メンフィスにて

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高リスク神経芽腫ではゲノム再構成によってテロメラーゼが活性化されている

最近のNatureに表題のような論文がドイツのケルン大学を中心とするグループから出された。著者総数55名からわかるとおり、ゲノムシークエンシングを主な手段とした仕事である。神経芽腫(neuroblastoma)のゲノム異常を探索した結果、高リスク神経芽腫では第5染色体短腕付近のゲノム再構成(genomic rearrangements)が高頻度で見出されること、およびこれがテロメラーゼの再活性化を引き起こしていることを明らかにしたという内容である。

 

神経芽腫(neuroblastoma)は神経堤(neural crest)細胞由来の小児腫瘍で主に腹腔内に生じる。小児固形腫瘍では脳腫瘍に次いで発症頻度が高く、日本では年間約300例、米国では約650例の発生を見る。

神経芽腫のゲノム異常については既に30年以上の研究史がある。奇妙なことに成人がんや他の小児がんに比べてゲノムの変異率が低いことが知られている。(他に変異頻度の低い小児がんとして、白血病、網膜芽腫などがある。)成人がんでよく知られているがん遺伝子(Rasなど)やがん抑制遺伝子(TP53など)の変異はほとんど見出されない。このように神経芽腫特有の遺伝子変異が乏しいことがこの疾患に対する選択的(特異的)薬剤の発見を遅らせている。

2,008年に神経芽腫におけるALKの活性化が日本を含む複数の研究グループから同時に報告された。ALK(Anaplastic lymphoma kinase)はキナーゼ(リン酸化酵素)なので、その特異的阻害剤の発見は比較的容易であり、ALK阻害剤がこれらの神経芽腫に有効であることも報告された。しかしこのALKの活性化は神経芽腫の約6~10%に見られるにすぎず、大部分の神経芽腫については未だ選択的薬剤は存在しない。

これまで明らかにされた神経芽腫の主なゲノム異常は、MYCN遺伝子の高度な増幅と第一染色体短腕(1p)の欠失である。これらは通常の染色体検査で検出される。MYCNの増幅(MNA)を持つ神経芽腫は1pの欠失を伴うので、ゲノム異常がおこる順番は、1p欠失 -> NMAである。したがって1p上にMNAを抑制する遺伝子(がん抑制遺伝子)が存在しているものと考えられている。MNAは約20%の神経芽腫に見られ、これは予後と高い相関がある。

ここ数年間のゲノム異常の研究によって多くの神経芽腫がATRX遺伝子に変異を持つことが明らかにされた [1, 2]。”多くの”というのは発症年齢によってこのATRX遺伝子の変異位率が異なり、年齢が高い群で頻度が高いので一律何%と言えないからだ。ATRXの機能喪失はテロメア非依存性のテロメア長維持を引き起こすことが他のがん知られていた。これはalternative lengthening of telomeres (ALT)と呼ばれる。実際これらの神経芽腫でもALTが見られる。大変興味深いことに、ATRX変異とMNAは相互排他的であり、この両者のゲノム異常はは同じ発がん経路に関与していることが予想された。

がん細胞が十分に悪性度を発揮するためにはテロメア長が維持される必要がある。本来ヒトの大部分の体細胞ではテロメア細胞分裂ごとに短縮化し、限界に達すると細胞老化(cellular scenescence)を引き起こす。しかし十分にがん化した細胞は無限に増殖することが可能であり、ふつうテロメアの長さを維持するためのなんらかの機構を獲得している。

このためには二つの機構があり、第一はテロメラーゼの再活性化である。もう一つは上記のALTである。本来ヒトの大部分の体細胞(幹細胞以外では)ではテロメラーゼの発現が抑制されており、したがって細胞分裂ごとにテロメアが短くなる。大部分のヒトがんではこのテロメラーゼの再活性化(再発現)が起こっている。今回のNature論文では神経芽腫ではテロメラーゼの再活性化が第5染色体のゲノム再構成によっておこり、このような神経芽腫は高リスクのものに多いということが明らかにされた。一方NMAそのものもテロメラーゼの発現を促進することが知らている。これらの知見を総合すると、神経芽腫では(1) 第5染色体再構成、またはNMAによるテロメラーゼの活性化、および(2) ATRX遺伝子変異によるALTの獲得、これらの機構によってテロメア長の維持がなされているということになる。

これで神経芽腫におけるテロメア長維持機構がかなり把握されたことになる。

この仕事の内容から直ちに神経芽腫の画期的治療法が開発されることが期待されるわけではない。しかし、神経芽腫の発症機構の全貌解明に一歩近づいたことは疑いない。

 

これまでに明らかにされた神経芽腫のゲノム異常を発がん機構との関連で要約する。

第一のクラスは神経突起の形成を抑制をもたらすゲノム異常である。MYCN産物(N−Mycタンパク)の過剰発現は、細胞増殖に関る多数の遺伝子の活性化を引き起こすと考えられているが、一方神経芽腫ではNMAは神経突起の形成を抑制する働きがある。同様に神経突起形成に必要な別の遺伝子群の失活変異も見出されている。これらは複数の遺伝子に起こるが、個々の遺伝子の変異頻度は低い。この中にはATRXも含まれこれらの変異を持つ神経芽腫ではNMAは見られない。したがって、NMAとそれとは異なる経路でともに神経突起形成能の低下を引き起こしている。 

第二のクラスは、テロメア長の維持の機構である。これは今回のNature論文にあるようにテロメラーゼの再活性化を促すゲノム再構成またはNMA、あるいはATRX遺伝子変異によるALTによるテロメア維持機構の獲得が神経芽腫では起こっている。

最近の成果を通覧すると、NMAとATRX変異は神経突起形成の抑制と、テロメア長維持の両方において同じ結果をもたらすようで、神経芽腫という腫瘍が全く異なる二つの発がん経路が似たような腫瘍を引き起こされることが次第に明らかになってきた。 但し前に触れたとおり、ATRX変異は発症年齢によって変異率が異なる。具体的には高年齢で発症するものほど変異頻度が高い。小児がんでは発症年齢が異なると、それは”別の種類の”がんであると考えたほうが良い場合があるが、これら二つの神経芽腫の本体が異なっている可能性も排除できない。

 

なお残る課題として、第5染色体短腕を含んだゲノム再構成がどのようにしてテロメラーゼのサイレンシング(発現抑制)を破壊しているのかが残っている。さらに1p上に存在が予想されるMYCN増幅を抑えているがん抑制遺伝子の同定が挙げられる。一般に神経芽腫ではMYCN以外の遺伝子(HDM2やALKなど)でも遺伝子増幅が多く見られ、この腫瘍のゲノム異常のひとつの特徴である。この理由についてもわかっていない。

 

近年様々ながんでその発がん経路が次々と解明されつつあるが、この成果に多大な寄与をしたのは次世代シークエンシング技術の普及とデータのコンピュータ解析である。しかしこれらの成果のほとんどに日本の研究機関は貢献していない。

この問題については回を改めて論じたい。