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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

サウスカロライナへの旅:南北戦争の本質

サウスカロライナ(South Carolina)州に旅行してきた。本ブログのテーマである生命科学とは関係ないが、旅行中に考えたこと、感じたことをまとめて書いてみる。

 

サウスカロライナ南北戦争(1861−65年)における南軍(アメリカ連合国、Confederate States of America)の旗頭であった。そのためこの内戦から約150年経た今でも、この州の人々は南部としての強いアイデンティティを抱いているようである。日本における同様のケース、すなわち内戦の敗者にしてなんらかの強い意識を持っているのは旧会津藩であろうか? しかし米国はもともと州の力が強いためか、このサウスカロライナの敗軍としてのアイデンティティにはより強いプライドを感じ取ることができる。最近の例では州都コロンビア(Columbia)の州議会議事堂(写真下)前の南軍旗を下ろす際にためらいが見られた例にもそれは現れている。

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さて州内最大の観光地はチャールストン(Charleston)である。古い建物が並ぶ美しい南国風の都市で(写真上)、全米有数の観光地となっている。最近は東海岸北部の富裕層がリタイアするためにこの街に移住してきていると聞く。この街は大西洋に通じる湾に突き出した半島上に築かれている。その地理的特性から、南北戦争ではこの湾の争奪戦が繰り広げられた。現在も米海軍の基地が置かれ、停泊中の空母を望むことができた(写真下)。

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この地の繁栄は奴隷貿易によってもたらされたといっても過言ではない。南北戦争以前のサウスカロライナを始めとする南部諸州の経済は米、綿花、藍といったプランテーション農業で支えられていた。そのため屋外で土地を開墾し、農作業ができる黒人奴隷を必要としていたのだ。熱帯病の存在も黒人奴隷を必要とする理由であった。チャールストン周辺には海岸沿いの湿地帯が広がっていたので、奴隷による開墾は稲田を掴み取りするようなものであった。チャールストンはアフリカ西岸からの奴隷の受け入れと、作物の積み出しの拠点港として栄えたのだ。そのため1,690頃には北米第5の都市であった(他はフィラデルフィア、ニューヨーク、ボストン、ケベック)。サウスカロライナ州自体も経済規模が大きく、それがこの州の政治力の源泉であった。美しい街並みの一角に旧奴隷交易所が博物館として保存されている(写真下)。チャールストンはアフリカからの奴隷の受け入れだけではなく、北米地域内での奴隷売買の拠点でもあった。

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よく言われることだが、南北戦争は奴隷解放をめぐる人道的立場の違いで戦われた戦争ではなかった。工業化が進展していた北部諸州は安価な労働力の獲得による産業の強化を望んでいた。一方南部は黒人を奴隷として拘束し労働市場に放出されるのを妨ぎたかったのだ。いわば産業形態の間での争いであった。南北戦争の帰結によって奴隷が解放された結果、何が起こったか? それはサウスカロライナ州における、例えば稲作の衰退にはじまる州全体の地盤沈下であった。北米における稲作はチャールストン近郊で17世紀に開始されたといわれるが、奴隷の解放により稲作は維持できなくなった。現在はサウスカロライナ州は米生産の上位にすら顔を出していない。また同じ頃に高性能の綿繰り機械(cotton gin)が普及したこと、さらに藍の成分であるインディゴの化学合成法がドイツのフォン・バイヤーによって発明されるに及んで、奴隷労働に依存したサウスカロライナ農業は完全に優位性を失った。

南部の産業化の遅れは例えば南北戦争で使われた武器の規格にも現れている。私は一昨年マサチューセッツスプリングフィールド(Springfield)にある兵器廠(armory)跡を訪ねたが、そのときの解説で 印象に残っていたことがある。それは北軍がこのスプリングフィールド兵器廠を始めとする少数の生産工場で大規模生産された同一規格の武器を戦場に投入したのに対して、南軍は各々持ち寄ったばらばらな規格の武器で戦ったというのである。南軍は軍としての統一性はさほど厳格ではなく、州ごと、あるいはプランテーションごとの寄せ集めだったようだ(写真下)。そのため武器の管理、修理、あるいは弾薬補給に支障をきたすことになった。このことが南軍の兵力を弱める一因であったという。

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要するに南北戦争とは北の工業国と南の農業国との戦いだったのだ。おのずと勝敗の帰趨は明らかであったとはいいすぎだろうか? 事実この戦争の後、南北の経済力の差は開く一方であった。国内格差における弱者が独立を主張することは自殺行為である。これは昔も今も変わらない。

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コロンビアの議事堂の敷地にある像(誰の像だったかは忘れたが)の基部に南北戦争が”サウスカロライナの死に至る道”と記されていた(写真上)。しかし栄枯盛衰は世の常である。隣のノースカロライナ州プランテーション化が遅れたため、かつては強大なサウスカロライナの後塵を拝していた。ところが最近はノースカロライナの方が人口も多く(約2倍)、新たな産業の育成に成功しつつある。経済規模の比較でも約2.5倍の規模を持っている。特筆するべきはノースカロライナには優れた総合大学が三つもあるのに対してサウスカロライナには一つしかない。ベイエリアやボストンの発展を語るまでもなく、現代における都市圏の興隆は大学をコアにしている。サウスカロライナの教訓は、言い古されているが、過去の栄光にすがるものは衰退を余儀なくされる、ということだと思う。

サウスカロライナは米国の歴史を覗き見るための“窓”のような場所である。一度訪れることをお勧めする。