メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

From “Reading” to “Writing”:ヒトゲノム全合成の企ての”欠陥”、あるいはタマネギ

5月13日付のNew York Times(NYT)に”Scientists talk privately about creating synthetic human genome” by Andrew Pollackという記事が出た。これはポイントが要領よく抑えられた優れた記事だ。

主人公は例によってGeorge Churchだ。記事の内容は今年5月にボストンで持たれた秘密会議から始まる。この会議はChurchらに率いられたヒト全ゲノム合成プロジェクトの準備のための会合だった。これに参加した人々は計130人、あるいは150人ともいわれ、研究者はもとより生命倫理や関連法規の専門家も含まれていた。

本プロジェクトの趣旨は2,004年に終了した最初のヒトゲノムプロジェクト(Human Genome Project, HGP)をさらに進めた段階のプロジェクトと規定する。HGPはヒトのゲノムの塩基配列をもっぱら“読む”ものであった。今回計画しているプロジェクトは“書く”ものである。”書く”といっても実際には物質としてのDNAを合成して、この“合成”ゲノムDNAを用いて機能するヒトの細胞を作ろうとするのだ。この現在のプロジェクトを”HGP-Write: Testing Large Synthetic Genomes in Cells”と命名している。

“秘密会議”という性格からして既にかなり怪しいのだが、実際に目指すところはヒトなどの高等生物の巨大なゲノムを合成するのに必要な技術的向上を主目的とするというのだ。会議に招待されながら参加しなかった人もいる。その一人、合成生物学者のDrew Endy(Stanford)はプロジェクトに批判的な意見をNYTに対して述べている。Endyはヒトがヒトを作ることは許されるべきではないというのだ。

これに対してChurchはあくまでも培養細胞のレベルの仕事を目指すのだという。しかも対象はヒトに限ったものではないという。むしろDNA合成の能力を向上させることによって動植物、微生物への応用範囲を拡げることを目標としているという。この背景として、ゲノムエディティングの確立によって標的として遺伝子の改変はかなり正確、かつ簡単に行えるようになったことがある。その先に行こうとすれば化学合成は必然である。ゲノムを丸ごと作ることができれば、複数のゲノム配列の変更を自在に同時に行えるようになる。対象として考えられるケースとして、酵母に複数の遺伝子を導入することによって複雑な代謝経路による物質生産を試みるような場合、などが考えられる。

Churchらは最大の障害はコストであるとしている。2,003年には塩基対当たりの合成費用は4ドルであった。現在は3セントで、これをヒトゲノムのサイズ(3 x109)に当てはめると9,000万ドル(=100億円)ほどの費用となる。(実際には二倍体なのでこれの2倍のサイズとなる。)Endyは20年後にはこれがようやく10万ドル程度になると予想する。

NYTの記事ではCraig Venterの発表している全合成ゲノムDNAによる半人工マイコプラズマとの比較を行っている。そこでは合成されたDNAは概ね100万塩基対だ。ヒトのゲノムは酵母に比べても200倍ものサイズがあって、極めて大きなサイズのヒトゲノム合成ができるかどうかを研究者達も不安視している。実際にはヒトゲノムは46本の直鎖DNAからなっているが、この点に関して当人たちも、メディアも言及していないのは奇異である(下の私の掲げたプランを参照されたい)。

このNYTの5月の記事は、上記の会議そのものが非公開だったので、すべては関係者への取材に基づいたものだった。しかし先月当事者たちのScience誌(6/2)への表明記事が出された。中身を要約すると、HGP(reading)の論理的帰結としては次のステップはwritingである。究極的にはヒトの全ゲノムを化学合成してそれを細胞に導入することを目指す。しかし現状ではそのための技術的障害があるので、現実的にはこうした技術開発を促すことが本プロジェクトの主要な目的であるとする。大雑把に言うとこういう内容だ。

このプロジェクトに対する批判は大きく分けて二通りになる。まず第一は、ヒト細胞(あるいは個体)を”作る”ことに倫理的な立場から反対するものだ。もう一つは、こうした技術的進歩、向上をわざわざ大きな特別なプロジェクトチームを作らなくても複数の企業が自発的に進めてゆくから不要であるとする意見だ。最初の点については既に本人達が”技術的進歩”を目的とすると述べているので、また対象生物もヒトに限定しないというのであまり意味をなさない。結局このプロジェクトの性格を言うならば、玉ねぎを一枚ずつ剥いてみると、最後は何も残らなかった類の話なのだ。

この声明を受けて、Washington Post にもこれに関する記事が出た。ここでは事実関係としてはNYTの記事に追加されているものはほとんどない。注目すべきはNIHのディレクターであるFransic Collinsのコメントだ。こうした曖昧なアイデアに対してNIHが資金援助するには早すぎる(未成熟)というのだ。これはNIHグラントに審査の仕方を考えれば当然である。手堅いものにしかNIHの資金は出ない。私は本質的な技術的問題を指摘しておきたい。

Churchはこの一大プロジェクトの最大の障害は費用(お金)であるという。しかし私の見るところさらに深刻な本質的な問題が存在している。それは染色体の存在である。Venterらは原核生物マイコプラズマでは、100万塩基対のDNAの部分断片を合成してやり、それらをつなぎ合わせて環状DNAゲノムを作り上げた。この全ゲノムDNAをあらかじめゲノムDNAを除去しておいた空のマイコプラズマ細胞に注入したのだ。その結果、合成したDNAの配列を持った自律増殖するマイコプラズマ細胞が得られたのだった。だから少なくとも原核生物では完全合成ゲノムは機能したのだ。一方、ヒトやその他の真核細胞はどのような体制をもっているのだろうか? 

原核生物との最大の違いは染色体構造の有無である。ヒトや他の動植物ではゲノムDNAは裸で存在しているのではない。それは染色体構造を取っているのだ。DNAはヒストン分子(実際には複合体)に巻きついていて、これをクロマチンと呼ぶ。しかしこのクロマチン構造はゲノムのどこでも同じわけではない。細胞分裂の際の染色体分配に必要なセントロメアや染色体の末端にあるテロメアといった特殊な構造が存在する。これらの部位には他とは異なる特異的な多数のタンパクからなる構造が形成されている。こうした複雑な構造の総体が染色体と呼ばれるものなのだ。これまでの研究成果から予想されることだが、裸のDNAを細胞に注入してやって、それらが自動的にこうした天然型の染色体構造を作るとはといてい考えられない。このきわめて重大な問題は"Jurassic Park"から"How to clone a mammoth"まで、フィクションや学術書を問わず、あえて見ないふりをしてきたのだ。

ではどうしたらよいか?

科学の基本はものごとを単純化することから始まる。周知のようにヒトの染色体は23対ある。そのうち最小(最短)のものは21番染色体で約48Mbだ。この21番染色体のDNAの全合成を試みる。これが完成したら培養細胞への導入を試みる。手順としては、最初は裸のDNAの導入を試みる。おそらくこれはうまく行かない。予想されることは裸のDNAが細胞内のヌクレアーゼで分解されてしまうことだ。特に末端は感受性が高い。したがって、次のステップはin vitroクロマチン構造を作ってやったのち、この不完全染色体を細胞に導入してやる。さらに次のステップはテロメアセントロメアの構造もin vitroで作ってやった後、細胞に導入する。こうして順次複雑な構造をin vitroで作ってやることで、21番染色体のトリソミー細胞の作成を目指すのだ。この21番トリソミー技術が確立したら初めて次のステップに進むことができる。気の遠くなるような作業工程だが、科学は本来的に漸進的(incremental)なものである。しかしこうしたスタイルであるならば現状の研究倫理に抵触することは何もない。

このChurchという人物、常に挑発的だ。最近も大腸菌に代わる存在としてビブリオ(Vibrio natriegen)を使うことを提案している。大腸菌よりも増殖の速い菌を使おうというのだ。私はこれに対するほぼ全否定に近い批判を最近記事にして載せておいた。(日本語なので当人達には無影響だが。)私の批判とは、要するに彼らのコンセプトもデータも貧弱であるということだ。

私はしばらく前にSvante Pääboの著書、”Neanderthal Man”を紹介したが、このとても優れた書物のあとがきにPääboによってChurchの言葉が引用されている。それは以下のようなものだ。

“George Church, a brilliant innovator at Harvard University, has suggested that scientists should use our catalog to modify a human cell back to the ancestral state and then use that cell to recreate or “clone” a Neanderthal. ………… a Neanderthal could be brought to life with present technology for about $30 million.“

要するに、現在使用できる技術を使ってヒトの細胞をPääboらが明らかにした配列に基づいてネアンデルタール型に改変して、まずは細胞レベルの再現を行う。しかし究極的にはネアンデルタールの個体(個人)を作ろうというのだ。ネアンデルタールにも文化があった。さらにヒトと交接したことは事実なので、ネアンデルタールにも人格があることを我々は受け入れなければならない。こうした人格を持った存在を操作することは”人体実験”ではないか? この話がどのような状況(電話の会話、メール、あるいは会議での発言?)で出てきたかは不明だが、全く無茶な話だ。この発言からは生命倫理を考慮する姿勢は全く感じられない。古くは組み換えDNA技術の潜在的危険性を考えてアシロマ会議で集まった黎明期の分子生物学者達の、あるいはゲノムエディティングの当事者たちが自らの手にいれた技術の威力に怖れ、ワシントンサミット生命倫理を討議した態度はここには見られない。今回の秘密会議に見られるとおり、そこにはオープンな態度は見られない。こうした態度は現在の生命科学の微妙な社会的立ち位置を考慮すれば、全く反社会的であり許されるべきではない。

この類の大胆な(突飛な)アイデアをぶち上げてそれに要する費用を概算して、研究費を募る。どうやらこれがこの人物のビジネスモデルらしい。しかし今回の秘密会議で100人以上の人々を集めたわけで、この人物には実行力と、どうやらある種の魅力があるらしい。恐ろしいことだ。

私はわずかこの2−3年の研究の進展を見て、アメリカを中心に活躍している野心的研究者が人類の破滅をもたらす(またはそれを促進する)きっかけを作るのではないかと危惧するようになってきた。iPS細胞の確立、CRISPR/Cas9法の普及、ヒト胚操作法の向上、安価な核酸合成法の開発、高効率塩基配列決定法、それに大容量データの処理、こうしたことが合わさることで、これまで不可能と思われたことが可能になってきた。間違いなく人類は自らを危機に陥れるための手段を手にしているのだ。これに人工知能の出現が伴うと、考えるだけで空恐ろしい。仮にアメリカを取り除いてもこの憂鬱は消えることはない。既に経済と同じで研究の世界もグローバル化しているのだ。もはや冒険心に富んだ、利に聡い中国人研究者の存在抜きにして世界の生命科学研究を語ることはできない。多くの識者が2,016年は世界秩序の破壊が始まると年になるであろうと予想しているが、生命科学においても現行の倫理が崩壊する始まりになる可能性が十分あるのではないかと見ている。重要なのはオープンな態度である。

最後になるが、伝聞(あるいは噂)から出発した取材をもとに上質な記事を作リ上げたNYTの実力は侮り難い。こうした科学に関する健全なジャーナリズムが成立していることが今社会にとって必要なのだ。