メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

幹細胞の非対称分裂の機構は?

“ヒストンのリン酸化が幹細胞の非対称分裂を決定する“という論文がCellに出た。

 

幹細胞の細胞分裂は非対称分裂である。その意味するところは、分裂の結果未分化な幹細胞そのものと、組織特異的な分化にコミットされた細胞を一つづつ生み出すのだ。この仕組みによって幹細胞の持つ二つの能力、すなわち"Self-renewal"と"Differentiation"の両方が発揮される。このような非対称分裂の機構はこれまでよくわかっていなかった。

本論文はこのような非対称分裂の機構を解明するためのヒントを提示したもので、大変興味深く、かつ謎に富んだ内容を含んでいる。なお、Cellの同じ号に掲載されたPirrottaによるPreviewも短いが示唆に満ちた佳編なので一読をお勧めする。忙しい人にはこれだけで十分だと思う。

これはジョンズホプキンス大学のXin Chenのグループを中心に行われた。実験系としてショウジョウバエの精巣を用いている。ここで観察している幹細胞は雄のgermline stem cell(GSC、生殖細胞系列幹細胞)で、この細胞の非対称分裂の結果、GSCそのものとgonialblast(GB、始原生殖細胞)ができる。GBは最終的に精母細胞に分化する。GSCは精巣内のhubと呼ばれるニッチに留まるが、GBはそこから精巣中の移動を開始する。したがってGSCとGBの形態的鑑別は比較的容易である。さらにGSCとGBは組織切片の免疫染色で容易に区別できる。

この仕事の前段階として3年前にChenらは興味深い知見を得ている。それはGSCに分配されるクロマチンはその一回前の複製時からクロマチンにラップされているコアヒストンを受けつぎ、GBに分配されるクロマチンは直前のDNA複製時に新たに取り込まれた新規に生合成されたコアヒストンを持っているということだ。

このことから、GSCから受け継いだ”旧い“ヒストン分子は翻訳後修飾(PTM)を受け継いでいて、一方GBのヒストン分子は”初期化“された状態にあると考えられる。

通常の体細胞ではDNA(およびクロマチン)複製に伴ってヒストンの量が50%不足する。このとき“旧い”ヒストンと“新しい”ヒストンは半量ずつ娘クロマチンに配分される。この過程は確率的なものと考えられているので、各娘クロマチンでには50%の持ち越しと、50%の新しい取り込みが起こるはずである。。(しかしこのヒストンのクロマチンへの取り込みについては、これまでBruce StillmanやGenevieve Almouzniら、優秀な研究者が取り組んできたが未だ詳しいことは解っていない。)

いずれにしても、このようなヒストンのPTMの違いがこの非対称な染色体の分配を決定していると考えるのは自然である。

今回のCell論文ではヒストンPTMのうち、この新旧クロマチンの間でヒストンH3のトレオニン3のリン酸化(H3T3P)に大きな違いが見られることを見出した。このH3T3Pは今まさに起ころうとしている非対称的細胞分裂のprophaseからmetaphaseにかけて観察され、“旧い”クロマチンのヒストン上のみに見られる。このH3T3Pを持っている凝縮染色分体は細胞分裂の結果GSCに分配され、H3T3Pの起こっていない染色分体はGBに分配される。ショウジョウバエは4対の染色体を持っているので、細胞分裂時には計16本の凝縮した染色分体が形成される。このうち8本のH3T3P+の染色分体がGSCに、同じ数のH3T3P-の染色分体がGBにそれぞれ分配されるわけだ。各々指定された娘細胞に行く。

このリン酸化が起こらないようなヒストンH3(H3T3A、トレオニンのアラニン置換変異体)をハエに強制発現してやると、当然この残基のリン酸化は起こらなくなる。この状態で精巣を調べると、“旧い”染色体分体群と、“新しい”染色体分体群は指定された娘細胞に分配されなくなる。この分配はほぼ完全にランダムとなるのだ。つまりGSCとGBへの非対称的分配が起こらなくなる。したがって、各々の染色分体の持っているヒストンの“新旧”が問題なのではなく、まさにその回の非対称分裂の過程で一過性に生じるH3T3のリン酸化の存在がこの非対称的分配での行き先を決定しているのだ。

次の疑問はこのリン酸化を起こすキナーゼは何か?である。既にH3T3のリン酸化を起こす分子として、ハスピン(Haspin)が知られている。shRNAを用いてこの培養ヒト細胞でハスピンタンパクを減らしてやるとmetaphaseにおける凝縮染色体の整列が正常に起こらなくなることが知られている。

ハエのGSCでハスピンタンパク量を減らしてやると、H3T3Pが消失し、かつH3T3Aでみられたと同様に非対称的な染色分体の分配が起こらなくなる。したがって、非対称分裂で見られるH3T3のリン酸化はハスピンによって触媒されていて、かつこのリン酸化が非対称的分配に必須であることが明らかである。

最も重要なことはこのようなH3T3Pが起こらなくしてやったハエの精巣で、生殖細胞の機能がどうなるかである。H3T3Aを強制発現させてやると、GSCの維持がうまく行われず、そのかわり分化した細胞が増える。そのため時間経過とともに精子形成が低下して行き、このような雄のハエでは徐々に生殖能力の低下が見られる。したがってH3T3Pの存在が幹細胞の非対称分裂のみならず、幹細胞自体の存続にも必須であることが明らかである。

 

これらを総合すると、次のようなリニアな関係があることがわかる。

 “旧いクロマチン → 細胞分裂時のハスピンによるH3T3P → 染色分体のGSCへの分配”。この場合GSC娘細胞に分配された染色体はGSCの性質を維持するような遺伝子発現パターンを保持する。

逆に、

“新しいクロマチン → 細胞分裂時のH3T3Pの不在 → 染色分体のGBへの分配”。この場合GB娘細胞に分配された染色体はGBの性質を発現するようなエピジネティックな変化を獲得する。

 

というわけで、たいへん面白い内容である。この仕事で少なくとも非対称分裂での非対称的染色分体の分配(用語がややこしくて恐縮だが)に必須の分子修飾が同定された。

但し、ここで解明された内容はほんの手がかりだけであると考えたほうが良いと思う。(日本の新聞では”幹細胞の分裂機構解明される”とかいったタイトルが付けらたりする。同様に”ガンの発生機構が解明される”といったタイトルは30回ほど見たような気がする。いい加減にしてもらいたいが。)

しかしながら、優れた実験研究は当初掲げた疑問に対する答えよりもより多くの新たな疑問を提示することが多いが、この仕事も例外ではない。

 

ここで新たに湧いてきた(私の)疑問を列挙しておく。

1.コアヒストン分子の取り込みの違いを生み出すのは何か?

”新旧”のコアヒストンが偏って取り込まれるのはなぜだろうか? このヒストンの再構成は非対称分裂の直前のDNA複製時に行われる。一方の一本鎖DNAからできる二本鎖には”旧い”コアヒストンがそのまま残り、もう一方の一本鎖DNA鎖からできる二本鎖には”新しい”コアヒストンが新たに組み込まれる。このとき鋳型になる各一本鎖DNAの違いは何だろうか? これに答えるにはその前の回のDNA複製のことを考えることがヒントになると思う。

全ての細胞の二本鎖DNAはその一方の鎖は前回複製時の鋳型鎖であり、他方は新生鎖である。したがって、”新旧”コアヒストンの取り込みの違いは、前回複製時の鋳型鎖と新生鎖がなんらかの機構で区別されていると考えるのは自然であろう。

しかしどのようにして? おそらく二本鎖DNAの各鎖の区別は新生鎖(または鋳型鎖)上のみに存在するメチル基の存在(5−メチルシトシン)によってなされるのが最も信頼度が高いのではないだろうか? もしそうだとすると、前回複製の際、またはその後で新生鎖のどこかにマーカーとなるメチル化がDNMT3a(3b?)によって付与されるされるのだろうか?

この点についてはこのCell論文もPreviewも触れていないので、これは私の卓見か、まるで見当違いのどちらかであろう。

2.H3T3Pを持つ染色分体をGSC極に向かわせる機構は何か?

実際にH3T3Pを持つ染色分体がGSCに留まる細胞の極(すなわち紡錘体の極)に向かうのは何故かということである。H3T3P+の染色分体がGSC極に牽引されるためにはこの極から伸びてくる紡錘糸に捕獲されなければならない。この機構は何であろうか? 私には皆目見当が付かない。

3.GSCにしろGBにせよ、細胞腫に特有の遺伝子発現パターンを生じさせるエピジェネティック変化は何か、それはどのようにして形成されるか? 

この論文ではGSCの再生産とGBの分化に必要なエピジェネティックな違いはH3T3Pであることを明らかにした。しかしこのH3T3Pは主にペリセントリック領域にでき、さらにanaphaseには消失してしまう。したがってH3T3PはGSCを維持するために必要なエピジェネティックマーカーではありえない。これは明白であろう。結局GSCに必要なマーカーはこの非対称分裂を経ても維持され、一方GBでは分化に必要な形質発現が新たに起こる。そしてそのために必要なエピジェネティックなマーキングが新たになされるはずである。この機構は何か? この疑問に答えるにはさらに多くの努力が必要であろう。

4.GSCだけに適用できるのか?

今回発見されたできごとは雄の生殖細胞だけに起こっているのだろうか? さらに同じ機構はヒトを始めとする脊椎動物にも適用できるのだろうか? 

 

本稿では話を単純化するために、ショウジョウバエ特有の実験法については詳細な記載を省いた。

最後にこの研究から得られた知見の再生医療への応用可能性についても考えてみたが、それはかなり時期尚早であると判断される。その理由については長くなるので今回は述べない。論文中にヒントがあるので興味のある方は一読してください。