メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

認可されたデングワクチン:社会への負荷の軽減

デング熱ワクチンの問題については既に言及したことがある。

その問題とはデング熱に特異な現象で、異なる血清型ウイルスによる再感染に際して見られる。デング熱ウイルスには4つの血清型が存在している。一つの血清型に感染し、治癒すると同じ型の再感染は起こらない。ところが他の3つの型のいずれかが再び感染すると激しい症状を引き起こし、最悪死に至る。これをデング出血熱(Dengue hemorrhagic fever)と呼んでいる。極めて興味深く、かつ重要な問題だがその機序はわかっていない。

デングワクチンは早くも1,945年にポリオワクチンで有名なAlbert Sabinにより作られた。この年から容易に想像できるとおり、この最初のデングワクチンの開発は南方での日本との戦争のために熱帯病に対処する必要から進められたものだ(注)。その後、このワクチンは一般に用いられていたが、自然感染後の再感染で起こる出血熱がワクチン接種後にも起こることが認められた。そこでこのワクチンの使用は2,001年に停止された。これを解決するためには多価ワクチンを開発する必要があったのだ。2,006年にSanofi Pasteurは、組換え型デング熱ウイルスのPrM (Pre-membrane)とE (envelope)タンパクをコードする遺伝子を、黄熱ウイルスの弱毒生ワクチン株をベースとして作成した。対応する同じ遺伝子同士をウイルス間で取り換えたもの(CYD−TDV)だ。これら両ウイルスはともにフラビウイルス属に含まれ、こうした組換えウイルスの作成は比較的容易である。各血清型に対応する計4つの組換えウイルスを作り、それらを混合したものをワクチンとして用いたものと思われる。(詳細は確認していないが、仮に同時に4つの型のプラスミドを細胞に導入してやると、おそらく各型のウイルス力価にばらつきが出と思われる。)ちなみにこのPrM/Eの優れた感染防御能は最近開発されたジカウイルス(ZIKV)に対するDNAワクチンでもZIKVの同じ部位が使われている。ZIKVもフラビウイスルだ。

CYD−TDVのヒトでの効果はタイにおける2,012年の第2b相試験で調べられたが、わずか30%の感染防御効果しか認められなかった。その後のアジアやラテンアメリカでの第3相試験の結果ではもう少し良好な結果が得られている。そこではデング熱の発症については56−61%の、また入院の阻止については67−80%の効果であった。また9歳未満の子に対しては顕著な効果は見られなかった。このようにCYD−TDVは感染阻止という点ではあまり優れたワクチンとは言い難い。しかし入院の阻止という部分に限ってみると、このワクチンはデング熱の流行が引き起こす公衆衛生への負荷を軽減することになる。ひいては地域全体の医療水準の維持に貢献することが期待されるわけだ。こうしてこのワクチンの(有効性ではなく)有用性については一定のレベルの評価がなされたのだ。

最近このSanofi Pasteurのワクチンがメキシコ、フィリピン、ブラジル、エルサルバドルでの使用が認可された。このワクチンの採用はさらに良いワクチンが開発されるまでのつなぎとしても期待できると思われる。

これはワクチンの効果が”個人レベルでの”感染防御能”だけでなく、”集団(あるいは国家)レベルでの”被害軽減能力の観点から評価されるようになった、最初の例であると思われる。

(注)米軍における熱帯病研究のレベルは世界のトップであり、キニーネを抗マラリア薬として確立して大量に供給するなど、多くの実績がある。このマラリア薬の開発については"The malaria project, by Karen Masterson (2,014)"という書に詳しい。