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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ゲノム時代の”ショパンの心臓”【1】

だいぶ前のことになるが、“ショパンの心臓”と題された下のような短い記事がサイエンス誌に掲載された。 

フレデリック・ショパンは1,849年にフランスで39歳で死んだ。死因は肺と喉頭結核とされている。ショパンの心臓は、友人の医師の手によって取り出されてコニャックで満たされた壺に収められた。これは故郷のポーランドに運ばれてワルシャワの教会に安置された。これはショパンの遺志に従ったものである。近年ポーランドの研究者たちはショパンが嚢胞性繊維症(CF)を患っていたかどうかを調べるために、壺を再び開くことを望んでいる。ワルシャワにある国際分子細胞生物学研究所のミカル・ウィットは、ショパンの小児期に軽症のCFである症状を示していたという。これらは呼吸器感染、虚弱、それに思春期の遅れである。長じてもショパンの身長は低く、階段を登るのに難儀をしていたこと、さらにコンサートが終わった後にステージから担ぎ出されたことなどでも記録されている。“もしショパンがCFにかかっていたことが明らかになったならば、それはCFの患者さんにとっては特別なニュースになるであろう。”と述べている。ウィットはショパンの心臓が安置されているニッチを開くことを、政府当局が2,010年までに許可することを期待している。2,010年はショパンの生誕200年の記念の年だからである。ワルシャワ医科大学のタデウス・ドボスは、“それはショパンの心臓を調べるのに良い機会だと思う。それは大掛かりなことではなく、CTスキャンとDNAテストだ。”と言っている。ポーランドの文化省はこの申請を検討中である。

この記事は面白いと思った。歴史上の人物の死因を究明するのは一つの学問分野として認められている。有名なものに“偉大なる作曲家たちのカルテ―40人の作曲家のライフスタイル・病気・死因と作品との関連”というタイトルの本があり、この本では著名な作曲家の死因についての推論が述べられている。

ショパンのケース。私はこの記事を8年前に読んだ時に抱いた最初の疑問は技術的な問題であった。まずは心臓の保存状態である。市販されているコニャックはアルコール濃度が40%である。室温で40%のエタノール中で150年以上保管されていた臓器は、どのような病理検査にも不向きであると思われる。ワルシャワの気温が低めであることを考慮しても、この条件は臓器保存のために好適であるとは言い難い。熟成された直後のコニャックのアルコール濃度は 70%である。これは消毒用(すなわち固定に適する)アルコールの濃度である。もしショパンの友人の医師がこのようなコニャックを用いたとすれば、事情はましであろう。

CFは常染色体劣性遺伝する疾患で、進行性に障害が進み早期死亡を引き起こす (ショパンは1,849年に39歳で死んだ)。呼吸困難は最も問題となる症状で、特に頻発する細菌感染は今日では抗生物質などによる治療がなされるが完治することはない。ショパンは呼吸器症状を呈していたことがわかっている。そのためショパン結核と診断されていた。しかし当時は結核の病因が明らかであったわけではない。(コッホによる結核菌の発見は1,882年のことだった。)CFTRはCFの原因遺伝子であるが、第7染色体上にありそのタンパクは1,480アミノ酸残基からなる。興味深いことに、コドン508のフェニルアラニンの欠失を引き起こすただ一種類の突然変異(DF508)が世界の患者の90%に見られる。もしショパンがCFに罹患していてこのDF508変異を持っているならば、ポーランドの研究者は心臓の小断片からDNAを抽出してこの変異がホモ接合になっていることを確認すれば良い。ところがその研究者たちは、仮にショパンがCFに罹患しているとしても、それは“軽症”の部類に入るとしているのだ。このような場合典型的な症状を示すDF508変異によるものではない可能性が高い。さらにCFの家系では、総計1、400種類にのぼる変異が知られているのである。このことは、ショパンのCFTRの変異を見つけ出すためには、最悪CFTR遺伝子の全領域に亘って塩基配列を決定する必要にせまられる。この作業は、時間と労力を要し、何よりより大量の検体DNAを要することになる。そのために必要な組織を心臓から切除できるのだろうか?

といったところが当時私の考えたことであった。

しかし時代は変わったのだ。現在は次世代シークエンシング技術による丸のゲノムを読み取る時代である。さらにそのために必要な検体DNAの量はマイクログラム以下のオーダーで十分である。したがってこれに必要なショパンの心臓の断片は、おそらく10ミリグラムで十分であろう。しかも仮にショパンの死因がCFでなかったとしても、全ゲノムシークエンスから他の原因が特定される可能性がある。

ネアンデルタール人やマンモスの骨からゲノム情報が取り出せる時代に、わずか一世紀半前のアルコール漬けの組織からゲノム配列が決定できないはずはない、と考えるのは自然であろう。

結局このような死亡した人物の遺体のゲノム解析にゴーサインを出すのは倫理的観点から判断する以外にない。多くの場合は有名な人物の死因をわざわざ明るみにすることに、人々は抵抗を感じるちがいない。特にその人物が神格化されている場合はなおさらであろう(ショパンの場合はこれに近い)。もしその人物の子孫が特定される場合もデリケートな状況を作り出す。

フレデリック・ショパンは1,810年にポーランドに生まれた。ポーランドの人々はショパンを誇りに思う。しかし、フランス人もやはりショパンはフランス人であると思っている。これはマリー・キュリーの状況と似ていると思う。キュリーもまたポーランドに生まれ、パリに住んで画期的な科学的業績を挙げた。しかしショパン父親はフランス人であったため、フランス人にとってはショパンにはより親しみを感じているフシがある。ショパンは 21歳のときにパリに移ったが、これ以後ショパンは終生故国に帰ることなく、死後彼の心臓のみが帰国を果たしたのである。ピアニストとして名高かったショパンであるが、彼は生涯に約30回程度しかピアノリサイタルを持たなかったという。これはショパンが自らをピアニストとしてではなく、ピアノ音楽の作曲家と自認していたためだという。これは当時のスターピアニストであったリストとは相当違う。が、本当の理由は病気のせいで十分な演奏ができなかったことかもしれない。こうした故人の秘密を明らかにして何になるのだろうか? このことで何がしかの科学的進歩がもたらされるわけでもないだろう。

2,008年6月、ポーランド文化相は、“今は申請に対する許可を出す時ではなく、また得られることが予想される知見からこの申請が正当化されるべきでもない”とする文化省の担当官の決定を発表した。

続く

 

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