しかしそのデータは現在に至るまで公表されていない。

以上がゴールデンライスの現在地である。

要約すると、ゴールデンライスが実用化されるにあたり、(1) 科学的、技術的課題、(2) 厳しい規制と試験、(3) 反GMO感情、この3つが大きなマイナス要因となってきたが、今では後二者がより重い。特にグリーンピースの宣伝・啓蒙活動は奏功しているようにみえる。

次にゴールデンライスの将来を展望したいが、その前にGMOの中におけるゴールデンライスの特殊性について考察してみたい。

 

(注1)皮肉なことに、こうした状況が結果として反GMO団体が敵視している巨大企業のみがGMO申請を可能にしている面がある。

(注2)この点については以前、”ヒト胚操作、ヒト–動物キメラと社会の対応”でもふれた。尚この”キメラ”の問題ではNIHが新たな決定を発表したので、これについては先日意見を書いた(8/8/16)。

 

このシリーズは以下のとおり。

ゴールデンライスをめぐる攻防(1)ノーベル賞受賞者たちの声明

ゴールデンライスをめぐる攻防(2)グリーンピースの反論

ゴールデンライスをめぐる攻防(3)ゴールデンライスの現在地

ゴールデンライスをめぐる攻防(5)その特殊性

(続く)