読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

伝染性腫瘍(1)デビル顔面腫瘍性疾患:絶滅の引き金

f:id:akirainoue52:20161011232321j:plain

タスマニアデビル(Tasmanian devil, Sarcophilus harrisii、写真 (St. Louis Zoo))は最大の肉食有袋類だ。オーストラリア南端のタスマニア島にしか生息せず、絶滅危惧種に指定されている。以前はオーストラリアの大陸部にも生息していたらしいが、現在はタスマニア島のみに残っている。個体数は10,000〜15,000頭と推定されている(2,008年)。最近の個体数の激減は伝染性の腫瘍(transmissible tumor)というきわめて特異な疾患によるものだ。(もちろんヒトでは記載されていない。)こうした伝染する(transmissible)がん自体がとても珍しいものだが、最新の解析技術を駆使することでこの腫瘍の性質が解明されてきた。

この伝染性腫瘍はデビル顔面腫瘍性疾患(Devil facial tumor disease, DFTD)と呼ばれ、1,996年に初めて記載された。咬傷によって他の個体から腫瘍が伝染して増殖するというきわめて厄介な存在だ。肉食獣なので餌をめぐってお互いに咬みあったりするためだ。多くは発症から半年ほどで死亡する。当初一般的な病理検査により異なる個体で発生した腫瘍がほぼ同じ核型を示すことがわかっていた。さらにマイクロサテライト多型の解析や、主要組織適合性抗原(MHC)、あるいはミトコンドリアDNAの解析結果から、この腫瘍が全く同じ由来であり個体間で移植(伝染)されたもの(allograft)であることがわかってきた。つまりこの腫瘍はクローンでありこれが個体間をあたかも細菌やウイルスのように感染しているのだ。また大部分のヒトの腫瘍と同様に、テロメラーゼが活性化されて不死化している。(これは当然予想されたが。)腫瘍組織のtranscriptomeやmiRNAの発現パターンから、この腫瘍がシュワン細胞(鞘細胞)由来であることが強く示唆された。そのマーカータンパクであるペリアクシン(periaxin)の免疫染色の結果もそれを裏付けるものだった。

腫瘍細胞の染色体ペインティングにより、実際には複雑な染色体の再構成が起こっていることが判明した。この複雑な染色体再構成はchromothripsis(CT)と呼ばれる現象である。CTはヒトの一部の腫瘍で2,011年に見出された特異な現象である。ただ一つの染色体あるいは2−3の染色体の中で、きわめて複雑な断裂と再構成が起こっている。場合によっては特定の領域が増幅していて、そこにがん遺伝子が乗っていれば、それは発がんを促進する。こうした現象がわずか一夜にして起こるといわれているのがCTである。その発生機序についてはたいへん魅力的な“小核”仮説が提出されている。小核に隔離された単一染色体が複雑な染色体再構成を起こしたのちに、後の細胞分裂後に核に再融合するというのだが、ここでは詳述を避ける。

この腫瘍はなぜ個体間で感染するのだろうか? ヒトでも動物でも感染によって起こる腫瘍は存在する。しかしこうしたケースのほとんどすべては腫瘍を起こす能力をもつウイルスの感染(infection)によるもので、けっして腫瘍細胞そのものが感染(正確な用語ではは”同種移植”、つまりallograft)するのではない。ふつうは免疫学的に正常な個体間でのallograftは免疫学的に排除されるので成立しない。理論的には腫瘍細胞が宿主の免疫機構の監視をすり抜けているはずである。実際DFTDでは組織中の免疫担当細胞の浸潤が乏しく、また腫瘍細胞に対する抗体も産生されていない。個体間では同種抗原が、また腫瘍には腫瘍特異抗原が存在するはずなのでこのことは奇異である。ヒト腫瘍では免疫的監視機構をすり抜けるために、往々にしてクラスI MHCの発現が低下しているが、DFTDにおいてもこのMHC I分子の発現がエピジェネティックな機構で低下していることが示された。このためDFTD腫瘍細胞の表面には腫瘍特異的抗原が十分に表現されていないわけだ。このことによって宿主のCD8陽性T細胞による排除から免れている。一方がんの排除に働く自然免疫の主役はNK細胞だが、奇妙なことにDFTDの腫瘍細胞はNK細胞に認識されないことがわかった。この理由は未だ解明されていない。おそらくこれらの免疫機構からの逃避メカニズムの解明が治療法の発見につながるのだろう。

ゲノムDNAの解析は腫瘍の性格のみならず、絶滅危惧種の種全体の行く末を予想する上でも重要である。配列決定の結果デビルの個体間の多様性はヒト個体間のそれよりも低いものだった。これは種の保存を考える上で良くないいニュースだ。腫瘍のゲノム配列はそれぞれの個体の体細胞のゲノム配列とは異なっていて、この腫瘍がallograftであることを明確に示していた。異なる個体から得られた腫瘍どうしの比較では、ゲノム突然変異のパターンが多少異なっており、ある程度のゲノム不安定性を呈していた。しかし伝染性なのでこの腫瘍の分裂回数の累計は既に相当なものになるはずだ。しかしその割にはゲノムは比較的安定であると結論付られた。腫瘍組織のゲノム配列のパターンからみて、同じ個体に複数のタイプの腫瘍が発生しているケースもあったので、腫瘍の“重感染が”起こっていることが推測された。腫瘍組織は徐々にゲノム変化(evolution)を重ねていて、現在は4つの型に分類される。核型的には4倍体が優勢になりつつある。

以上述べてきたように、タスマニアデビルはもともと総個体数の減少のせいで遺伝的多様性に乏しい。そこに伝染性の致死的腫瘍の蔓延が重なって、個体数の激減、そして種の絶滅の危機に瀕している。この最悪の事態を回避するために、近年計120頭の腫瘍に罹患していないデビルを捕獲している。現在捕獲したデビルから繁殖した計700頭が計30箇所の施設で飼育されている。こうして増やした腫瘍フリーのデビルの再野生化も既に試みられている。腫瘍の“汚染地”に戻すわけにはいかないので、もともとデビルが生息していなかった清浄地の離島に放つことが行われている。しかしタスマニア本島でのデビルの維持を図る必要があり、このためにはDFTDの治療法ないしは予防法を確立する必要がある。上に述べたクラスI MHCの発現低下だが、γ−インターフェロンの処理で発現が上昇することが少なくともin vitroの実験で示されている。

タスマニアデビルの腫瘍の様子は動画で見ることができる。学術的な知見をまとめた優れた総説も存在する。

伝染性の腫瘍はたいへん珍しいが、哺乳動物にも存在する。我々の身近な動物ではイヌ可移植性性器肉腫(Canine transmissible venereal tumor, CTVT)というのがある。

 

このシリーズ以下のとおり。

伝染性腫瘍(2)犬伝染性性器肉腫:数千年前から行き続けている驚異の腫瘍

伝染性腫瘍(3)デビルの抵抗性遺伝子が選択される

(続く)

 

(追記 9/6/16)DFTD腫瘍の易感染性の理由として、デビル集団の遺伝的均一性が挙げられている。2,014年になって、最初の腫瘍とは起源が異なる別の腫瘍クローンが存在していることが報告された。