メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

Genome editing 植物はGMOか?

やはり予想通りというか、ゲノムエディティングgenome editingによって作出された植物の認可に待ったがかかり、宙ぶらりんの状態になっているという記事が出た。

あまりにエディティングの話題が多すぎて閉口していたところだが、エディティングと社会との関わりという意味ではこれは取り上げない訳にはいかない。

問題の植物はスウェーデンのウメオ大学Umeå Universityで作られたArabidopsis  だ。ゲノム改変により強い光への光合成系へのダメージが防げるかどうかを調べるために、この植物の野外試験の申請をしたのだ。この試験の実現可能性は、欧州委員会European commisionの結論待ちとなった。しかし検討中だが結論を出せずにいる、という状況である。

ゲノムエディティングの結果、特定のゲノム部位の欠失や挿入がおこる。しかしいわゆる“外来”遺伝子が挿入されるわけではない。すでに何回か言及しているベルギー青色牛で変異を起こしている遺伝子が、ブタでエディティングによって改変された。このブタは自然に(低頻度で)起こる突然変異を人為的に“早めた”にすぎない。要するにこうしたゲノム改変生物を2,001年に制定されたEUの規則によってGMOと同じ扱いをしてよいものか?ということなのだ。

EUの規則では、GMOとは (1) “自然に生じることのない”遺伝的変化が (2) “遺伝子操作genetic engineering”により作出されたものと定義される。そうすると、エディティングで作出された生き物は、(1) には当てはまらないが、(2) には該当することになる。

この点米国連邦政府の姿勢はとりあえず評価できる。大統領府の主導により、FDA(食品医薬品局)、EPA(環境保護庁)、USDA(農務省)の関連3機関が連携していくことが報じられている。そこで話し合われたことは、1,992年に改定された法規で対応できなくなっていた申請事例について、この3者による協議によってその認可プロセスをより柔軟に対応できるようにすることであった。これには例えばホタルの遺伝子が導入された植物などの案件が含まれている。これらの案件は審査機関が特定できず、宙に浮いた状態だったのだ。

一方新たに出現してくる技術につても可能な限り対応できるようにすることも目的の一つであった。この新技術とは現時点ではTALENやCRISPR/Cas9等のゲノムエディティングを想定している。既に農務省はゲノムエディティングによって作出された生物はGMOから除外することを決定している。したがって米国では、ゲノムエディティングによって作出された生き物の認可プロセスが、近いうちに開始されることが予想される。こうした問題を巡る米国の問題点は、むしろ新技術を使って作出された生き物が、一般大衆が知らないうちに市場に出回ることが大いにありうることである。これは米国の議会が強力な企業ロビーの影響下で動いているからである。(この点はここではこれ以上論じない。)

今回の記事では、政府の認可プロセスの他に、特に欧州では反GMO団体の反対がこうしたエディティング生物の普及に対する大きな妨げになるであろうことを予想している。記事の中で、これらの団体は仮にその生物が上記の (1) の要件を満たしていても、(2) に該当するならばおそらく頑強に反対すると予想している。私もそう思う。反GMO団体は原理主義的だからだ。

欧州、米国と見てきたが、日本はどうか?

こうした新技術が導入されるたびに、感情的反対論が幅を利かせることが多い。これも私が主張しているとおり、社会の各セクターにおける科学的リテラシーの欠如のためである。さらにこれも常に見られることだがメディアの感情的な反対論も見られる。メディアの科学的リテラシーの向上こそが急務である。

原発地球温暖化を始め、今日では科学的知識を抜きにして政策決定はできないのだ。ちなみに世界の代表的科学誌であるネイチャーはpro-new technologyである。しかしその姿勢は精緻な科学的知見に基づく冷静なものである。こうした科学ジャーナリズムが、しかも日本語のものがどうしても必要なのだ。バラ色の未来を描くものでもなく、また全否定でもないものが。