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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

”サル学の現在”:エンハンサーから進化を覗く(続き)

これは規模の大きな仕事だ。こうした大きな仕事を理解するには全体の構築を捉えることが必要だ。項目をいくつか立てて要約してみる。

エピジェネティックマーカー

最近の膨大な研究成果から、エンハンサーのactive / inactiveの状況に応じてエピジェネティックなマーキングがなされることがわかっている。H3K4me1は活性化されたエンハンサー領域を、またH3K4me3は転写が起こっている領域に特徴的なヒストンの修飾である。したがってH3K4me1/H3K4me3比の高い領域は遠位のエンハンサー領域のマーカーとして使える。そこでこのStanfordグループはH3K4me1/H3K4me3比の高い領域に着目した。加えてp300タンパクの結合部位やクロマチンのacessbility等に注目することによって頭部神経堤細胞(CNCC)に特異的なエンハンサーを全ゲノムに亘って拾い上げた。当然といえば当然だがCNCCに特異的な転写因子(TFAP2A、NR2F1)や、スーパーエンハンサーのマーカーであるH3K27ac領域の情報を併用することによりヒトとチンパンジー各々に特異的なエンハンサー領域を決定した。

iPS/ESC

次の問題は実験材料として何が使えるかだ。ヒトもチンパンジーも発生の初期〜中期に現れるCNCCを入手するのは量的・質的に技術的には大変困難である。倫理的問題も大きい。ここでは線維芽細胞からiPSを経て分化誘導させたCNCCを用いている。論文の最初の方でチンパンジーのCNCCはヒトのときと同様の条件で作成可能であったと述べている。これにより大規模な解析に十分な細胞数を確保できることになる。(iPSは臨床医学だけではなく、基礎生物学の風景をも変えてしまった。)

ChIP

さて実験だ。まず修飾されたヒストンに対する抗体を用いてクロマチンIPを行う。これで回収されたDNA配列を次世代シークエンサーで決める。得られた配列をVista Enhancer Browser databaseを用いてCNCC特異的なエンハンサーを同定する。ヒトとサルのエンハンサー領域のうちアクティブなものとイナクティブなものとが色分けされる。このうちどちらか一方の種だけでアクティブなエンハンサーをリストアップした。これが種特異的なCNCCエンハンサーのリストとなる。

ヒトとチンパンジーの比較エピジェノミクス(comparative epigenomics)ではヒトで決められた配列をチンパンジーの参照配列と比較できる。逆もまた然りで、これは両者の配列がかなり近いためだ。要するに釣り上がってきた配列が両種で1:1に対応するというわけだ。縁が遠いと同じ作業はできない。

レポーターアッセイ

問題となっているエンハンサー配列をルシフェラーゼの上流に置いたトランスジーンを用いたレポーターアッセイによって、実際に活性型のエンハンサー配列がヒトとサルのCNCCのどちらでも高い活性を示すことを確認した。さらにこうした種特異的エンハンサーのCNCCの組織内での活性をマウスでLacZのトランスジェニックを作成することによって調べた。結果、活性型となっているエンハンサーはマウス胎児のCNCCでも活性型であることがわかった。これらエンハンサーの近傍に位置する遺伝子の発現は高いことが確認された。以上を総合すると、CNCCにおけるエンハンサーの種特異性はそのエンハンサーの配列によって決定されるということだ。cis-elementである。逆にCNCCでトランスに作用する因子は種間でさほどの違いがないというと結論される。

転写因子結合配列

種特異的エンハンサー領域の配列はヒトとチンパンジーとではほとんど違いがない。にもかかわらず、アクティブな種特異的エンハンサーには高頻度に17bpからなる配列が存在していた。この配列はヒト、チンパンジーとも各々のアクティブな種特異的エンハンサーに共通に出現していた。その配列はE-boxホメオボックスを含んでいたのだ。(当然この組み合わせの配列に結合する転写因子に興味が持たれるが、いずれかの配列に結合する可能性のある転写因子は数多くあり、特定することはこの段階では困難だ。)

進化との関連

ヒトゲノム上には異常に速く配列の変化が生じた場所がある。”異常に”とは分子時計から予測されるよりもずっと速くということだ。これらはhuman accelerated regions (HARs)と呼ばれている。HARsは脳の発達を始めとするヒトに特有の形質に影響を与え領域に存在することが知られている。既知のHARsのうち20箇所が種特異的CNCCエンハンサーと重なっていた。ヒト特有の顔面の形態形成にもHARs上のエンハンサーが関わっていることが推測された。

他にも様々な解析を試みているが、際限がないのでここらでやめにしておく。(ビッグデータを持っているので山のように解析ができるのだ。)

 

論文のデータはここまでであって、実際に”どの遺伝子”の発現状態の違いがヒトとチンパンジーの”顔の違い”を生み出しているかは全く手付かずである。ちょっとCellの表紙を見て論文を読む気になったヒトには拍子抜けかもしれない。(もともと科学はincrementalなもので”看板”を信じてはいけないが。)今後はこれらのエンハンサーの影響下にある個々の遺伝子の形態形成への寄与が検討されることになると思う。著者らも述べているが、ここで得られたデータは今後ヒトの顔の形状を決定する因子を特定する際のresourceとして利用可能となるであろうとしている。(何か当初の目的から外れて生臭くなっていると思うのだが。)

この先は大変

今回紹介した論文は、問題設定の妥当性、実験材料や実験手法の選択の妥当性等、きわめて高いレベルにあり、研究の進め方そのものについて詳細にトレースしてみる価値がある。しかし実際きわめて詳細なレベルでの観察記録にすぎないともいえる。事実同定された種特異的エンハンサーが顔面の形態形成の違いに本当に寄与しているかどうかは全くわからない。(まだ証明されていない。)これが”実験科学”として成立するためには、ヒトやチンパンジーで、各エンハンサー配列の除去や挿入により頭部(顔面)形態形成に影響が出ることを見てみる必要がある。(便法としてはマウスなどを使う手もあるが。)当然ヒトは実験材料として用いることはできない。これは倫理的な理由であって技術的なものではない。チンパンジーの実験に関しても欧米では相当厳しい制約がある。”進化論”が実験を中心とした”実験進化学”のようなものに”進化”を遂げつつある状況は以前論じてみた。しかし現実には実験的決定打を得る段になると様々な制約があることがわかる。

要約すると、

エンハンサー内の転写因子結合配列の有無が活性のパターンの違いをもたらし、それが種の形態の違いを生み出しているということである。

 

ではどうして遺伝子発現調節領域の進化が例外的に速いのだろうか? これに対する一つの可能性は既に提出されている。この点を免疫学お視点から追求した論文が出されたたので追加して紹介しようと思ったが、すでに十分長い文章になったので次回(近未来)に譲ることにする。