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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

同じ生データからNatureとCellに出す:ペスト菌の考古学

研究者にとって少し扇情的なタイトルだが先週Cellに出た論文のことである。

タイトルは “Early divergent strains of Yersinia pestis in Eurasia, 5,000 years ago” (紀元前5,000年のユーラシア大陸 で見られるペスト菌多様性“である。 この論文の内容は後期新石器時代から青銅器時代にかけての人骨DNAからペスト菌Y. pestis)のDNAを見つけ出して、その配列からペスト菌の進化の道筋を明らかにした、というものだ。最近流行りのメタゲノム的アプローチである。

Attentoftのグループ(デンマーク自然史博物館)は 後期新石器時代から青銅器時代にかけてユーラシア大陸に興隆した諸民族(部族)の人の骨からDNAを抽出し、その配列を決定した。このデータから後期新石器時代から青銅器時代に亘って、ユーラシア大陸(特に黒海カスピ海に挟まれた地域)での民族の興亡を人の移動で説明しようとしたのだ。

この研究は今年6月のNatureに発表された。このNature論文と今回のCell論文は実際には同じゲノム配列をもとにした仕事であり、いわば“一粒で二度おいしい”といった感じである。実際NatureのNewsに使われた写真とCellの表紙を飾った写真は同じものである。

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このCell論文の技術的なポイントは歯のDNAを用いたことである。腺ペストの末期には敗血症の状態となり、血中には多量のY. pestisが存在する。歯髄(pulp)は血流に富んだ組織である。したがって歯から採ったDNAからは、もしそれがペストで死んだ人のものならば、ペスト菌のDNAが検出されても良い。 だが実際には古人骨や恐竜の化石の中では歯が最も硬いので残っている確率が高いというのも事実だと思う。

Attentoftらが最初にやったことは、既にデータベース化されている彼ら自身の作った101人分の配列データ中にY. pestisのDNAを検索した。Svante Pääboが記載しているとおり、古人骨から採取されたDNAには死後そこで増殖した細菌のDNAが含まれている。したがって、生データから特定の病原微生物のDNAを同定することはさほど容易なことではない。これらの作業が具体的にどのように行われたかについては私も詳細を把握しているわけではないが、ともあれ彼らはY. pestisのDNAの検出に成功した。このY. pestisが陽性の検体のみ配列決定を再度行って、そこに含まれていたY. pestisのゲノムが完全に近づけるように配列を決定した。その結果、7検体に菌本体のDNA(普通染色体性 DNAとか呼ばれている。原核生物なので染色体を作っているわけではないので、私はこの呼び方は好きではないが。)に加えて3つのプラスミドDNAについて、検体によっては完全ゲノム配列が決定された。これらのレプリコンは今日のY. pestisの菌株で知られているゲノムの全てである。

既に同じ検体を用いて考古学的研究がなされているため(Nature論文)、各人骨が発掘された場所と年代(14C法による)は特定されている。Y. pestisのDNAが検出されたヒト検体は2,800から5,000年前にユーラシア大陸各地に生存していたヒトからのものである。そこからわかったことは、(1) ヒトへのペスト菌の感染はこれまでの記載よりも1,500年も前からあった、および、(2) 腺ペストを引き起こすために必要なymt遺伝子の変異は3,700前には見つからないが、3,000前にはほとんど株に見出された。したがって、ペスト菌が後の人類史に記載されるような病原性を獲得したのはこの期間ということになる。

私の疑問としては、3,700年前の歯にいたというペスト菌はどうやら病原性が低かったと思われるのだが、それでも血流に乗って歯髄にいたということになる。ということはそれでもある程度の病原性virulenceを持っていたと解釈できる。このようなタイプのペスト菌は近年のペスト症例からは分離されないのだろうか?

 

さて話はだいぶ大きくなるが、自然科学にとどまらずおよそ学問という営為は、“未来を知るために行う”ものである。歴史学、考古学というのは過去の出来事を解釈するために古文書を解読したり遺跡の発掘を行うのだ。それは人間の行為の性質を明らかにするためだが、究極的には現在と未来の人間の行動の指針を得ようとするものだ。

古遺伝学paleogeneticsという分野がある。過去の生物のゲノム情報から絶滅した(または過去に生存していた)生き物の行動、生態、進化を探ろうとするものだ。こういった研究分野は分子生物学が登場するまではほとんど存在し得なかった。それまでの古生物学では僅かに形態的な手がかりのみで様々なことを論じていたのだ。(ヒトの進化に関する20世紀の学者の考え方については尾本恵一の本を参照されたい。)

今日の古遺伝学の隆盛は疑いもなくいわゆる“次世代シークエンシング技術”の登場によってもたらされたものだ。最近各分野で研究におけるパラダイム転換が起こっているが(そのうちの一つは既に紹介したが)、医学生物学分野での新パラダイムは“とりあえず配列を決めてしまおう”ということに尽きる。無論この手法ではメカニズム解明の最終段階(すなわち実験的検証)を欠いているので科学のプロセスを完遂しているとはいえない。それにもかかわらず、とりあえず配列を決定するやりかたは膨大なデータをもたらし、さらにそれはあらたな研テーマを生み出すであろうことは疑いない。

 

今回のCell論文にみられるような過去の微生物(特に病原微生物)のゲノム配列から、過去の感染症の様相や病原微生物の進化を論じる分野を古微生物学paleomicrobiologyと呼ぶ。これはDidier Raoultによって創始されたとされる。これまでは微生物の考古学は形態的遺物がないため全く手がかりがなかった。微化石というものがあるがこれも実際には情報がきわめて乏しい。このためこの分野は最近のシークエンシング技術の隆盛によって初めて日の目を見たといっても過言ではない。

今回紹介したような病原微生物の進化の研究は、今後新たに人類に出現する感染症に関する予測に寄与するものと思われる。