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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

やや特殊なライデン観光案内

前回FMTの話にライデン大学の話が出てきたが、ライデン(Leiden)を訪問したときのことを書く。

ライデンはアムステルダムから列車でロッテルダム方面行きに乗って約35分、人口約11万人の大学都市だ。市の中心部は二重の堀に囲まれていて、典型的なオランダの古い都市の遺構がそのまま残されている。都市と城は同じ意味だったのだ。ライデン大学(Universiteit Leiden)は17世紀に創設されたオランダ最古の大学。市内には学部や研究所が散在している。これも他のヨーロッパの古い大学街でよくみられる。

9年前アムステルダムに行ったついでにライデンまで足を伸ばしてみた。その目的は二つ。一つはこの大学街の科学博物館に行くことだった。そこには ファン・レーウェンフック(Antonie van Leeuwenhoek, 1,632-1,732)の作った世界最古の顕微鏡が展示してあるはずだったからだ。なにしろ博物館といっても建物が街並みに溶け込んでいるので場所がよくわからない。たぶんこの辺りだろうと思った建物に入って、顕微鏡はどこにあるのかと聞いてみたところ、ここがそうだという(写真上段)。中に入って探してみると確かにファン・レーウェンフックの顕微鏡が展示してある。それは現在の顕微鏡とは全く違った形態で、とても小さい(写真下段中)。研磨されたガラス玉が金属板に埋め込まれただけの構造なのだ。レーウェンフックはいわゆる好事家で、生涯に50個程の顕微鏡を自作してあらゆるものを観察して喜んでいたという。最高の倍率は200倍以上だったらしく、そのうち9個がヨーロッパのどこかで保存されている。顕微鏡観察で得られた膨大な量の発見のごく一部が刊行されているだけだ。後に知ったのだが米国の主な大学の顕微鏡コア施設にはこのレーウェンフックの最初の顕微鏡のレプリカがZeissによって配られているそうである。

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顕微鏡以外にもたくさんの興味深い装置が展示されていた。例えば世界初のヘリウム液化装置(1,908年、写真下右)だ。こうした100年ちょっと前の多分野にわたる科学機器の存在はオランダの科学がいかに高いレベルを誇っていたかを物語っている。他にもかつて解剖学の講義に使われた円形階段教室の複製もあった(写真下左)。実際にこうした教室で行われた解剖学講義の風景はレンブラント絵画(1,632年)に描かれている。20世紀に入ってまもなく、科学(特に化学)の中心はドイツに移っていった。江戸時代の蘭学中心主義というのは期せずして世界の科学の中心に目を向けていたことになる。

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江戸時代のオランダ人といえばフォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1,796-1,866)の名を思い浮かべる。その名前の通りシーボルトはドイツの貴族出身だが、オランダ領東インド陸軍病院の外科少佐となり、本人の希望により1,823年日本に派遣された。日本ではオランダ語があまり上手でなかったので不信感をもたれたらしいが、なまりの強い"山オランダ人"であるとして滞在が許されたらしい。(NederlandはLow countriesの意味なので本当はこれは意味をなしていない。ちなみに”オランダ”は英語のHollandと語源が同じだがポルトガル語に由来する。)5年間の日本滞在の後にいわゆるシーボルト事件を引き起こして日本を退去させられ、再入国も拒絶された。1,832年にこのライデンの旧市街で日本から持ち帰った標本類を展示した”日本博物館”を開設した。幕末1,858年に日蘭通商条約が結ばれ再来日を果たす。幕末、維新の西欧諸国、米国と日本の交渉に関わったりした。 最後はミュンヘンで没した。欧州における日本学の祖とされる。

ライデン旅行のもう一つの目的はこのシーボルトゆかりの地を訪ねることだった。運河沿いの博物館は2、005年からシーボルトハウスとして公開されていて、シーボルトの足跡が辿れる。日本から持ち帰った膨大な資料や標本の一部を見ることができる。ここでは現在の日本ではあまり見ることのできない江戸後期の文物も見られる。(同様にアムステルダム国立美術館にも江戸時代の面白いものがある。さすがに独占貿易をしていただけのことはある。)こうした展示を見て回ると、シーボルトの日本への愛着を感じ取ることができる。日本学というのは主に日本の動植物や鉱物を研究した博物学の一部とみなすことができる。事実シーボルトは異文化理解のために最も重要なもの、すなわち日本語についてはほとんど興味を示さなかったらしい。これはシーボルトのバックグラウンドが医学と植物学(当時の生物学は主に分類学)であったことと関係していると思われる。

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ライデン旧市街はよく保存されている。運河が縦横に巡らされていてたいへん美しい。画家レンブラント(Rembradt Harmenzoon van Rijn, 1,606-1,669)の生家跡がプレートに記されていた(写真下段右)。しかしここには特別な記念館や美術館はない。長年活動したアトリエアムステルダムにあって、レンブラントに興味のある人にはそちらがお薦めだ。

最後になるが、その土地の料理は旅の楽しみだが残念なことにオランダ料理はあまりお薦めできない。近くのデン・ハーグの中華街に行くか、アムステルダムで各国料理(特にインドネシア料理)を食べることをお薦めする。

ライデンは普通の観光地ではないが、特に日本人にとっては魅力のある街である。

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