メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

Aurochsの再生

オーロックスの再生が進められている [1]。

オーロックス(Aurochs, Bos primigenius)は家畜牛の直接の祖先で、かつてはユーラシアや北アフリカの広い範囲に生息していた。10,500年前頃から現在のトルコ、アナトリア地方でオーロックスの家畜化が開始された。この家畜化されたオーロックス(すなわちヨーロッパ牛Bos taurusの祖先)は2,000年後にギリシャを経てヨーロッパに拡散した。(牛の飼育が隣の国に拡散するのに2千年もかかったのは面白いことだがここではそれ以上触らない。)この牛の家畜化とともにオーロックスは数が減り、野生種としてのオーロックスは17世紀ポーランドで最後の一頭が死んで絶滅した。1,920年代からこのオーロックスの再生の試みがヨーロッパで続けられている。オーロックスは氷河期を生き延びた動物種で、化石として欧州の広い地域で見出される。またラスコーの壁画にも描かれているので我々にもなじみがある。(関西には”オーロックス”という焼肉屋があるようだか。)ユリウス・カエサルは”ガリア戦記”の中でオーロクスに遭遇したことを記している。だから約2,000年前にはオーロクスはイタリア半島にはいなかったが、現在のフランスの地には居たことになる。

以前Beth Shapiroの本"How to clone a mammoth"を紹介したが、その中にもこのオーロックスの再生の試みとその野外への放飼が紹介されている。それによると、長く湾曲した角や大柄な体格などの形質を再現するべく、牛の品種を掛け合わせることが続けられている。このようなオーロックスに特有な形質を決定する遺伝子は家畜牛の間で希釈されていると考えられていたのだ。こうしたオーロックス的な形質を求めて、クロアチア、スペイン、ポルトガルルーマニアに飼育されている土着牛の交配が繰り返された。いずれも欧州の周縁部である。その結果それらしい外貌を持った牛が選抜された。が、いかんせん外貌だけではオーロックスの持っていた遺伝子のワンセットが揃ったかどうかは当然わからない。そもそも家畜化の過程で、長い角のように家畜にふさわしくない形質の遺伝子は淘汰されている可能性があるので、現存の牛の遺伝子プールには既にオーロックス特有の遺伝子は存在していないかもしれない。

しかし最近英国のグループが6,750年前のオーロックスの化石骨からDNAを抽出し、配列を決定した [2]。その結果、これまでの選抜の結果確立した再現オーロックスは野生オーロックスのDNAとよく似ていることがわかったのだ。しかし同時にこのような古典的な交配法では、かつてのオーロックスの完全なる再現(クローンニング)からはほど遠いことも明らかとなった。最終的にはオーロックスの完全な染色体ゲノムの配列を決定し、これを元に牛のゲノムを改変する(genome editing)ことが必要であるという。このような絶滅種のクローニングの必要性に関する議論についてはやはりShapiroの本に記載されている。

ところでなぜこのような絶滅した大型哺乳動物を復元する必要があるのだろうか? この問いに対する答えはやはり前掲のShapiroの本の中にある。それによると、一般に捕食関係の最上位にある大型動物の存在は、その地域の生態系を”健全に保つ”のに役立つという。Shapiroはこの実験例としてイエローストーンでのオオカミの再導入を例として挙げている。オーロックスは肉食獣ではないが、化石の証拠から過去の欧州では最大の動物であったことがわかっている。

実際このオーロックスの復元プロジェクトの中心となっている人物は、ルーマニアドナウ川河口付近の耕作放棄地へのオーロックスの再導入を始めている。オーロックスはそこで小型草食獣が食べることのできない丈の高い草を食べたり、その大型の特性を生かして土を耕すことができるとしている。

おもしろいことに、このオーロックスもどきの大型牛はEUの規則では家畜牛の子孫なので野生動物とはみなされず、生後3日以内に耳票を付けて、必要なワクチンの接種が必要という。実際には野生動物として放とうとしているのだが法的には放牧牛と同じである。

こうして野に放たれようとしているオーロックスもどきの牛はその遺伝子プールの小ささから、放っておくとやがて頭数が減少するか、または家畜牛と逆交配してその形質が再び希釈される可能性がある。こうした”再生された”動物の野外放飼の成否は、この”十分な個体数”と”遺伝子プールの大きさ”に大きく影響されるのではないか。