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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

伝染性腫瘍(2)イヌ可移植性性器肉腫:数千年前から生き続けている驚異の腫瘍

イヌ可移植性性器肉腫(Canine transmissible venereal tumor, CTVT)は名前の通り、交尾によって雌雄の性器の間で腫瘍の移植がおこる。CTVTと前回紹介したタスマニアデビルのDFTDとは”伝染する”という共通点があるが、DFTDとは異なり多くが自然退縮する。この両者の比較をした表が出ている日本語サイトがある。一般の方にもわかりやすくまとめられている。

CTVTは約200年ほど前から記載されているので研究の歴史も長い。その成果が示すことはCTVTがまことに驚異の腫瘍であるということだ。異なる地域の多数の腫瘍組織の解析結果から、CTVTが同一クローンに由来することがわかっている。さらにCTVTが40世代に亘って実際に受け継がれていたという観察記録もある。CTVTはイヌ以外の多くのイヌ科動物にも感染する。これにはイヌ、キツネ、オオカミ、コヨーテが含まれる。しかしより遠い関係にあるげっ歯類やネコへの実験感染は成立しない。 細胞の起源だが、詳細な免疫組織化学的検査によりでマクロファージ系列に由来することが推定されている。

この腫瘍のクローンが一体いつの時代に生じたかは誰しも抱く疑問だろう。分子時計を用いた起源の推定から、6,000−10,000万年前に生じたものと考えられている。もしこの古い方の時代を採るとすると、CTVTの発生はイヌの家畜化の歴史と同様の長きにわたって存在してきたことになる。しかしこれは変異が常に起こっている腫瘍組織なので、通常の分子時計が使えるかどうかわからない。地理的にも全世界にその発生がみられるが、先進国の一部からは除去された。感染が確認されたら去勢手術が施される。これによって雌雄の交尾行動が抑えられるので、雌雄間での腫瘍の感染が起こらなくなるためだ。化学療法も効果がある。だからCTVTはイヌ(およびその他のイヌ科動物)の種の存続の脅威にはなり得ない。

DFTDと同様に感染性を獲得するためには宿主の免疫監視を逃れる必要がある。CTVTでもDTDTと同じくクラスIMHCの発現低下が見られる。さらにクラスII MHCの無発現も明らかにされている。ゲノムDNAの配列解析から、CTVTでは体細胞変異が細胞当たり、100万箇所も起こっていることがわかった。これは最も変異頻度の高いヒトのがんよりもさらに一桁高い数だ。しかしこの腫瘍が何千年も存続していることを考えれば当然のことと思われる。変異速度はまだわかっていないのだ。注目するべきは、こうした変異によって宿主の免疫監視機構に必要な分子の多くが失活していることが推定されたことだ。そのほかによく知られたがん関連遺伝子、例えばCDKN2AMYCERG等にも変異が起こっていた。これらはがん化の過程で必要な変異であって特別驚くような結果ではない。

重要な事実はCTVTがイヌ科動物とともに数千年の時間を生き延びてきたことだ。これはCTVTがイヌという種を絶滅させなかったことを意味する。したがって種に対する脅威の点でDFTDとは決定的に異なる。こうした宿主動物との共存は多くの病原微生物でしばしば見られる。過去に猖獗を極めた伝染病がやがてその病原性(virulence)を低下させてどこかでくすぶっているのはよくある。どこかで均衡点を見出すのだ。そう考えるとTFTDの腫瘍としての悪性度がやがて低下することも可能性としては起こりうる。しかしこれに期待していいる間にデビルが絶滅してしまうと元も子もない。

 

このシリーズは以下のとおり。

伝染性腫瘍(1)デビル顔面腫瘍性疾患:絶滅の引き金

伝染性腫瘍(3)デビルの抵抗性遺伝子が選択される

(続く)