メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ヒトからネアンデルタール人への遺伝子流入

一昨年出版されたSvante Pääboの著書”Neanderthal Man”は日本語にも翻訳されて反響を呼んだ。

その後もPääboは重要な発見を公表し続けている。はじめに彼らの初期の論文で公表された発見を要約する。そこではネアンデルタール人ミトコンドリアDNAの配列決定の成功、および 核DNAの配列決定により、以下の結論を導き出している。それは、アフリカで進化したヒトが中東付近を通ってユーラシア大陸に渡った後に既にそこにいたネアンデルタール人と交配した。これは47,000から65,000年ほど前のことである。核DNAの解析により、このアフリカ以外の地域のヒトの核ゲノム中には約2%の割合でネアンデルタール人のDNAが含まれていることが判明した。

ここで興味深いのは、現生人類の核ゲノム中にはネアンデルタール人の遺伝子流入があるが、その逆は見出されなかったというのだ。これをそのまま解釈すると、ネアンデルタール人の男とヒトの女が交配したことになる。この現象をPääboは前掲著書の中で解釈を試みている。こうした現象は男の所属する集団がその地域においてより支配的であることが多いという。確かに南北米大陸への欧州人の侵入のことを考えればこの考え方が当てはまるように思える。

しかしこの結論はヒトの核DNAに由来する配列がネアンデルタール人の核DNA中に見出されないことが前提となっている。これまでに配列決定されたネアンデルタール人の検体数はそれほど多くないと思われるので、この状況が覆される可能性は十分あると私は考えていた。

今週のNatureにPääboを含んだ研究グループから興味深い論文が出た。この論文の筆頭著者(同時に責任著者)Martin Kuhlwilmは、Svante Pääboの元(ライプチヒ大学)で学位を得ている。この研究では、東ユーラシア大陸アルタイ山脈)で見つかったネアンデルタール人の核DNA中に(具体的には21番染色体上に)、ヒトのDNA配列を見出したというのだ。但しこの“ヒト”というのは、現生人類そのものではなく、アフリカで成立したヒト集団からかなり以前に枝分かれしたグループであるという。この集団がユーラシアに移住した後、約10万年前に先住のネアンデルタール人と交雑したとする。

興味深いことに、同じネアンデルタール人でもヨーロッパ(クロアチアとスペイン)の群にはこのヒトのDNAは見出されなかった。一方同じくヒトとかなり近縁なデニソヴァ人にもこのようなヒトのDNAは存在していなかった。(但し、これまでに解析されたデニソヴァ人の個体はさらに少ない。)

この結果は初期の研究成果から想像されたヒトと旧人との交雑のあり方は正しくなかったことを示している。要するに交雑は双方向だったのだ。すでにある程度言われていたことだが、アフリカ大陸で成立したヒト集団は、ユーラシア大陸を移動する過程で、移動先でいくつかの近縁な人類( 旧人)と遭遇し、交雑した。こうして生まれた“合いの子”は、各々のヒト集団中でその相方に特徴的な遺伝子の含有率が希釈された。しかし旧人の集団に保存されたヒトの遺伝子は旧人の絶滅とともに消滅した。わかっている範囲では我々のゲノム中には約2%の割合でネアンデルタール人のDNAが残っている。2%というのは1:1の合いの子が4−5回、元の集団(この場合はヒトの集団)で戻し交配されたたときの異種DNAの含量に相当する。

Pääboらの発見のうちデニソヴァ人の発見は記念碑的な業績であろう。その理由はデニソヴァ人が考古学的発見を経ることなく、ゲノムDNA情報のみによって新たな旧人として命名、記載されたからである。さらに驚くべき事実は、このデニソヴァ人のDNAも一部の現生人類に保存されていたのだ。だから現生人類のゲノムは様々な旧人と交雑することによって成立しているということは明確に認識する必要がある。Pääboはその著書の中で、ネアンデルタール人とヒトとの交雑は何ら不自然なことではない。ヒトがその近縁種(種というには問題があるのだが)と遭遇したときに、性的関係を持たないということが考えられるだろうかと述べている。おもしろいことにデニソヴァ人のゲノム中にもネアンデルタール人のゲノムの痕跡が認められる。

ヒトにおけるネアンデルタール人由来のDNAはわずか2%なので、このDNAのせいで我々がネアンデルタール人の痕跡を持っていると認識することは表現型的にはほとんどありえない。しかし先月興味深い論文が発表された。Toll-like receptor遺伝子クラスター(TLR6-TLR1-TLR10)の多型について詳細に解析したところ、ユーラシアのヒトの各集団には旧人に由来すると思われる配列が見出された。この遺伝子侵入(introgression)は三度に渉って起こったと推定された。そのうちの2回はネアンデルタール人に、残りの一回はデニソヴァ人に由来すると推定された。これら旧人に由来する配列はユーラシアの各集団に高頻度に分布していた。Toll-like receptorは細菌、カビ、寄生虫に対する自然免疫に関与しているので、これら旧人由来の遺伝子は各集団中でポジティブに選択された可能性が高い。

地理的隔離が種の形成には必要不可欠である。しかし人類は移動(移住)する能力を獲得し、このことが近縁種との交配を促した。現生人類を考えてみても、今存在しているヒトの一部の集団が、あらたな種を形成する可能性はとても考えにくい。その理由は人々が日常的に地球上を旅行して、交雑しているからだ。こうした地理的隔離が崩れた状況では新しい種は生まれてこない。常に問題にされること、それはなぜ旧人は絶滅したかという問いである。旧人の住んでいた場所の“遺跡”からは、彼らの持っていた文化のようなものが見出される。しかし彼らが欧州に住んでいた長い期間にこの文化が“進化”することはなかった。一方ヒトのそれは徐々に進化していったことが見てとれるという。進歩がヒトの生息を助け、停滞が旧人の絶滅を促したということだろうか。

こう考えると、ヒトをヒトたらしめているのはこうしたヒト特有の行動パターン(すなわち進歩する性質)に寄与していると考えられる遺伝子、あるいは遺伝子変異を特定することが必要である。好奇心、あるいは冒険心を司る遺伝子といってもよい。それは高次神経機能に関係しているはずである。それはどのような遺伝子なのだろうか?